べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「日之宮(ひのみや)」

1/26。

名古屋駅に出かけたので、ちょっとルーツ探索に出かけました。

日之宮(日之宮神社)。

f:id:bennybebad:20130126110636j:plain

中村区には日ノ宮町という町名がありまして(昔の、日吉村)、そこに鎮座する神社です。名前に「宮」がついてるのに、さらに「神社」をつけるのもどうなんだ、と思いますが、「日之宮神社」とも呼ばれます。

名古屋市中村区史跡散策コース===>>>

http://www.city.nagoya.jp/nakamura/page/0000001258.html

f:id:bennybebad:20130126110626j:plain

名古屋市教育委員会の立て札によりますと、

 

もと日吉権現といわれ、豊臣秀吉の母大政所が、男子を授かるよう日参した社で、秀吉は天文五(1536)年元日、日出づるころ、力強く産声を発したといわれる。

幼名日吉丸といったのは、この日吉権現の霊験によるところから名付けられたと伝えられる。

 

ということです。

この辺りで育った人間には、まぁ常識のような話ですな。

f:id:bennybebad:20130126110538j:plain

神社自体は非常に小さなものですが、何しろ秀吉公縁の神社なので、地元の崇敬も厚いものと思われます。

f:id:bennybebad:20130126110524j:plain

教育委員会設置の石碑もありました。

f:id:bennybebad:20130126110703j:plain

日ノ宮神社には公園も設置されておりまして、幼少期にはよく遊んだものです。

ただ、最近の公園って、やけに見通しがいいですよね。

子供が狙われる事件が相次ぎましたから、警戒されてのことなのはわかるんですが。

昔はもっと、「鬱蒼」という言葉が似合うような場所で、小さな日ノ宮神社も何となく暗く、そこはかとない怖さがあった、ような気がします。

神社仏閣はそういった場所でないといかんのではないか、と思います。

公園自体も、もうちょっと危ない遊具があったんではないか、と。

さて、秀吉公は、主君の織田信長公に「猿」とあだ名されたわけですが、その容姿ではなく、「日吉丸」という幼名が原因だったのではないか、という説を誰かが唱えているかもしれません。

私も、先日思いつきました。

「日吉丸」の「日吉」は、「日吉権現」の「日吉」です。

「日吉権現」は「日吉大社」をお招きしたものでしょう(山王鳥居ではないですが)。

日吉大社」は、「比叡山」の守護神ですね。

そして、神使は、「猿」です。

○「日吉大社」===>>>http://hiyoshitaisha.jp

というわけで、何らかの皮肉を込めてなのか、あるいは都の鬼門封じである「日吉大社」になぞらえてなのか、信長公はそう呼んだのではないでしょうか。

 

 

 

 

ま、その「比叡山」、焼き討ちしましたけども。