べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「真清田神社(ますみだじんじゃ)」

2/10。

日曜日、昼近くまで寝て起きてを繰り返していました。

起きましたので、ちょっと出かけてみよう、と思い立ち、尾張国一之宮に行ってなかったなぁということで。

真清田神社。

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○こちら===>>>

http://www.masumida.or.jp

HPによりますと、

 

当社の鎮座は、社殿によれば神武天皇33年。古代悠遠の当国の開拓と日を同じくするものと伝わっています。文化は古来、大河の流域に発達するといいますが、尾張国一宮の文化も、木曽川の流域とその開拓によって開けたものです。

当社は、平安時代、国家から国幣の名神大社と認められ、神階は正四位上に叙せられ、尾張国の一宮として、国司を始め人々の崇敬を集めました。鎌倉時代には、順徳天皇は当社を崇敬され、多数の舞楽面をご奉納になりました。その舞楽面は、現在も、重要文化財として当社に保存されています。

江戸時代には、徳川幕府神領として、朱印領333石を奉りました。また、尾張藩徳川義直は、寛永8年(1631)当社の大修理を行う等、崇敬を篤くしました。明治18年には国幣小社、大正3年に国幣中社に列し、皇室国家から厚待遇を受けました。戦後は、一宮市氏神として、一宮市民はもちろん、尾張全体及び近隣からも厚い信仰心を寄せられ今日に至っています。

 

とのことです。

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「一宮」というのは、律令制度の中の国ごとに定められた一位の神社です。

実は、「二宮」、「三宮」もあります。

どうやって成立したのか、何のために成立したのかが今ひとつわからない制度らしいです。

それはともかく、尾張国一宮、かなり立派なたたずまいであることがわかります。

広いし。

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「車馬を乗入ること

魚鳥を捕ること

草木を刈ること

右境内に於いて禁止する」

と書かれています(多分)。

ま、

 

 

当たり前ですが。

 

 

自転車でがんがん境内に乗り入れている子供やお母さん達を見かけましたよ。

 

 

 

当たり前じゃないんですね。

 

 

 

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門の手前に、こんな碑がありました。

阿仏尼さんの立ち寄った頃には、既に大きな社だったのでしょう。

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昭和36年創建の楼門。

木造です。

それだけで、もはや価値があります。

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紋は、「丸竹に九枚笹」。

本気の人たちは、神紋、建築様式、社殿がどちらを向いているか、どこに向かって拝んでいるか、等など、非常に細かい点まで調査します。

……そこまでできませんがな。

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では、くぐってお参りをば。

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手水場には、こんなことが書かれていました。

 

弘法大師×請雨=↓龍神>

 

大体、こんな感じです。

「八頭八尾の大龍に乗って」いたりもしたようです。

尾張国っぽいですねぇ……。

え、何がって?

あ、尾張国はですね、草薙の剣を祀った熱田神宮があることから、一説に「尾割り」が語源ではないかと言われているんです。

何の尾を割ったか、というと、そうです「八岐大蛇(やまたのおろち)」ですね。

ま、そんな話はおいといて。

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拝殿。

なかなか立派な押し出しです。

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祭神は「天火明命(あめのほあかりのみこと)」。

尾張氏の祖神です。

天孫である邇邇芸命の兄神にあたります。

記紀神話のある時代、末子継承がなされていましたので、弟神の邇邇芸命高天原から下る主神という名誉に預かりました。

が、血統的には、「天火明命」は同等だ、と尾張氏は主張しているわけです。

しかも、記紀神話に採用されているということは、そのごり押しが通った、ということですね。

尾張氏がいかに力を持っていたかがわかります。

この神は、「天照国照彦(あまてるくにてるひこ)天火明命」とも呼ばれます。

「彦」は「日子」でもあります。

これでもか、というくらいに照らしていますから、明らかに太陽神だったと思われます。

天照大神の直系、という意味では、これ以上ない名前のお方ですね。

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本殿は、なかなか窺えません(神社ってのは、たいていそういうものです)。

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境内東側の門。

小振りながら、銅葺屋根が美しいですねぇ。

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こちらの門近くの手水場にはこんなものが。

「神池麗水」とは、

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こちらの「神水舎」のことです。

 

