べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「千葉神社」(千葉市中央区)〜千葉道中

2020年元日、あけましておめでとうございます。
平常運転……というか、今年はもう少し記事を書きます……一昨年のが終わらない……。

 

 

10/24。

「登渡神社」の参拝を終えて、今回の目的地でもある千葉神社へ。

 

◯こちら===>>>

www.chibajinja.com

 

ええと、東側を歩いていたんだっけ……やけに敷地が広いなぁと正面に回ってみて、改めてその大きさに驚いた次第。

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こちらもがっつり「妙見菩薩」信仰、というか本宮みたいなものですか……。

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鳥居くぐって、しばらく進んで、の入り口。

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獅子山。

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立派。
写真の半分は獅子山だったかもです。

 

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社殿が新しいのは別にいいのですが、謎の八角形……あ、これ社殿じゃなくて、門でした。

 

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お賽銭箱。
日月か……「妙見」信仰なら、七曜紋なのかと思っていましたが。

 

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拝殿の扁額。

 

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なんと、拝殿の二階に登れます……すごいな……正面が、先ほどの門的な建物。

 

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あ、こっちは……あれ、九曜紋か……違う、十曜?(※同じです)

 

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で、こちらは境内社の「千葉天神」さんなんですが、日月と、星……じゃないわ、天神様だから梅だ。

 

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「千葉天神」、拝殿。

公式HPによれば、旧「千葉神社」社殿のようです(詳しくは公式HPを)。

 

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本殿をちらり。

 

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ん〜……もとはお地蔵さんか、道祖神か……。

 

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墓石のようですね。

 

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拝殿、別角度から。

 

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小さい狛犬さん。

 

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こういう、八卦を表した八角の……香炉かな、の上に乗っかっておられました。
これは南側。

 

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いや、日本的ですね、神社に「妙見菩薩」という仏教の神がいて、その上から五行ですから。

 

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こちら東側。

 

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北側。

 

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西側。

 

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おっと、こちらに「千葉天神」の案内が。
「寿永元年(一一八二)九月二十五日、この千葉神社の前身、北斗山金剛授寺の境内に勧請された」そうです。

 

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そのほかの境内社、ということで「姥神」様。

 

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その狛犬さん。

 

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「星神」様。

 

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「石神」様。

 

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「稲荷」様。

 

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金比羅」様。

 

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これは、「金比羅」様の狛犬さんだったかな……。

 

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石祠。
「古峯神社」と「稲荷大明神」。

 

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その前にある、「御嶽」様。
関東にあっても、御嶽信仰……何かあるのか、何もないのか。

 

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……あ、ええと、「千葉天神」は、「千葉神社」向かって右手の方にありまして、境内社はその手前、で石の鳥居をくぐると「千葉神社」拝殿に戻る、という感じです。
広いです。

 

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「御嶽」様の向かって右側にある境内社
「八幡」「天神」「日枝」「三峯」「神明」となっています。
廃仏毀釈で集められちゃった感じでしょうか。

 

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「恵比須」様もありました。

 

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芭蕉の句碑。

 

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これは、どこにあった狛犬さんだったか……先ほどの石の鳥居のところかな。

 

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で、このキャラクターめいた狛犬さん、まぁ大きいです。
最初に見た、大きな門のところに立っていらっしゃいました。

 

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で、実は門ではなくて、また八卦を表したものが……「尊星殿」という建物なのです。

 

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こちらが、「千葉神社」の拝殿。
二階建てです。

 

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獅子山、再び。

 

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こちら、妙見池にかかる橋と、その手前の鳥居。
この奥に、境内社があります。

 

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「尊星殿」の全景。

 

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遠景。

 

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お隣の公園。

 

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「千葉常胤」さんも近くにいらっしゃった、「出世弁天」。
公園の脇にありました。

 

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御朱印

 

さて。

 

◯こちら===>>>

日本伝説叢書. 下総の巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑本当は史料価値の高い文献を選ぶべきなのでしょうが、とりあえずさっくり、ということで、『日本伝説叢書』の「下総の巻」から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。
53コマです。

 

