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神社仏閣ラブ(弛め)

「砥鹿神社」

7/6。

豊川まで来たのですから、行かないわけにはいかない三河国一宮。

「砥鹿神社」。

 

◯こちら===>>>三河国一之宮砥鹿神社

 

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鳥居には、「本宮山正一位鹿大明神」とあります。

そう、本来は、この神社(麓にあるので、里宮と呼ばれます)から望める海抜789メートルの「本宮山」という御山に対する信仰だったのではないか、と言われています。

 

◯こちら===>>>豊川市遊びスポット 本宮山

 

天気が怪しかったので、御山までは行きませんでした。

頂上には「奥宮」が鎮座しているそうです。

ちょっと後悔。

駐車場に車をとめまして、参道を歩きます。

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「当神社は、太古より本宮山にお祀りされていたが、今から約1300年前の大宝年間、現在地にお遷しした。爾来、三河国一宮として、或いは東海地方の総鎮守として広く朝野の崇敬を寄せられてきた(後略)」

 

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創建年代詳らかならず、ということは、古い信仰形態を持っていたものが、神社という形に変化していったものと思われます。

山、磐座に対する信仰は、日本では最古の信仰だと言われていますので。

 

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神紋が独特で、「亀に卜(ぼく)」、「亀甲に亀卜」と言うらしいです。

甲骨文字の元々の意味は、「亀甲獣骨に刻まれた文字」ということですが、中国では占いに使われておりました。

卜占、というやつで、亀甲や獣骨(牛や鹿の肩胛骨)を熱して、そのときに入るひびの形等で吉凶を占った、というわけです。

で、この神紋も、そんな起源を表しているのでしょう。

昔、大国主命が国土開発のためあちこち巡幸された際、本宮山に永く留まったことから、「止所(とが)の地」と呼ばれるようになった、と『但馬続風土記』にはあるそうです。

よくわかりませんな。

明応九年(1500)の『三河国一宮砥鹿大菩薩御縁起』によれば、文武天皇在位の大宝年間に、天皇の病を鎮めるため、草鹿砥公宣卿(くさかどきんのぶきょう)が遣わされたそうです。

この方、「煙厳山」に向かうのですが、途中で道に迷ったそうで。

たまたま、本宮山で出会った翁の導きで、お役目を果たしたそうです。

そのお礼のために、この方また派遣されまして、翁に面会。

実は翁は「本宮山」の神で、そろそろ麓に降りて民を救いたいとおっしゃったそうで。

こうして、砥鹿神社「里宮」ができました、と。

 

しるや如何に 吾が名をとはば 千はやぶる 神の始めの 神とこそ言はめ

 

翁の遺した歌が、御詠歌として伝わっています。

元々「止所(とが)」と呼ばれていた場所に、「草鹿砥公宣卿」がやってきた、だから「砥鹿」の字を当てたのでしょうか。

そうすると、占いを示唆する神紋との関係はどうなるのでしょう。

鹿が神の使いだった、という話は出てきませんし。

うーん……多分、土着の占いが得意な人たちがいたけれど、まず大国主命に蹴散らされて、その次に「草鹿砥卿」にも攻め込まれ、恨みを飲んで滅びた……のではないかと。

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拝殿。

写真暗いなぁ……。

総檜造らしい社殿は非常に立派です。

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こちらは南側の鳥居。

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門から見た社殿。

主祭神大己貴命(おおなむちのみこと)。

つまり、大国主命です。

わかってるって?

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境内には、太鼓楼や。

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さざれ石があります。

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ちらっと、ばかでかい今年の干支を描いた絵馬が、見えるでしょうか。

でかいです。

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摂社として、「二宮社」には「事代主命(ことしろぬしのみこと)」、「三宮社」には「建御名方命(たけみなかたのみこと)」がお祀りされているようです。

どちらも、大国主命の御子神です。

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よーく、奥の方を見ますと、本殿が二つ並んでいるのが見えると思います。

嘘です、私の視力では見えません。

Macの人は、拡大してみてください。

ほら見えた。

 

 

 

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見えないですねぇ本殿……。

さて、こちらの「二宮社」「三宮社」、通称「えびす社」と呼ばれています。

事代主命」が、「えびす」様と同一視されたため、ですね。

釣りが得意な神だったので、後に鯛を抱えた「えびす」様になっていったのだろうと思われています。

ところで、「事代主命」、神話に詳しい方ならご存知の通り、天孫降臨の際、「国を譲ります」と言って海に身を隠したんですが。

「隠れる」というのは、「死ぬ」という意味だったんですね。

なので、「水死」した(させられた?)のではないか、と考えられています。

そして、「水死体」のことを、沿岸部では「えびす」と呼んだりしますね。

これは、膨らんだ体や顔が「えびす」様に似ているからだ、と考えられていますが。

ひょっとすると、「事代主命」の死に様のことを伝えているのかも知れません。

………。

……。

…。

なーんて、高田崇史氏的なことをでっちあげてみました〜。

もう一人の「建御名方命」はどうなったかというと、高天原最強の「タケミカヅチノカミ」とのガチンコに破れて、手足を引っこ抜かれて、諏訪湖まで追いつめられて、二度と諏訪の地からは出ない、ということを誓わされています。

生き残っただけましなのか。

ところが、「諏訪神社」というのが全国にどれほどあるのかご存知でしょうか。

諏訪から出ないどころの話ではなく、広がっています。

さて、何があったのか……?

本日はここまで〜。

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日本の神様読み解き事典

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