承暦元年(1077)白川天皇が眼病を煩われ、さまざまな医療を施したが効能がなく、大小の神祇に祈られると或る夜、夢枕に装束を正した老翁が立たれました。翁は八ッ頭、八ッ尾の大龍に乗り、左右の手に松・桃の二枝を携えた姿でした。帝はこの夢想についてト部宿禰兼政をしてト占せしめたところ、曰く翁は真清田の大神の霊夢であると奏し、備前介藤原公賢朝臣をもって真清田神社の宮井を汲ましめ、帝が眼を洗われると病はたちまち癒えたと伝えられています。

 

とHPにはあります。

井戸がありまして、「自分の姿が映るまで覗きましょう」と書かれていました。

姿見の井戸というやつですね。

映らなかったら怖いので、覗きませんでした。

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側には、「おもかる石」も置かれています。

軽いと吉、重いと凶。

もちろん、

 

 

 

重かったです。

 

 

 

 

さて、境内には他にも合わせて祀られているお社があります。

HPによれば、

 

神明社、天神社、犬飼社、愛鷹社、愛宕社、厳島社、八龍神社、秋葉社須佐之男社、稲荷社、三八稲荷社、神水舎井館(彌都波能賣大神齋)

 

とあるそうです。

多い。

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犬飼社、愛鷹社、天神社。

愛鷹(あしたか)神は、愛鷹明神だとすれば、沼津の桃沢神社に祀られており、建御名方神のことだと思われます。

犬飼神はなんでしょうねぇ……。

とにかく、いろいろ祀られています。

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愛宕社。

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秋葉社

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須佐之男社。

つぶさに拝見していきますと、神様満載です。

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稲荷社。

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厳島社と八龍神社。

「神池」に、平成10年新しい橋が架けられたそうです。

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厳島社は、よく知られる通りの「厳島神社」で、元々は宗像三女神の一柱「市杵島比売命」を御祭りした社です。

八龍神社は、先ほどの手水場の由緒書によれば、「八頭八尾の龍神が下ったのと時を同じくして、弘法大師が奉納した龍の頭のような水晶」が奉仕されているそうです。

同じく境内に祀られている「三八稲荷」。

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元々は、西北の森の中に御祭りされていたのが、昭和26年に御社殿造営時に御遷座されたそうです。

「三八」は、元々「真清田神社」前に開かれた「三八市」に由来するようです。

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鮮やかな朱塗りの柱が、案外ないですよね。

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鳥居はまだまだ建てられるようです。

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本殿裏にも入れるんですが、カップルさんがきゃっきゃきゃっきゃしていたので、やめました。

一瞬、

 

 

 

ア○○○○デ○の導入でも撮ってるんじゃないか、

 

 

 

 

と罰当たりなことを考えました。

ごめんなさい。

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こんもり。

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御神馬の像もあります。

そして、

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同じく境内にある「服織(はとり)神社」。

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祭神は「萬幡豊秋津師比売命(よろずはたとよあきつしひめのみこと)」。

天火明命」の母神です。

秋津というのは「とんぼ」のことで、とんぼの羽のように薄く縮んだ立派な布を織る、ということを表わしているようです。

一宮市は、江戸時代以降、繊維産業で発展した土地、らしいです。

 

○こちら参照===>>>

http://www5.ocn.ne.jp/~matimoyo/bisiyuseni-1.htm

 

元々の祖神の母神が機織りの女神ですから、これをほっとく手はないわけですね。

元々お祭りされていたのでしょうが、摂社としての歴史は、昭和40年より、とのことで短いです。

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ですので、中も新しいのです。

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指、映ってますな……(本殿見づらい……)。

機織り、七夕、乞巧奠、というわけで、一宮は七夕祭りも有名(らしい)です。

お祭りを避けて、できるだけ閑なときにこないことには、境内もゆっくり回れません。

さすが一宮といいますか、満載、満腹な感じです。

まだ見てないところもあったりするんですが……。

「宝物殿」には、

 

○こちら===>>>

http://www.masumida.or.jp/takara/index.html

 

のような神宝が納められているそうです。

広い境内、しっかり回ろうと歩くだけで、ちょっとした運動量でした。

一番気になったのは、写真に撮り忘れましたが、神池に、

 

 

 

 

「鯉・フナ以外を放流しないでください」

 

 

 

と書かれていたことでした。

多分、誰か、カミツキガメを放したやつがいるんです。 

 

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