千葉神社【妙見社】(千葉郡千葉町)
妙見社千葉神社は、妙見尊を祀つてゐる。千葉に、妙見尊を勧請した由来は「千葉集」そのほかの古記録の伝ふる所に依ると、承平天慶の昔、平将門が、乱を為した時、常陸大掾国香は、之を討とうとして敗刄に帰し、尋で平良文出でて飽まで之を誅討せんとしたが、是又大敗に帰し、良文は、上野次郎忠頼、権中将三浦忠光、上野介良経、村岡平太夫忠常、粟飯原文次郎常時等主従と共に、積雲深い上州の山中に遁れ、そして、良文は、もはや武運つきたるものと覚悟して、そこにて死を決したが、従者の進言を容れて、再び旗を染谷川に◼︎し、陣を布くと、味方のものどもは、四方より参集して、漸く百騎ばかりとなつたが、将門の軍は多勢にて、衆寡敵せず、此處でも亦、良文将に危からんとした。時に、俄然迅雷天地を振動し、乾坤為に晦冥、恰も数万の伏兵一時に起て良文の軍を味方するものあるかの如く見えたので、味方は大いに勢を得た。これに反して、敵は頓に気を喪ひ、将門は、危機一髪の境に陥つた。斯て霎時にして天晴れんとするとき、金色の垂直に白妙の袴を着した童子が、雲間に現はれ、瞬時にして影は消え失せたので、良文始め味方の士卒等は、均しくその不思議の出来事に驚嘆して居た。此時、敵兵の死するもの三百五十余騎、良文は遂に大捷を得た。すると、良文がその夜の夢に、一人の童子忽然と現はれ、『爾が母、我を信じて爾を設く、懐胎三歳月の時、胎中の一子願くは男子たらしめよ。而して男子たらば、天下無双の名将たらしめ給へ 然らば子孫永々氏神として崇敬し奉べしと祈る。故にわれ爾を助けたり。』と宣ふた。是に於て翌日之を附近の農夫に就て質すと、上野国群馬郡花園村七星山息災寺は、聖武天皇の勅願所であつて、行基菩薩の開基に成り、中尊は北辰妙見尊であると聴き、良文主従は直ちに息災寺に詣で、粟飯原常時を三年間此處に留めて守護せしめ、自らは武州藤田に帰り、軍に臨むに際しては、常に即催寺の方に向つて祈願を為て居たが、未だ嘗て戦利を得ないことはなかつたと言ふことである。そして、その後、良文は、居城の地に尊体を迂さんとして、常時をして宣旨を請はしめると、堂の扉は自然に開いたので、常時は畏み畏み、自ら尊体を背負い、息災寺を出でて、昼夜兼行して武州蓑の崎に着いた、良文は此處に之を奉迎して、共に藤田に帰り、次で秩父の大宮及び相州鎌倉等に移つたが、随所に必ず妙見尊を奉じたとのことである。さうして、千葉に初めて之を勧請したのは、良文の孫忠常の代であると伝へられて居る。一説に大治元年六月に、常重が大椎郷から、千葉に勧請したと云ふのは、再度の勧請で、是より先、既に千葉に在つたのであるといふ。尤も、大椎要害の城下には、今尚ほ妙見の古堂一宇がある。別当は北斗山金剛授寺で、後世人は之を妙見寺と云つて居る。これ、実に千葉の妙見尊王の由来の大要であるといふのである。その後一条天皇は、勅して之を勅願所ち定めさせられ、千葉家廿余世の間、その氏神として尊崇し奉り、徳川家康又深く当寺を崇敬し、永代二百石を賜はり。明治戊辰の歳王政復古となつて、神仏混淆の制を改めらるるに当って、寺院にては祭典を行ふ事が出来ないので、妙見寺の寺号を改めて妙見社とし、天御中主命を祭り、相殿には富津主命及び日本武尊を祭り、更に又、千葉神社と改めて、明治七年一月十九日を以て、社格を県社に列せられた。社殿は、古壮麗を極めたが、明治七年祝融の災に罹つて、堂塔悉く烏有に帰し、再建の後、又、明治三十七年一月廿日再び祝融の災に遭ひ、今は仮殿を存するのである。(略)」

 

平将門」からみであることはわかりましたが、「平良文」のことがさっぱり……。
というわけで、コトバンクから、

 

◯こちら===>>>

平良文(たいらの よしぶみ)とは - コトバンク

 

平良文

生年:生没年不詳
平安中期の東国の武将。父は賜姓平氏一世の高望。村岡五郎と称す。京で衛門府の官人として仕官したらしいが、活躍の舞台は本拠地の下総国(千葉県,茨城県)であった。ここで上総国(千葉県)の良兼、常陸国(茨城県)の国香、下総国の将門ら兄や甥たちと対立した。平将門の乱(935~40)での動静は明らかでないが、『源平闘諍録』には,良文が将門の養子であったとするなど、将門と親しい関係にあったらしい。また『今昔物語集』は、武蔵国足立郡箕田郷の源宛 と仲違いしたことから合戦となり、両軍が見守るなか一騎打ちをして引き分け、その後は心を通わせたという話を載せる。土肥、三浦などの坂東八平氏はすべて良文の後裔を称している。」

 

……「平良文」が「平将門」と仲が良かったのか、争ったのか、今ひとつわかりませんが……「妙見菩薩」の出てくる伝説を考えると、あんまり仲は良さそうではない感じですね。
そして、「平良文」は、千葉氏の祖、ということになっているそうです。

 

◯こちら===>>>

房総叢書 : 紀元二千六百年記念. 第3巻 史傳其一 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『房総叢書』の中に、『千葉実録』といった文献がありまして、その中に千葉氏各代の記事がありますので、ご参考に(ちらっと見ましたが、面白そうです……ちょいちょい「妙見菩薩」も出てきます)。
ようやく、千葉(というか、関東というか)で妙見信仰が広がっている理由がわかりました(千葉氏と、あとは「日蓮」上人と)。
が、詳しく掘れず……妄想もあまり……ただ、軍神武神の類でなく、「妙見菩薩」というところが面白いですね……背後に何があるのか……天台宗系の勢力かな……。

「登渡神社」(千葉市中央区)〜千葉道中

10/24。
さらに歩いてみよう、ということで検索の結果発見したのが「登渡神社」

 

◯こちら===>>>

www.towatarijinjya.com

 

「とわたりじんじゃ」とお読みするようです。

でも、地名としては登戸……「のぼりと」とも読めてしまう。

複雑(?)。

 

 

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鳥居。

狭いわりに通行量の多い道路に面して、難儀な立地な感じがします。

 

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参道。

長い(良い)。

 

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ストーンサークル……ではなく水準点でした。

 

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階段を登ります。

 

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……妖怪ハウス?

