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げに短き大阪旅、どこか神社仏閣を訪れるなら、と考えて、住吉大社と迷ったあげくの四天王寺、です。
寺なのに、正々堂々鳥居。
パンフレットによると、「創建時の木造鳥居を永仁二年(1294)忍性上人が勅を奉じて石造に改めた」とあります。
創建当時から、寺なのに鳥居。
「極楽門」。
……読めません。
「西重門」から中心伽藍を。
「金堂」。
中には本尊の救世観音と四天王が安置されておりました。
写真撮影は禁止でした。
建物自体は、昭和36年に再建されたものですが、造りは創建当時を再現しているそうです。
「中ではお静かに」と書かれた注意書きがありましたが、お勤めのお坊さんはともかく、職員らしきおばちゃん達がかなりの大きな声で喋っておりました。
残念。
「五重塔」。
ちなみに、登れます。
螺旋階段で行き帰りが別ルート、という栄螺堂を思わせる造り。
中にはおびただしい数の位牌が収められております。
永代供養。
排水溝の跡。
「当寺は飛鳥時代(五九三年)創建された最も古い特色をもつ日本仏法最初の大寺である。しかもこの伽藍配置は世に四天王寺式を呼れ主要な堂塔が南北一直線に構築せられ中国朝鮮の上代寺院の様式を継承したものである……(中略)……又この排水溝からもこのことが十分察知せられたがこれはおそらく金堂の雨落溝の排水目的として作られたものと考えられる。廃瓦を両側に積み上げその上部に奈良時代の平瓦を覆った極めて簡単な構造のものであって千二百年もの間この姿にて保有せられたと謂うことはこれ亦非常に珍しいことである……」
まぁ、古代ローマにも水道ありましたからな。
回廊。
何だか、連続しているものに美しさを感じます。
伽藍の中にあった井戸。
天井に描かれた龍が、井戸の水面に映っています。
よく見ると、ね。
「丸池」の桜。
天気が悪いのが残念です。
「石舞台」。
古墳じゃありません。
亀がたくさんいる「亀ノ池」の上にかかった橋の上に作られています。
「聖霊会舞楽大法要」の際に、舞が舞われるそうです。
ここから先は、「極楽浄土の庭」です。
拝観料は別途必要です。
「五智光院」。
拝観できませんでした。
五智如来が安置されております。
元々は、灌頂堂だったようです。
「極楽浄土の庭」の説明書き。
「この庭は、中国の僧侶である善導が「散善義」で説いた「二河白道」のたとえ話を基に改修、造園されています。
二河白道のたとえ話は以下のとおりです。
二河は「水の河」と「火の河」を指しています。水の河は人生の順境にあるときの貪(むさぼること)であり、火の河は人生の逆境にある時の瞋(怒り恨むこと)であります。この二河は生き地獄であり、二つの河にはさまれた「白道」を極楽浄土への道(仏法)とたとえているのです。(以下略)」
人間は、見立てが大好きですなぁ。
池の向こうに見えるのは「八角亭」。
明治三十六年(1903)の第五回内国勧業博覧会の会場に展示されたものだそうです。
色合いがなかなかなく、極楽浄土にふさわしいのかはわかりませんが、味のある建物でした。
http://www.youtube.com/watch?v=M-WbsLw7mvk
iPhoneのアプリ「8ミリ」で動画を撮ってみました。
ぶれぶれですが。
「本坊」。
僧坊のことでしょうな。
高野山辺りに行くと、坊に泊まることができます。
質素で、なかなかない経験ができた、ような気がします。
もうちょっと明るければ……あるいは一眼レフで光量を調節できればよかったんですがねぇ。
全体的に暗い写真で、桜の美しさもよくわかりません。
「極楽浄土の庭」終了〜。
珍しいのですが、「神変大菩薩」と書かれたのぼりが右手に見えます。
正面にまつられているのは、不動尊と二童子ですが、「神変大菩薩」といえば、役行者のことですね。
前鬼、後鬼を従えた、葛城山の偉い優婆塞さんです。
八丈島から富士山まで飛んでいったとか、いろいろ逸話には事欠かないですな。
「東大門」。
「亀遊嶋辯才天」。
「石神堂」。
牛王尊が奉られておりますが、牛頭天王とは関係ありません。
残念。
「亀井堂」。
金堂の地下から湧いた水で、供養を済ませた経木を流すと極楽往生が叶うそうです。
「番匠堂」。
聖徳太子は大工の始祖である、という信仰があります。
『職人由来書』、といえば現代では偽書だとわかっているわけですが、昔の尊い人を持ち出すことで、自分たちの職業を正当化しようという中世の運動です。
その一つ、だったような気がします。
「南無阿弥陀仏」が大工道具で書かれている、というイカすデザインです。
「猫の門」。
眠り猫っちゅうことですかね。
「太子殿」。
聖徳太子をお祀りしています。
正しくは、「聖霊院」だそうです。
中には入れますが、もちろん撮影禁止です。
厳かな雰囲気が味わえます。
「太子奥殿」。
地下に六観音が安置されているそうですが、かなりのプレッシャーを感じる空間なので、足を踏み入れられませんでした。
「太子殿」から見た中央伽藍。
「南鐘堂」の横っちょの門と井戸。
「仁王門」。
「万灯院」。
紙衣(かみこ)の羅漢を安置していることから、「紙衣堂」とも呼ばれているそうです。
多分、ロウソクがたくさん灯ることがあるんでしょうねぇ。
「大師堂」の横には、大きな弘法大師の像があります。
鎖が伸びてます。
多くの日本人が、日本史で最初に知る寺院がこの四天王寺です。
往時の姿をそのままにとどめていないのは残念です(そしたら、世界最古の木造建築になっちゃいますから)。
ですが、大阪の街中にあって、静謐とした空間を堪能できるのは素晴らしかったと思います。
惜しむらくは時間がなく、ねっとりと回れなかったことと。
御朱印をいただき忘れたことでしょう。
がくし。