べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「道祖神社」(千葉市中央区)〜千葉道中

10/24。

宴は無事終わりまして、まずは千葉駅へ向かう……途中でピックアップ、道祖神社」

 

……公式HPはないようです。

ちょっと奥まった、住宅街の途中にあった……ような気がします。

 

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扁額から(なんで?)。

 

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本殿。

 

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再建でしょうか、彫刻がわりとキャラクターっぽくなっていて、これはこれで◯。

 

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翁嫗は、何がモチーフなんでしょう……不勉強(漢籍かな)。

 

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連続性……。

 

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天水桶でしょうか、石製は珍しいような……羽団扇ということは、「秋葉権現」もいらっしゃるかな。

 

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屋根。

瓦にも羽団扇……やはり秋葉権現か。

 

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おっと、昭和の末に移転されたようです。

 

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狛犬さん。

苔むしていてよき。

 

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道祖神」、と庚申塔か……今も信仰篤いようです。

 

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こちら立派な「青面金剛」……宝暦のもののようです。

うーん、頭頂部に何か顔っぽいものが残っている気がする……「馬頭観音」か……でも日月あるし、庚申塔だよな……。

隣のお堂はなんだったかな……。

 

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社標と鳥居と境内。

 

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遠景。

 

案内板や解説板はなく、せっかくの文化財なのにもったいないなぁ……と思いましたが、地元の氏神様であれば、それはそれでかまわないか……。

 

何か引用とかしようにも、やはり他の土地のことはわかりませんね……地域のかたにおまかせします。

 

さて、千葉道中二日目〜(一年以上前ですが)。

 

「三峯神社」(千葉市花見川区)〜千葉道中

10/23。

千葉の幕張で闇のお祭りがありましたので、それに出かけてまいりまして。

せっかくなので、どこか神社を巡ろう、と思い、京葉線検見川浜駅からうろうろと歩いておりまして、発見したのが三峯神社

 

◯こちら===>>>

www.kemigawa-jinja.com

 

オフィシャルHPなどはなかったので、「検見川神社」のHPを。

「検見川神社」の境外末社で、「犬飼神社」と呼ばれていたそうです。

 

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本殿……でいいのかな。

神使は、「三峯」であれば狼なのでしょうが、なんだろうこのサーフェイサー塗りたて、みたいな感じ……(去年のことなのであまりはっきり覚えていなかったりします)。

 

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狛犬さん、の彫刻。

サイズの小さいお社ながら、なかなか良い姿ではないかと。

 

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アップにしてみました。
謎。

 

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鳥居から。

 

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由緒書っぽいものが立っているのですが読めず……社名の扁額もなぜそこに……。

 

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小さい祠。

 

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本殿の前の……道なのか参道というべきか……。

 

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灯篭には「三峯大権現」とありますので、比較的近世のものでしょう。

 

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手水鉢。

 

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参道入口……わりと、入って行きづらい……。

 

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鳥居発見……ということで、私はここからではなく、この鳥居の向かい側にあった(はずの)入口から入ってきました……ええと、結構な高台にありまして、また高速道路(?)が近くを通っていて、スマホの地図を頼りにしても今ひとつ位置関係がわからなかった、という感じです。

 

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で、また狼さんがいらっしゃったですが……飛行石か?
肋骨浮き出ているところとか、結構写実的と思わせておいて、なんでまた赤く塗ったのか……口……修復したらこうなっちゃったんでしょうね……。

 

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社標のある道まで出ました。
結構のぼってます。


御朱印……は多分ないと思います。
文献を当たろうと思ったのですが、国会図書館ではうまく見つけられず……ううん、やっぱり地元でないと、こう、何を頼りに探ったらいいのか難しいですね……(千葉県神社庁は頑張ってないのだろうか……)。


はい、というわけで、下調べもせず、検索もろくにせず出かけたので、今回の千葉道中もどうなることやら……です。

「(新栄)白山神社」(名古屋市中区)

10/13。

中区は新栄付近にある、白山神社へ参拝。

公式HPはなく、神社仏閣ブロガー諸先輩方の記事はあるので、検索してみてください。

 

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鳥居。

こんもりしております。

 

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こんもり。

 

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拝殿。

 

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狛犬さん。

ごつごつ、むちむちしていて、これはこれでよろしいかと。

 

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拝殿遠景。

 

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末社の「床主」……「床主社」でよかったんだっけ……。

 

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楽殿(かな?)から拝殿を。

 