宮崎アニメに使われそうなデザイン。

 

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拝殿。

立派だ。

 

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狛犬さん。

ムキっと出した歯茎、小さめの顔、鬣の造形が立体的でない、突っ張った前足、いいです。

 

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石灯籠。

台座部分に七尾の亀。

 

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拝殿別角度。

 

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本殿も、ちょっと近くで見られて幸せ。

海老虹梁から木鼻への窮屈なラインがまたよし……そして彫刻が素晴らしい。

 

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境内社の「浅間神社」と、御神水

 

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庚申塔……だけではなさそうです、子供を抱いているのは「鬼子母神」かな……「青面金剛」の顔はどうしちゃったのか……。

 

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うっすら、もともとの山号寺号が。

 

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大師堂がありました……っけ?

すっかり記憶にない。

手前の祠は、観音様っぽい……。

 

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ご神木。

 

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鐘。

 

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楽殿

びしっとしまっていました。

 

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境内摂社。

読めなかったりしますが、奥から「八坂」「天神」「?」「古峯」「狭長田」「痘」……。

 

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祠。

何がお祀りされているのか、はっきりとはわかりません。

御嶽講とかかな……。

 

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拝殿遠景。

参道からは想像できない、広々とした境内です。

 

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お稲荷さん。

 

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「船中安全」。

船霊……は船の外に祀ったりしないように思いますが、引退した船から遷されたのかな……。

 

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「水神社」。

 

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御朱印

 

随分水に関係する社があるんだなぁ……と、そういえば御祭神も確認していなかった。
神社でいただいた由緒書きによれば、御祭神は「天之御中主神」「高皇産霊神」「神皇産霊神」「天日鷲神」。

 

「当神社は正保元年(一六四四)九月五日、千葉家の遺族、登戸権介平定胤が祖先を供養するため千葉妙見寺(現在の千葉神社)の末寺(白蛇山真光院、通称登戸妙見寺)として妙見大菩薩を奉斎し、僧定弁に守護させたのがそのはじめであると伝えられております。その後、十四世興胤の時、慶応三年(一八六七)十二月二十六日、御社号を登渡神社と改め御祭神を天之御中主神以下の造化三神に定め、明治四十一年(一九〇八)十二月十八日、登戸字鷲塚(千葉市新千葉三丁目)鎮座、鷲神社(御祭神、天日鷲神)を合祀し、四柱の神様をお祭りすることになりました。(略)」

 

元々は「妙見さん」だったので、神仏分離で「天之御中主神」になった、と。

妙見菩薩」は、何度か引用していますが、北極星と同一視されまして、それが天の中心にいらっしゃるということで、「天之御中主神」とも同一視されていく、ということになったようです。

彫刻が見事だと思ったら、やはり諏訪の立川流

うむ、味わい深い神社でした……(いろいろと調べたいこともあるのですが……関東地方に多い妙見信仰と将門伝説と日蓮宗とか……時間が……)。

「道祖神社」(千葉市中央区)〜千葉道中

10/24。

宴は無事終わりまして、まずは千葉駅へ向かう……途中でピックアップ、道祖神社」

 

……公式HPはないようです。

ちょっと奥まった、住宅街の途中にあった……ような気がします。

 

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扁額から(なんで?)。

 

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本殿。

 

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再建でしょうか、彫刻がわりとキャラクターっぽくなっていて、これはこれで◯。

 

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翁嫗は、何がモチーフなんでしょう……不勉強(漢籍かな)。

 

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連続性……。

 

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天水桶でしょうか、石製は珍しいような……羽団扇ということは、「秋葉権現」もいらっしゃるかな。

 

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屋根。

瓦にも羽団扇……やはり秋葉権現か。

 

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おっと、昭和の末に移転されたようです。

 

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狛犬さん。

苔むしていてよき。

 

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道祖神」、と庚申塔か……今も信仰篤いようです。

 

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こちら立派な「青面金剛」……宝暦のもののようです。

うーん、頭頂部に何か顔っぽいものが残っている気がする……「馬頭観音」か……でも日月あるし、庚申塔だよな……。

隣のお堂はなんだったかな……。

 

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社標と鳥居と境内。

 

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遠景。

 

案内板や解説板はなく、せっかくの文化財なのにもったいないなぁ……と思いましたが、地元の氏神様であれば、それはそれでかまわないか……。

 

何か引用とかしようにも、やはり他の土地のことはわかりませんね……地域のかたにおまかせします。

 

