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せっかく一宮まで出かけたので、そこから近くて有名なところも回っておこう、ということで。
尾張大國霊神社です。
○こちら===>>>
http://www.konomiya.or.jp/main/
「国府宮」とも呼ばれています。
駅の名前は「国府宮」ですね。
律令時代、国司に任じられた人は、国中の神社を回る、という役目があったそうです。
で、たぶん、
「メンドクセ〜」
と思った人がいたんでしょう。
国中の神様を集めた「國霊」を総鎮守と称して祀ることで、その負担を軽減したらしいです。
祭政一致の時代、国のトップは宗教のトップでもありましたから、無駄を省いて業務改善したんでしょうねぇ……。
けっこう、乱暴な話です。
國霊神社は日本各地にありますよね。
東京だと、府中競馬場近く、とか。
国府宮駅から数分、一の鳥居をくぐりまして、砂利の参道を歩いていきます。
二の鳥居は木造です。
立派な楼門が見えてきます。
茅葺き。
足利初期に建立され、上層は桃山期に修復されているそうです。
時代の積み重ねを感じます。
重要文化財に指定されておるそうです。
拝殿。
……露出過多ですかな。
切妻造りの、こちらも雄壮な印象。
やはり茅葺き。
本当は、もう少し近くまでいけるはずなのですが。
神紋は「五七の桐」ですか。
本殿は、八幡造っぽいですが、流造の変形ですかねぇ……。
「なおいぎれ」という、紅白の布が結ばれています。
そう、「国府宮」といったらもう、
「はだか祭り」
なのでございます。
○こちら===>>>
http://www.konomiya.or.jp/main/hadakamatsuri
HPによりますと、
「国府宮のはだか祭」として知られるこの祭は正式には「儺追神事」(なおいしんじ)といい、毎年旧正月十三日に行われています。その起源は古く、神護景雲元年(七六七年)称徳天皇勅令によって悪疫退散の祈祷が全国の国分寺で行われました際、尾張国司が総社である当神社に於いても祈祷したのに始まると伝えられ、古い伝統をもった神事といえます。この神事は祈祷と神籤によって選ばれた一人の儺負人(神男)を廻って、裸男達による肉弾相打つ壮絶な揉み合いを繰り広げるものです。これは、神男に触れれば厄落としができるとの信仰からです。
とのことです。
すごいですよね。
だって、
「裸男達による肉弾相打つ壮絶な揉み合い」
ですよ?
じっくり字面を御読みください。
「裸男達による肉弾相打つ壮絶な揉み合い」
その表現がすごい。
文字からわかるとおり、「儺追神事」は「追儺」の一種ですが、時期がずれていますので、いわゆる節分の追儺とは異なります。
まぁ、どっちにしろ、ケガレを誰かに押し付けて、そいつを追い回すわけなんですが。
フレーザー辺りにいわせれば、多分、
「昔は、神男は、そのまま殺されてたんだろうな」
ということになるでしょう。
神殺し。
どう考えても、そういう祭です。
「なおいぎれ」というのも、この神事のお守りなんですね。
あそこに結ばれていたのは、旧年ご加護のあったものを奉納したのでしょう。
神事の前には、大鏡餅を奉納する祭事もありまして、とにかく、この時期は大盛り上がりです。
私、父の在所(田舎)がこの辺りでして。
幼い頃は、何度かニアミスをしたことがあります。
見物客も半端なくて、そりゃすごい騒ぎです。
余談ですが、今年は、この地域のケーブルテレビが、「生放送」に踏み切るかどうかを考えているらしく。
裸男、基本、ふんどし一丁です。
「生放送」で「ナニ」か見えてしまうとまぁ大変
……という記事を新聞で読んだ気がします。
蛮勇、と呼んでおきましょうか。
下調べで、今年は2月22日と知っていたので、今のうちに行っておこうと思い、参拝してきた次第です。
西の鳥居。
別宮として「宗形神社」、「大御霊神社」(大歳神之御子)があったそうですが、見つけられず……(地図で見たら、境内の外にあったよ……残念)。
本殿に接する形で磐境もある、とのことですが、こちらも拝見できず。
末社としまして、
「神明社」
「居森社」(素戔嗚命)
「白山社」(菊理姫命)
「三女神社」(宗像三女神)
「稲荷社」
「司宮神社」(猿田彦神)
が祀られています。
猿田彦神といえば、天孫降臨に際して、豊葦原中国の天八衢(あめのやちまた)で天と地を照らしていた、嚮導の神様です。
稀代のセクシーダンサー兼シャーマンである天宇受売命(あめのうずめのみこと)と呪い合戦を繰り広げた後、チャームにかかって結婚しちゃったお方です(省略と誇張あり)。
鼻が長くて、口の端が輝き、目が鏡のように光っていて、でかい、という。
そんなわけで、「天狗」の原型か、なんて言われていますが。
「司宮」という名前と猿田彦神が、どうも重ならないですねぇ。
日本には、「ミシャグチ」という、こちらも結構謎の神様がおりまして、「社宮司神社」というところに祀られていることが多いのですが。
猿田彦神とイメージが今ひとつ重ならない。
なお、「猿」とついているから猿の神様かと思われがちな猿田彦神ですが、おそらくは太陽神(天孫降臨で、天照大神の子孫がきちゃったので、その座を奪われた)ではないかと思われます。
また、面白い仮説として、
「化石化したナウマン象の頭骨から作られたトーテムポール的なもの」
ではないか、というのが宗像教授によって語られています(『宗像教授異考録』……うろ覚えなので、違っていたらごめんなさい)。
機会があったら読んでみてください。
本殿の裏には、
「国府宮神饌田」がありました。
こちらで育てた米を使って、大鏡餅を作る……かどうかはわかりません。
参道脇で、小さなお社を見つけたので、つい参拝。
何を祀っているのかまでは確認していませんが、地図で見るかぎり「富士浅間社」のようです。
それから、神社仏閣ではありませんが、
古式ゆかしい学校がありました。
明治二十年に作られた、高等小学校の建物らしいです。
この張り出し、が明治期の学校の特徴ですねぇ。
あまり残っていないと思います。
いつかは、「はだか祭」本番を、この目で見てみたいものですが、
はだかのおっさんの肉弾相打つ中に飛び込む勇気はありません。
今のところ。