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狛犬さんその2。

 

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参道から拝殿を。

最初の鳥居とは、反対側になります。

 

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こちら、駐車場がある側の鳥居……だったと思います。

 

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「郷社」の社標。

 

おまけ。

近くにあった、「八王子社」と「青木神社」。
団地の一角、みたいな感じで鎮座されておりました……遷座できなかったのかな……いや、比較的新しい造りなので、遷座された結果、か。

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さらにその一角に、「地蔵菩薩」堂が。
鎮守を残した結果、みたいな感じでしょうか。

 

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さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

尾張名所図会』に、おそらくそれと思われる記事があります(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

146コマです。

 

白山権現社 駿河町通の東、小山の上にあり。此辺の生出神なるゆゑ、本社拝殿美を盡せり。例祭は六月九日、神楽ありて、町々の献灯山上まですき間なく、昼をあざむき、殊に群集せり。」

 

……まあ、「白山神社」は「稲荷」「八幡」「天神」とまではいかないまでも、比較的多い神社ですし……東海地方は、美濃と越前に白山がまたがっており、美濃側からの登頂も盛んに行われていたようですので、紙幅をそれほど割く必要はない、ということだったのかな、と。

 

◯こちら===>>>

名古屋市史. 社寺編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

困った時は『名古屋市史』。

郷社ですから、載っているだろう、と。

142コマです。

 

「四 白山神社
白山神社は東区東田町四丁目の南方に在り、社殿は古墳の上に立つ、(略)、創立の年月詳ならず、往古は春日井郡清須朝日郷に鎮座ありしが、慶長年中ここに遷座す、玄海寺社務を掌り、社を玄海寺の奥院とす、貞享二年、円教寺に改む、(略)、明治初年村社に列し、明治四十四年十二月二十二日、郷社に昇格す、此社地もと二段歩、山の走畑三段あり、燈明畑と云ひ、除地なりき、祭神は菊理媛命、(略)、境内神社は稲荷社(祭神宇迦之御魂神、尾張志に、「近世に曲瀬氏よりあづけとなれり」とあり)、須佐之男神社、天神社(祭神は菅公、岩津天満宮と称し、天保十年の勧請なり)あり、例祭はもとは六月九日、十日にして、九日に神楽あり、十日に餅を投ずるを例とせり、又小車に人形を飾りて、町中を曳きしこともあり、(以下略)」。

 

ほほう……古墳でしたか……。

名古屋市教育委員会のHPを見てみましたが、発掘調査に関する情報は見つからず……そういうものをネット上にどんどんあげておいてほしいですね……図書館に行かねばか……。

 

◯こちら===>>>

「白山宮」(日進市) - べにーのGinger Booker Club

「白山神社(大須)」(名古屋市中区) - べにーのGinger Booker Club

「小幡白山神社」(名古屋市守山区)〜高速初詣その3〜 - べにーのGinger Booker Club


近年、尾張東部、守山区から春日井、瀬戸にかけての地域の古墳群を「しだみ歴史の里」とかなんとか名前をつけて一大歴史スポットに仕立て上げようという構想が進行し、もうできたんだっけな……な感じで、いや、行ってみたいのですが、それはともかく、尾張東部の「白山神社」系で、いくつか巡ってみたところから、古墳と関係のある記事を引っ張ってみました。

そして、「白山神社」といえば、被差別部落と関係がある、と考える方がいらっしゃり、例えば現代の被差別部落に関する著書といったらこの人だろう、という塩見鮮一郎氏の『異形にされた人たち』 

異形にされた人たち (河出文庫)

異形にされた人たち (河出文庫)

 

 

から拾ってみると、

 

白山神社被差別部落氏神として、このところ、とくに注目されているが、白山神社が必ずしも部落にあるわけではない。白山神社が比較的近距離に二つあって、そのひとつが部落、ひとつはそうではないこともある。総本社はよく知られているように、石川県の白山比咩神社である。菊池山哉は、「東日本に於ては中世以降白山権現は部落以外には氏神として居ない」と断定している。一般的には、江戸時代になってから、関東各地の部落に白山神社ができたが、これは弾左衛門がすすめたからだといわれている。」(p176)


「また、
白山神社は長吏ばかりの神様ではない。別所の人も白山神を祀る、
と聞いた。」(p191)

 