さて、千葉道中二日目〜(一年以上前ですが)。

 

「三峯神社」(千葉市花見川区)〜千葉道中

10/23。

千葉の幕張で闇のお祭りがありましたので、それに出かけてまいりまして。

せっかくなので、どこか神社を巡ろう、と思い、京葉線検見川浜駅からうろうろと歩いておりまして、発見したのが三峯神社

 

◯こちら===>>>

www.kemigawa-jinja.com

 

オフィシャルHPなどはなかったので、「検見川神社」のHPを。

「検見川神社」の境外末社で、「犬飼神社」と呼ばれていたそうです。

 

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本殿……でいいのかな。

神使は、「三峯」であれば狼なのでしょうが、なんだろうこのサーフェイサー塗りたて、みたいな感じ……(去年のことなのであまりはっきり覚えていなかったりします)。

 

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狛犬さん、の彫刻。

サイズの小さいお社ながら、なかなか良い姿ではないかと。

 

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アップにしてみました。
謎。

 

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鳥居から。

 

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由緒書っぽいものが立っているのですが読めず……社名の扁額もなぜそこに……。

 

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小さい祠。

 

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本殿の前の……道なのか参道というべきか……。

 

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灯篭には「三峯大権現」とありますので、比較的近世のものでしょう。

 

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手水鉢。

 

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参道入口……わりと、入って行きづらい……。

 

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鳥居発見……ということで、私はここからではなく、この鳥居の向かい側にあった(はずの)入口から入ってきました……ええと、結構な高台にありまして、また高速道路(?)が近くを通っていて、スマホの地図を頼りにしても今ひとつ位置関係がわからなかった、という感じです。

 

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で、また狼さんがいらっしゃったですが……飛行石か?
肋骨浮き出ているところとか、結構写実的と思わせておいて、なんでまた赤く塗ったのか……口……修復したらこうなっちゃったんでしょうね……。

 

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社標のある道まで出ました。
結構のぼってます。


御朱印……は多分ないと思います。
文献を当たろうと思ったのですが、国会図書館ではうまく見つけられず……ううん、やっぱり地元でないと、こう、何を頼りに探ったらいいのか難しいですね……(千葉県神社庁は頑張ってないのだろうか……)。


はい、というわけで、下調べもせず、検索もろくにせず出かけたので、今回の千葉道中もどうなることやら……です。

「(新栄)白山神社」(名古屋市中区)

10/13。

中区は新栄付近にある、白山神社へ参拝。

公式HPはなく、神社仏閣ブロガー諸先輩方の記事はあるので、検索してみてください。

 

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鳥居。

こんもりしております。

 

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こんもり。

 

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拝殿。

 

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狛犬さん。

ごつごつ、むちむちしていて、これはこれでよろしいかと。

 

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拝殿遠景。

 

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末社の「床主」……「床主社」でよかったんだっけ……。

 

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楽殿(かな?)から拝殿を。

 

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狛犬さんその2。

 

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参道から拝殿を。

最初の鳥居とは、反対側になります。

 

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こちら、駐車場がある側の鳥居……だったと思います。

 

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「郷社」の社標。

 

おまけ。

近くにあった、「八王子社」と「青木神社」。
団地の一角、みたいな感じで鎮座されておりました……遷座できなかったのかな……いや、比較的新しい造りなので、遷座された結果、か。

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さらにその一角に、「地蔵菩薩」堂が。
鎮守を残した結果、みたいな感じでしょうか。

 

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さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

尾張名所図会』に、おそらくそれと思われる記事があります(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

146コマです。

 

白山権現社 駿河町通の東、小山の上にあり。此辺の生出神なるゆゑ、本社拝殿美を盡せり。例祭は六月九日、神楽ありて、町々の献灯山上まですき間なく、昼をあざむき、殊に群集せり。」

 

……まあ、「白山神社」は「稲荷」「八幡」「天神」とまではいかないまでも、比較的多い神社ですし……東海地方は、美濃と越前に白山がまたがっており、美濃側からの登頂も盛んに行われていたようですので、紙幅をそれほど割く必要はない、ということだったのかな、と。

 

◯こちら===>>>

名古屋市史. 社寺編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

困った時は『名古屋市史』。

郷社ですから、載っているだろう、と。

142コマです。

 

「四 白山神社
白山神社は東区東田町四丁目の南方に在り、社殿は古墳の上に立つ、(略)、創立の年月詳ならず、往古は春日井郡清須朝日郷に鎮座ありしが、慶長年中ここに遷座す、玄海寺社務を掌り、社を玄海寺の奥院とす、貞享二年、円教寺に改む、(略)、明治初年村社に列し、明治四十四年十二月二十二日、郷社に昇格す、此社地もと二段歩、山の走畑三段あり、燈明畑と云ひ、除地なりき、祭神は菊理媛命、(略)、境内神社は稲荷社(祭神宇迦之御魂神、尾張志に、「近世に曲瀬氏よりあづけとなれり」とあり)、須佐之男神社、天神社(祭神は菅公、岩津天満宮と称し、天保十年の勧請なり)あり、例祭はもとは六月九日、十日にして、九日に神楽あり、十日に餅を投ずるを例とせり、又小車に人形を飾りて、町中を曳きしこともあり、(以下略)」。

