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節分豆まきで色めき立つ世の神社仏閣とは一線を画す。
そんなところはないものか、とぼんやり考えて、たどり着いたのは地元。
○こちら===>>>http://www.nittaiji.jp/kakuouzan/index.html
名古屋の地下鉄東山線「覚王山」駅から、徒歩2分ほどで、参道入り口に着きます。
きれいになっていますな……。
かつては、入り口には「弘法屋」というフルーツパーラーや、お好み焼き屋かなんかがありました。
あ、「弘法屋」はまだあります。
よく見えないと思いますが、「スターバックス」が右手にあります。
いろいろな店も増えています。
お洒落スポット……。
散策マップによると、史跡や神社仏閣がかなり多いことがわかります。
「千躰地蔵堂」。
奉納された(と思われる)地蔵が中に並んでいます。
名古屋市東部は、かなり起伏にとんだ地形ですが、「日泰寺」のある辺りは、一番標高が高いです。
空が広いですね。
看板より。
タイ(シャム国)国王から遺贈された釈迦の舎利(遺骨)をまつるため、明治三十七年(1904年)建立されたわが国唯一の超宗派の国際的寺院である。
山号は釈迦を表わす、”覚王”、寺号は日タイの友好を願い、”日泰寺”と名付けられた、
ガンダーラ式奉安塔は、全国でもまれな一大石造塔である。
「覚王」は「覚り(悟り)を開いた王」の意味だったんですね。
ちなみに、現在まで、悟りを開いた人はお釈迦様だけです。
成仏ってやつ、ですね。
ですので、死んで成仏することは、実はできなかったりするのです。
山門。
「日泰友好道場」の額がかかっています。
山門左右に立つのは、お釈迦様のお弟子さんです。
向かって右が「阿難尊者」。
左が「迦葉尊者」。
左の「迦葉尊者」は弟子中最長老、つまり始まりですので、「阿号」。
右の「阿難尊者」はお釈迦様の最期をみとったということで、「吽号」。
なんだろうなぁ……と思います。
山門の左右を守るのは、金剛力士だったり風神雷神だったりしますが(寺院によります)、仏弟子が守っているのは、さすが覚王山、ということでしょうか。
境内の梵鐘と五重塔。
ちょうどお昼頃で、暖かい日でもあり、まるで秋の空のようだったのです。
本堂。
お参りさせていただきましたが、ご本尊や堂内を撮影するのがはばかられましたので、何とか額だけ……。
この辺りが、小心者。
「日泰寺」HPより引用しますと、
・本尊としては本堂完成に際し、タイ国国王プミポン陛下より頂戴したタイ国宝であった金銅釈迦如来像を祀っている。
・如来像と共にプミポン陛下直筆の勅額一面が正面に掲げられている。タイ文字で 「釈迦牟尼仏」と記され、両側にはプミポン、チュラロンコン両帝の御紋章が輝いている。
・須弥壇両側にはお釈迦様の大壁画がある。(1.8×2.4m(400号))西側は「城を出る」東側は「乳粥の供養」と題されている。高山辰雄画伯の作品である。
・入口西側には高さ3mの金子鷗亭先生の書一対が飾られている。「菊承露」「蘭染煙」と書かれていて、日本の菊、タイの蘭から、日本とタイの友好を表している。(『疎蘭尚染煙。残菊猶承露。』 唐の二代皇帝太宗の「山閣晩秋」の一節)
・「転法輪」の扁額 山田恵諦天台座主の書。梵語dharma-cakra-pravartanaの訳でお釈迦様の説かれた法(教え)を布教し伝えていくの意。古代インドの戦車を表し、戦車の車輪で敵を粉砕するように釈迦の教えが衆生の間を回転し、迷いを打ち破ることを意味している。
タイ国皇太子御手植えの海江豆、チュラロンコン国王像。
広い境内、駐車場も広く、不謹慎なのかどうかはわかりませんが、凧揚げをしたり、ラジコンしたりする親子連れがいたり、陽気を楽しむシルバーエイジがいたり、となかなか静かな空間でした。
というわけで、前編終了、後編に続きます。