といったことが書かれています。

塩見氏の検証は主に関東地方ですので、東海地方でどうだったのか、ということまではよくわかりません。

「長吏」というのは被差別部落の長的な人の呼称ですが、お寺を総括する立場の人の呼称でもあります(寺の「長吏」という呼称が先にあったものと思われます)。

「別所」は、この本で書かれているところでは、いわゆる「エミシの俘囚」を住まわせたところ、ということのようです。

新栄の「白山神社」は、清須越で移ってきたもので、もともとの清須ではどのような状況だったのかはわかりません。

また、古墳の上(近く)に神社がある、というのは、「白山神社」に限らず多く見られます。

古墳、というのは実はそこら中にありますし、ある程度の規模の古墳が密集しているところは、古代に栄えた土地だったことを示しています。

つまり、古代においては栄えた土地、ということです。

「古墳」を磐座のように考えて神社として祀るのは、わりと一般的な考え方だったのかもしれません。

そもそも、「野見宿禰」の後裔「土師」氏のような氏族は、「古墳」の造営と維持を役割としており、非常に重要で、ハレがましい存在だったと思われます。

しかし、「古墳」が作られなくなり、ケガレの思想が強くなると、「造営と維持」から「造営」の役割が落ち、「維持」をするだけ……墓守のようになっていきます。

「やな仕事」になるわけですね。

そして、「古墳」の記憶も地域からは失われていく、崩れる、崩される、神社として残っていれば幸い、「塚」と伝承されれば近寄りたくないものになっていったとしても不思議ではないと思います。

「古墳」の上の神社であることが重要なのではなく、「古墳」の上の神社だと「認識」されているかどうかが重要だったとすれば、さて、そんな墓の上の神社を鎮守だ氏神だ、と思いたいものでしょうか。

神社なのでそう簡単には廃せない、墓の上にあってはなおさら祟りということもある、じゃあどうしようか……。

 

 

 

そんなことをちょっと妄想します。

いかんな……もっと勉強しなければ。

 

名古屋市史』の、「燈明畑と云ひ」というのは、『尾張名所図絵』の「町々の献灯山上まですき間なく、昼をあざむき、殊に群集せり」のことを表しているのでしょうか。

盛大なお祭り……一般的にイメージされる、被差別民からちょっとずれているような気がします……が、祭りは「ハレ」の日ですから、そういったことは関係なかったのか……こういった方面からのアプローチもあるんでしょうか。

不勉強不勉強。

 

「高牟神社」(再/名古屋市千種区)

10/13。

何となく名古屋市内を巡っていなかったので、行ってみました「高牟神社」

 

◯こちら===>>>

「高牟神社」 - べにーのGinger Booker Club

「物部神社」(補・「高牟神社」) - べにーのGinger Booker Club



↑以前の記事です。
まあ、再訪なので(記事にしていないだけで何度か参拝しております)……最近は、狛犬さんハンターとなってきておりますので、そこら辺りを中心に。

 

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ということで、引用なぞを(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

まずは、

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『尾張名所図会』から。

274コマです。

 

「高牟神社 古井村にあり。成務天皇の御宇の鎮座なり。[延喜式]に高牟神社、[本国帳]に従三位高牟天神とあるは此社にて、俗に古井八幡と稱す。
本社 祭神 高産霊尊。 清和天皇の勅によりて、応神天皇を合祭れり。毎年正月元日寅の刻より辰の刻まで開扉あり。御正体は船に乗り給へる神像なり。故に船出八幡とも稱す。寛永十一年、山下大和氏勝修復を加えらり。
例祭 九月十五日。相撲あり。
神宝 弁慶が書写せしといひ伝へたる大般若経五十巻あり。」

 

……ううむ、わりと情報が多い……『延喜式』に名前が載っているくらいですから、古い神社なのですが、江戸時代まで続いていたかどうかの確認は難しいですね。
清和天皇」の勅命で「応神天皇」を合祀……意味ありげ、に見えてそんなに意味はないのか。
おっと、神社もご開帳的なイベントを行なうことがあったのですね、徳川時代には……「応神天皇」に「海上交通」のご利益……もう「八幡大菩薩」になってからは軍神なんですけれど、「神功皇后」と「住吉三神」の影響があるということかな……。
相撲、とあえて書かれているのは、相撲が有名だったから、なんでしょうね(珍しくはなさそうですが……むしろ、ポピュラーな見世物だったから、観光案内的には「ありまっせ」と書いたのかな……)。

 

 ◯こちら===>>>

名古屋市史. 社寺編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『名古屋市史』も見ておきましょうか。
175コマです。