 

ほほう……古墳でしたか……。

名古屋市教育委員会のHPを見てみましたが、発掘調査に関する情報は見つからず……そういうものをネット上にどんどんあげておいてほしいですね……図書館に行かねばか……。

 

◯こちら===>>>

「白山宮」(日進市) - べにーのGinger Booker Club

「白山神社(大須)」(名古屋市中区) - べにーのGinger Booker Club

「小幡白山神社」(名古屋市守山区)〜高速初詣その3〜 - べにーのGinger Booker Club


近年、尾張東部、守山区から春日井、瀬戸にかけての地域の古墳群を「しだみ歴史の里」とかなんとか名前をつけて一大歴史スポットに仕立て上げようという構想が進行し、もうできたんだっけな……な感じで、いや、行ってみたいのですが、それはともかく、尾張東部の「白山神社」系で、いくつか巡ってみたところから、古墳と関係のある記事を引っ張ってみました。

そして、「白山神社」といえば、被差別部落と関係がある、と考える方がいらっしゃり、例えば現代の被差別部落に関する著書といったらこの人だろう、という塩見鮮一郎氏の『異形にされた人たち』 

異形にされた人たち (河出文庫)

異形にされた人たち (河出文庫)

 

 

から拾ってみると、

 

白山神社被差別部落氏神として、このところ、とくに注目されているが、白山神社が必ずしも部落にあるわけではない。白山神社が比較的近距離に二つあって、そのひとつが部落、ひとつはそうではないこともある。総本社はよく知られているように、石川県の白山比咩神社である。菊池山哉は、「東日本に於ては中世以降白山権現は部落以外には氏神として居ない」と断定している。一般的には、江戸時代になってから、関東各地の部落に白山神社ができたが、これは弾左衛門がすすめたからだといわれている。」(p176)


「また、
白山神社は長吏ばかりの神様ではない。別所の人も白山神を祀る、
と聞いた。」(p191)

 

といったことが書かれています。

塩見氏の検証は主に関東地方ですので、東海地方でどうだったのか、ということまではよくわかりません。

「長吏」というのは被差別部落の長的な人の呼称ですが、お寺を総括する立場の人の呼称でもあります(寺の「長吏」という呼称が先にあったものと思われます)。

「別所」は、この本で書かれているところでは、いわゆる「エミシの俘囚」を住まわせたところ、ということのようです。

新栄の「白山神社」は、清須越で移ってきたもので、もともとの清須ではどのような状況だったのかはわかりません。

また、古墳の上(近く)に神社がある、というのは、「白山神社」に限らず多く見られます。

古墳、というのは実はそこら中にありますし、ある程度の規模の古墳が密集しているところは、古代に栄えた土地だったことを示しています。

つまり、古代においては栄えた土地、ということです。

「古墳」を磐座のように考えて神社として祀るのは、わりと一般的な考え方だったのかもしれません。

そもそも、「野見宿禰」の後裔「土師」氏のような氏族は、「古墳」の造営と維持を役割としており、非常に重要で、ハレがましい存在だったと思われます。

しかし、「古墳」が作られなくなり、ケガレの思想が強くなると、「造営と維持」から「造営」の役割が落ち、「維持」をするだけ……墓守のようになっていきます。

「やな仕事」になるわけですね。

そして、「古墳」の記憶も地域からは失われていく、崩れる、崩される、神社として残っていれば幸い、「塚」と伝承されれば近寄りたくないものになっていったとしても不思議ではないと思います。

「古墳」の上の神社であることが重要なのではなく、「古墳」の上の神社だと「認識」されているかどうかが重要だったとすれば、さて、そんな墓の上の神社を鎮守だ氏神だ、と思いたいものでしょうか。

神社なのでそう簡単には廃せない、墓の上にあってはなおさら祟りということもある、じゃあどうしようか……。

 

 

 

そんなことをちょっと妄想します。

いかんな……もっと勉強しなければ。

 

名古屋市史』の、「燈明畑と云ひ」というのは、『尾張名所図絵』の「町々の献灯山上まですき間なく、昼をあざむき、殊に群集せり」のことを表しているのでしょうか。

盛大なお祭り……一般的にイメージされる、被差別民からちょっとずれているような気がします……が、祭りは「ハレ」の日ですから、そういったことは関係なかったのか……こういった方面からのアプローチもあるんでしょうか。

不勉強不勉強。

 

「高牟神社」(再/名古屋市千種区)

10/13。

何となく名古屋市内を巡っていなかったので、行ってみました「高牟神社」

 

◯こちら===>>>

「高牟神社」 - べにーのGinger Booker Club

「物部神社」(補・「高牟神社」) - べにーのGinger Booker Club



↑以前の記事です。
まあ、再訪なので(記事にしていないだけで何度か参拝しております)……最近は、狛犬さんハンターとなってきておりますので、そこら辺りを中心に。

 

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ということで、引用なぞを(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

まずは、

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『尾張名所図会』から。

274コマです。

 

