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某所でベルギービールを搔っ食らって、徒歩で帰宅する途中、たまたま見つけたので立ち寄りました高牟神社(たかむじんじゃ)。
こちらは、東側の入り口。
◯こちら参照===>>>
高牟神社(たかむじんじゃ)・・・名古屋市千種区 - 古代史の道 - Yahoo!ブログ
どんなことにも先達がいらっしゃるので、考察なんかはあまりしません(知識がない)。
地域密着型神社仏閣ブログでもないので(ミーハー)。
それでも、近所は抑えておきたい、と。
こっちは西側。
で、南側。
立派な蕃塀(ばんべい)/透垣(すいがい)があります。
これが残っている神社は、案外珍しいのではないかと思います。
蕃塀の機能はよくわかっていないそうですが、多分目隠しでしょう。
いきなり拝殿が見えたのでは、ありがたみが薄くなりますから。
他には、辟邪の意味もあるかもしれません、
古来、悪い霊は「直進しかできない」と信じられていましたので。
参道をまっすぐ入ってきた悪い霊を、跳ね返す、と。
「元古井伝説地
昔、このあたりは常世(とこよ)の草香島(くさかじま)と呼ばれ、あちこちから清泉が湧き出ていたところで、後に井となり、元古井の地名の起こりとなったといわれ、その跡が今も神社の境内に残っている。
また、この付近一帯は、尾張物部氏の集落の一画であったといい、村人たちの武器や農具を納めた倉が、後に高牟神社になったといわれている」
だそうです。
「常世の草香島」って、怪しいですよね。
いい匂いの草が生えていた、ってことでしょうか。
島ってことは、川が近くを流れていたんでしょうか。
それとも、よほど泉が大量にわき出していたのか。
「古井之坂(こいのさか)」という地名が、この近くにあります。
また、「物部神社」というあからさまな神社も、近くにあります。
お邪魔します。
住宅街にあるんですが、かなりの広さの境内です。
初夏の夕暮れに、ちょっと幻想的な感じです。
拝殿の造りはよくわかりません。
入母屋造妻入りっぽいのですが。
本殿は全然ちゃんと撮れなかったし。
「式内高牟神社御由緒略記
成務天皇の御代(約二千年前)の鎮座、清和天皇の御時、御造営に際し勅して應神天皇◯◯祀されました
延喜式神名帳(約千年前の書)◯或尾張国一七座の一にして、国内神名帳に◯従◯位高牟久大神◯あり、古◯◯◯◯宮と号◯、又應神天皇◯◯乗船◯香木◯◯により船出八幡と称すのもこれが為で俗に古井の八幡と称されております。
造化三神中の二柱で陰陽両面を顕わされた、むすび信仰の神で万物の生成と育発の根元の生命神と仰ぎ奉るべき最上の祖神様であります。」
途中、明らかに読めない部分は伏せましたが、何となくわかると思います。
延喜式神名帳に乗るくらいですから、往古から栄えた神社だったと思います。
ただ、話によれば、ここがその「高牟神社」だったかどうかはわからないそうで(他にも候補の神社があるとか)。
千年昔のことですからなぁ。
境内には他にも、
「正一位徳義稲荷社」(全然読めません……いやがんばれば読めますが……)。
「秋葉社」「祖霊社」。
お決まりでいろいろ。
「厳島神社」もあります。
「元古井発祥之地」。
霊水です。
お隣には、井戸に相応しく「高牟龍神社」(右)と、北野天神社(左)。
そして、いつ奉納されたのか、梅の紋(天神様の紋)付の、多分「撫で牛」……あんまり撫でられている感じはないですね。
そして、ふくろうの乗ったお百度石〜。
可愛いですな、これ。
さて、応神天皇を奉っている場合、多くそれは「八幡社」です。
そして、「八幡社」であれば、応神天皇(=八幡大菩薩)と神功皇后、比売神、と奉られているのが定番です。
が、こちら高牟神社はそうではなく、高皇産霊、神皇産霊の二柱を奉っています。
何ででしょうか?
この辺りが、尾張物部氏の在住地だった、ということと何か関係があるのでしょうか?
由来によれば、「船出八幡」とも呼ばれていたようなのに、どうにも八幡臭さが見えません……。
神社の変遷を追っていけば、どこかでわかるのかもしれませんね。
ともかく、古い神社であることは間違いないようです。
みなさんも、近所を探してみたら、古い神社仏閣が見つかるかもしれません〜。
ちなみに、こちらの神社は、「名古屋市千種区 恋の三社」の一つになっております。
◯こちら===>>>
恋の三社めぐり|名古屋 縁結び・恋愛パワースポット|名古屋観光名所スポット
以前紹介した、「城山八幡宮」も選ばれております。
「古井の水」を「恋の水」に引っ掛けているわけですね。
……そういえば、「恋之坂ナイトグライド」って小説があったな……。
あと一つ、「晴明神社」もいずれ行かねばなりますまい。
本家京都の「晴明神社」も行ってないのにね……。