 

「二 高牟神社
高牟神社は愛知郡千種町字古井(もと愛知郡古井村、古井古くは小井に作る)に在り、(略)、古くは八幡宮と號し、俗に古井の八幡と稱す、延喜式神名帳愛知郡の部に高牟神社あり、小社なり、国内神名帳に、従三位高牟久天神、参考本国帳に「従三位高牟神社、天神、一本作正四位下高牟久(古井村号八幡)」尾張国式社座地目録に「高牟田神社(鳴海庄古井村)」とあり、尾張国式社考に社号を考証して、「高は古の仮字、牟は韋宇の上の■を脱せるものにて、決て古韋とありけんなるべく、其を此地にて古井と作るは後の転なり」とし、明治随筆には「高牟は高御魂の略歟」とせり、(本社を延喜式の高牟神社に充つることは、諸書概ね一致する所なれど、尾張国地名考には之を誤なりとし、御器所八幡宮是歟と云へり)、成務天皇の御代の鎮座にして、清和天皇の御宇造営の時、勑して応神天皇を配祀せしめらるといふ、嘉吉元年、寛正二年十一月、天文元年九月、永禄八年五月、慶長八年十一月等に改造あり、寛永十一年正月、山下大和守氏勝修理を加へ、天和三年九月、藩主光義(略)修覆せられし以来、城南の鎮護として崇敬せられ、絶えず修造料を賜はる、(略)、明治初年式内に治定し、五年五月郷社に列せらる、祭神は高皇産霊神神皇産霊神応神天皇の三柱なり。

張州府志、尾張志、金鱗九十九之塵には神皇産霊神なし、尾張神名帳集説、参考本国神名帳集説、塵點録には、按姓氏録曰、高向朝臣武内宿禰六世孫、猪子臣之後也云々、私曰く、武内宿禰仕応神帝、有勲功、故石清水祭之、号上高良、称八幡者、有其故乎」といへり、今社伝に、古来の神職小島家は武内宿禰六世の孫猪子臣の後裔なりといへば、蓋応神天皇の配祀は往古よりなるべし、今神体の高皇産霊神土偶立像、神皇産霊神は同坐像、(此二体は初め宮中に奉祀せられしを、成務天皇の時此社に遷されしものといふ)、応神天皇は束帯乗船の香木坐像にして、御自作と伝ふるものなり。

(略)境内社神明社(略)、金刀比羅社(略)、白山社(略)、稲荷社(略)の四所あり、此外にもと薬師堂ありて同村(略)善久寺(曹洞宗)の持なりしが、維新の際之をハ廃し、本尊の木造薬師如来座像は今之を善久寺の観音堂内に安置す、例祭は十月十四日、(略)十五日氏子大祭にて、大提灯一張を點す(徳川時代には、九月十五日相撲ありき)、古来正月元旦未明(もとは寅の刻より辰の刻まで)に開扉して応神天皇の御霊璽を氏子一般に参拝せしむ(略)、

伝説に弁慶、本社の東の光正院(曹洞宗)に寓し、本社に祈願する所あり、大般若経五十巻を書写して、本社に納め、又松七本、フクラシバの樹を植えたりと、今其写経は消失して、残片をも留めず、フクラシバは枯死し、只弁慶手植の松と称する大木四本のみを存す(略)
境内に古井あり、もと礦泉にして、奇効ありき、これ古井村の名の起源なりといふ、尾張国地名考には此説を排して、古は仮字なり、正字小井村なり、(略)溜池あるより呼初たる地名なり、井は堀井をいふにあらず、田井とて水の溜池の事なり」といへり、
明治随筆に、「祠官の家に伝ふる社記云、元玄海村白山山に坐せしを、慶長築城の時、今の地に移す」と見ゆ、真偽詳ならざれど、姑く一説として茲に掲ぐ」

 

もっと情報多かったな……あちこち端折っています。
社名の「高牟(たかむ)」が何に由来するのか、という考察がいくつか載っていますね……よくわかりませんが。
近くには「物部神社」があるのですが、この「高牟神社」「物部神社」のセットが、「愛智郡」だけでなく、「春日部郡」にもあったのです。
正直よくわかりません……「高座結御子神社」というのが、名古屋にはありまして、「熱田神宮」の摂社なんですが……

 