「高牟神社 古井村にあり。成務天皇の御宇の鎮座なり。[延喜式]に高牟神社、[本国帳]に従三位高牟天神とあるは此社にて、俗に古井八幡と稱す。
本社 祭神 高産霊尊。 清和天皇の勅によりて、応神天皇を合祭れり。毎年正月元日寅の刻より辰の刻まで開扉あり。御正体は船に乗り給へる神像なり。故に船出八幡とも稱す。寛永十一年、山下大和氏勝修復を加えらり。
例祭 九月十五日。相撲あり。
神宝 弁慶が書写せしといひ伝へたる大般若経五十巻あり。」

 

……ううむ、わりと情報が多い……『延喜式』に名前が載っているくらいですから、古い神社なのですが、江戸時代まで続いていたかどうかの確認は難しいですね。
清和天皇」の勅命で「応神天皇」を合祀……意味ありげ、に見えてそんなに意味はないのか。
おっと、神社もご開帳的なイベントを行なうことがあったのですね、徳川時代には……「応神天皇」に「海上交通」のご利益……もう「八幡大菩薩」になってからは軍神なんですけれど、「神功皇后」と「住吉三神」の影響があるということかな……。
相撲、とあえて書かれているのは、相撲が有名だったから、なんでしょうね(珍しくはなさそうですが……むしろ、ポピュラーな見世物だったから、観光案内的には「ありまっせ」と書いたのかな……)。

 

 ◯こちら===>>>

名古屋市史. 社寺編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『名古屋市史』も見ておきましょうか。
175コマです。

 

「二 高牟神社
高牟神社は愛知郡千種町字古井(もと愛知郡古井村、古井古くは小井に作る)に在り、(略)、古くは八幡宮と號し、俗に古井の八幡と稱す、延喜式神名帳愛知郡の部に高牟神社あり、小社なり、国内神名帳に、従三位高牟久天神、参考本国帳に「従三位高牟神社、天神、一本作正四位下高牟久(古井村号八幡)」尾張国式社座地目録に「高牟田神社(鳴海庄古井村)」とあり、尾張国式社考に社号を考証して、「高は古の仮字、牟は韋宇の上の■を脱せるものにて、決て古韋とありけんなるべく、其を此地にて古井と作るは後の転なり」とし、明治随筆には「高牟は高御魂の略歟」とせり、(本社を延喜式の高牟神社に充つることは、諸書概ね一致する所なれど、尾張国地名考には之を誤なりとし、御器所八幡宮是歟と云へり)、成務天皇の御代の鎮座にして、清和天皇の御宇造営の時、勑して応神天皇を配祀せしめらるといふ、嘉吉元年、寛正二年十一月、天文元年九月、永禄八年五月、慶長八年十一月等に改造あり、寛永十一年正月、山下大和守氏勝修理を加へ、天和三年九月、藩主光義(略)修覆せられし以来、城南の鎮護として崇敬せられ、絶えず修造料を賜はる、(略)、明治初年式内に治定し、五年五月郷社に列せらる、祭神は高皇産霊神神皇産霊神応神天皇の三柱なり。

張州府志、尾張志、金鱗九十九之塵には神皇産霊神なし、尾張神名帳集説、参考本国神名帳集説、塵點録には、按姓氏録曰、高向朝臣武内宿禰六世孫、猪子臣之後也云々、私曰く、武内宿禰仕応神帝、有勲功、故石清水祭之、号上高良、称八幡者、有其故乎」といへり、今社伝に、古来の神職小島家は武内宿禰六世の孫猪子臣の後裔なりといへば、蓋応神天皇の配祀は往古よりなるべし、今神体の高皇産霊神土偶立像、神皇産霊神は同坐像、(此二体は初め宮中に奉祀せられしを、成務天皇の時此社に遷されしものといふ)、応神天皇は束帯乗船の香木坐像にして、御自作と伝ふるものなり。

(略)境内社神明社(略)、金刀比羅社(略)、白山社(略)、稲荷社(略)の四所あり、此外にもと薬師堂ありて同村(略)善久寺(曹洞宗)の持なりしが、維新の際之をハ廃し、本尊の木造薬師如来座像は今之を善久寺の観音堂内に安置す、例祭は十月十四日、(略)十五日氏子大祭にて、大提灯一張を點す(徳川時代には、九月十五日相撲ありき)、古来正月元旦未明(もとは寅の刻より辰の刻まで)に開扉して応神天皇の御霊璽を氏子一般に参拝せしむ(略)、

伝説に弁慶、本社の東の光正院(曹洞宗)に寓し、本社に祈願する所あり、大般若経五十巻を書写して、本社に納め、又松七本、フクラシバの樹を植えたりと、今其写経は消失して、残片をも留めず、フクラシバは枯死し、只弁慶手植の松と称する大木四本のみを存す(略)
境内に古井あり、もと礦泉にして、奇効ありき、これ古井村の名の起源なりといふ、尾張国地名考には此説を排して、古は仮字なり、正字小井村なり、(略)溜池あるより呼初たる地名なり、井は堀井をいふにあらず、田井とて水の溜池の事なり」といへり、
明治随筆に、「祠官の家に伝ふる社記云、元玄海村白山山に坐せしを、慶長築城の時、今の地に移す」と見ゆ、真偽詳ならざれど、姑く一説として茲に掲ぐ」

 

もっと情報多かったな……あちこち端折っています。
社名の「高牟(たかむ)」が何に由来するのか、という考察がいくつか載っていますね……よくわかりませんが。
近くには「物部神社」があるのですが、この「高牟神社」「物部神社」のセットが、「愛智郡」だけでなく、「春日部郡」にもあったのです。
正直よくわかりません……「高座結御子神社」というのが、名古屋にはありまして、「熱田神宮」の摂社なんですが……

 

◯こちら===>>>

「高座結御子神社」 - べにーのGinger Booker Club

補遺「高座結御子神社」 - べにーのGinger Booker Club


さて、何か関係があるのかないのか……物部系の神話の名残のようには思います。
また、本当かどうかともかく、名古屋市教育委員会の案内板にあるように、物部氏の武器庫が「高牟神社」となった、というのであれば、もうそれは「石上神宮」のミニチュア版……あるいは、「石上神宮」があったので、「物部氏」系の集落には武器庫としての「倉」が備わっていたと……この辺りは『日本書紀』の「石上神宮」関連の記事を読んでいただければよろしいかと。

 

◯こちら===>>>

「石上神宮」(補々々々々々) - べにーのGinger Booker Club

 

↑この辺りで紹介しています。
「たかむ」は「たかみくら」の転、くらいでいいのではないかな、と思います。
御祭神的には「高倉下命」だったんじゃないかな……そこに何故「応神天皇」を持ってきたのかはわかりませんが……まあ、そうなっちゃったのであれば、しかたがないかと。
「弁慶」書写の「大般若経」は、徳川時代にはあったのに、昭和初期にはもうなくなっていたのか……。

 

ちょっと雑な感じになりましたが、こんな妄想で終わりたいと思います〜。

「静岡浅間神社」(補)+ おまけ「千勝浅間神社」

さて。

まずは『東海道名所図会』から。

 

 

新訂 東海道名所図会〈中〉尾張・三河・遠江・駿河編 (新訂 日本名所図会集)

新訂 東海道名所図会〈中〉尾張・三河・遠江・駿河編 (新訂 日本名所図会集)

 


310ページです。

 

「浅間社
賤機山の麓にあり。当府内生土神となす。例祭四月初申日、十一月同日。
(略)
祭神 木花開耶姫命 左瓊々杵尊 右万機姫命。
惣社 社内にあり。祭神大己貴命。
奈吾屋祠 本社の側にあり。祭神大山祇命。
(略)
貝原益軒『吾嬬路記』にいわく、当社は富士浅間の新宮なり。延喜年中、富士の本宮をここに勧請す。本社二所北にありて卯に向かう。摂社南に立ちて巳に向う。山の宮石壇百四級あり。同所南の山に穴あり。そこしらずという。
当社の宮づくり、美麗なる大社なり。日本にて神社の美麗なること、日光を第一とし、浅間を第二とすという。社宮は新宮左近、惣社宮内とて両人ありと書けり。」

 

うむ……『東海道名所図会』は、『尾張名所図会』と違って結構淡白なのが玉に瑕……延喜年間に勧請されて、「日光東照宮」に比肩する社殿だと語られており、なおかつ駿府ですから、幕府に目をつけられるようなことは書けないわけで……「浅間神社」のことを妄想しようと思えば富士に行くほかないのです。

 

「山の宮石壇百四級あり。同所南の山に穴あり。そこしらずという。」

 

麓山神社」までの様子や、おそらく古墳のことなのかと思いますが、江戸後期、今とそれほど変わらない感じもあります。
ところで、「奈吾屋祠」って、なんでそう呼ばれていたんでしょう……結構古くからの呼称なのかな……。
不勉強すぎるので、あまり突っ込まず行きたいと思います。
で、式内社比定ということですので、

 

◯こちら===>>>

神社覈録. 上編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

『神社覈録』から。
448コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

神部神社
(略)◯祭神 大己貴命、相殿栲幡千々姫命、瓊々杵尊(志)、又云天照太神風土記)、◯府中志都機山麓惣社相殿に在す、(略)◯惣国風土記五十五残缼云薦河安弁郡神部神社、則日本武尊、所祭太神宮也、(以下虫食)、駿河國志云、賤機山惣社本社、相殿の神二座、類聚国史に、止豆鰭大己貴神社、又延喜式に当国安倍郡神部神社と申奉るは、則総社の御事也、本社は大己貴の大神にてまします、又国史に、惣社は栲幡千々姫命と瓊々杵尊両神を祭り奉るとありて、紛らはしきやうなれども、今本社は大己貴命にて、瓊々杵尊と栲幡千々姫は相殿にまします、神部神社は別社、七社の中に天照太神まします、日本武尊此国に下り玉ひし時遥拝の霊跡にて、伊勢太神を祭り玉ふとて(以下略)」

 

おっと、順番的に「神部神社」になってしまいました。
続いては、

 

大歳御祖神社
(略)◯祭神玉依媛(風土記)、◯府中志津機山麓浅間宮傍に在す、今奈吾屋本社と称す(駿河志◼︎考)、(略)◯惣国風土記五十五残缼云、薦河安辨郡大歳御祖神社、(◼︎◼︎神)誉田天皇四年癸巳始祭之、大歳御祖神者号玉依姫、賀茂健角見命之女也、雷神者伊弉冊尊生火神訶遇突智終焼、伊弉諾尊斬為三段、故其一為雷神云(以下略)」

 

ふむふむ。
あ、「浅間神社」は式内社ではないのです……駿河式内社で「浅間神社」ったらもう富士の本宮のほうですので……。

 

◯こちら===>>>

特選神名牒 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『特選神名牒』も見ておきましょうか。
184コマです。

 

神部神社
神大己貴命
今按社伝祭神大己貴命相殿彦々火瓊々杵尊栲幡千々姫命とあれと萬幡姫は志豆機山の名より云出で此姫神の御名によりて瓊々杵尊をも祭れるにて実は大己貴命主神なるべし故今一座を記せり
(略)
今按一説に当社の神明社なりとも又廬原郡河合村なる神明社なりとも云ど詳かならず今は注進状に従へり」

 

大歳御祖神社 (称 奈吾屋本社)
神大歳御祖神
今按皇太神宮儀式帳に湯田社一處称鳴震雷又大歳御祖命とある同神とみえたりされば此社を奈吾屋本社と云也安倍郡奈吾屋火雷地祇とあるも由ありげなり
(略)
今按一説に静岡の市中なる雷宮を近世大歳御祖皇神社といへど彼社は神階帳に従五位上安倍郡奈吾屋火雷地祇と見えて古へ当社を移し祭れりしにて中世までは即別宮摂社の如くなりしかば式に載られし社は当社なる事云も更なりかの雷宮は有度郡にて郡も違へればかたがた由なし」

 

……なんだ、「鳴震雷」って……。

 

◯こちら===>>>

群書類従. 第壹輯 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

群書類従』に、『皇太神宮儀式帳』がありますので、そちらから。

17コマです。

 

「湯田[神]社。一處(湯田村在)。称鳴宸電。又太歳御祖命。形無。同御宇(※ブログ筆者注:「大長谷天皇」、「雄略天皇」の御宇と思われます)定祝」

 

……ううむ、「鳴宸電」、「鳴震雷」、言いたいことは「なるみかずち」ということなのでしょうから、雷神でしょうか……。

「大歳神(大年神)」の「御祖」だから「大年御祖命」だとすると、「神大市比売命」という、「須佐之男神」の妻神の一柱、のことを指しており、「市(場)の守護神」だったり、「大歳神(大年神)」や「宇迦之御魂神」という穀物関係の母神であるので、五穀豊穣の神だったりするようです。

じゃあ雷神じゃないのか、というとそうではなく、ほら、「稲妻」だし、「稲荷」なので、その母神もまた雷神≒蛇神の属性があるものと思われます。

湯田神社」、と「田」が入っているくらいなので、どうも「神宮」の「斎田」が地名の語源ではないか、ということは「田」の守護神が必要で、「市」の守護神なのかなぁ……駿河の「大歳御祖神社」もやはり、そうした役割だったのか……ううむ……。

で、なんで「奈吾屋」なんでしょう……それがまったく想像できません(いえ、多分何かしら、地名なんだと思います……さすがに名古屋は関係ないですよ、徳川お膝元だからっていってねぇ……)。

『神社覈録』のほうは、「大山咋神」の妻の「玉依姫」を「大歳御祖神」としていて、「大山祇神」と「大山咋神」の混乱が見られる感じですね……「大山咋神」は雷神属性ありますが、その妻神にはないような……。

神部神社」のほうは、「賎機山」という地名が先にあって、そこに「万幡豊秋津師比売命(栲幡千々姫命)」を引っ張ってきた、というのが正解のように思えます(あまり単体でお祀りされることはないので)。

何かしら、機織りと関係しているのかもしれませんが……そういえば、式内社で「倭文神社」が富士郡にありますな……さて……。

あ、そうだ、

 

◯こちら===>>>

「飛騨一宮水無神社」(岐阜県高山市) - べにーのGinger Booker Club

「飛騨一宮水無神社」(補) - べにーのGinger Booker Club

 

↑「飛騨一宮水無神社」の記事ですが、「左甚五郎作の木彫りの馬」の伝説が残っています(実際の作者は異なるようですが)。

水無神社」の御祭神は「御年神」、「大歳神(大年神)」の御子神です。

 

 

……さあ、何か関係があるんじゃないかと思ったあなたは、陰謀論とかに気をつけたほうがいいです(私もです)。

雑な記事になってしまいましたが、あとは郷土史家のみなさんにおまかせします。

 

おまけ。
「千勝浅間神社」、夕暮れの様子。

 

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イベント目的地の近くだったので、寄りました。
村の鎮守の、という感じが残っていて、こういうところのほうが萌えますね(?)。

一日限りの静岡巡り終了〜。

次はいついけるかなぁ……。