◯こちら===>>>

「高座結御子神社」 - べにーのGinger Booker Club

補遺「高座結御子神社」 - べにーのGinger Booker Club


さて、何か関係があるのかないのか……物部系の神話の名残のようには思います。
また、本当かどうかともかく、名古屋市教育委員会の案内板にあるように、物部氏の武器庫が「高牟神社」となった、というのであれば、もうそれは「石上神宮」のミニチュア版……あるいは、「石上神宮」があったので、「物部氏」系の集落には武器庫としての「倉」が備わっていたと……この辺りは『日本書紀』の「石上神宮」関連の記事を読んでいただければよろしいかと。

 

◯こちら===>>>

「石上神宮」(補々々々々々) - べにーのGinger Booker Club

 

↑この辺りで紹介しています。
「たかむ」は「たかみくら」の転、くらいでいいのではないかな、と思います。
御祭神的には「高倉下命」だったんじゃないかな……そこに何故「応神天皇」を持ってきたのかはわかりませんが……まあ、そうなっちゃったのであれば、しかたがないかと。
「弁慶」書写の「大般若経」は、徳川時代にはあったのに、昭和初期にはもうなくなっていたのか……。

 

ちょっと雑な感じになりましたが、こんな妄想で終わりたいと思います〜。

「静岡浅間神社」(補)+ おまけ「千勝浅間神社」

さて。

まずは『東海道名所図会』から。

 

 

新訂 東海道名所図会〈中〉尾張・三河・遠江・駿河編 (新訂 日本名所図会集)

新訂 東海道名所図会〈中〉尾張・三河・遠江・駿河編 (新訂 日本名所図会集)

 


310ページです。

 

「浅間社
賤機山の麓にあり。当府内生土神となす。例祭四月初申日、十一月同日。
(略)
祭神 木花開耶姫命 左瓊々杵尊 右万機姫命。
惣社 社内にあり。祭神大己貴命。
奈吾屋祠 本社の側にあり。祭神大山祇命。
(略)
貝原益軒『吾嬬路記』にいわく、当社は富士浅間の新宮なり。延喜年中、富士の本宮をここに勧請す。本社二所北にありて卯に向かう。摂社南に立ちて巳に向う。山の宮石壇百四級あり。同所南の山に穴あり。そこしらずという。
当社の宮づくり、美麗なる大社なり。日本にて神社の美麗なること、日光を第一とし、浅間を第二とすという。社宮は新宮左近、惣社宮内とて両人ありと書けり。」

 

うむ……『東海道名所図会』は、『尾張名所図会』と違って結構淡白なのが玉に瑕……延喜年間に勧請されて、「日光東照宮」に比肩する社殿だと語られており、なおかつ駿府ですから、幕府に目をつけられるようなことは書けないわけで……「浅間神社」のことを妄想しようと思えば富士に行くほかないのです。

 

「山の宮石壇百四級あり。同所南の山に穴あり。そこしらずという。」

 

麓山神社」までの様子や、おそらく古墳のことなのかと思いますが、江戸後期、今とそれほど変わらない感じもあります。
ところで、「奈吾屋祠」って、なんでそう呼ばれていたんでしょう……結構古くからの呼称なのかな……。
不勉強すぎるので、あまり突っ込まず行きたいと思います。
で、式内社比定ということですので、

 

◯こちら===>>>

神社覈録. 上編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

『神社覈録』から。
448コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

神部神社
(略)◯祭神 大己貴命、相殿栲幡千々姫命、瓊々杵尊(志)、又云天照太神風土記)、◯府中志都機山麓惣社相殿に在す、(略)◯惣国風土記五十五残缼云薦河安弁郡神部神社、則日本武尊、所祭太神宮也、(以下虫食)、駿河國志云、賤機山惣社本社、相殿の神二座、類聚国史に、止豆鰭大己貴神社、又延喜式に当国安倍郡神部神社と申奉るは、則総社の御事也、本社は大己貴の大神にてまします、又国史に、惣社は栲幡千々姫命と瓊々杵尊両神を祭り奉るとありて、紛らはしきやうなれども、今本社は大己貴命にて、瓊々杵尊と栲幡千々姫は相殿にまします、神部神社は別社、七社の中に天照太神まします、日本武尊此国に下り玉ひし時遥拝の霊跡にて、伊勢太神を祭り玉ふとて(以下略)」

 

おっと、順番的に「神部神社」になってしまいました。
続いては、

 

大歳御祖神社
(略)◯祭神玉依媛(風土記)、◯府中志津機山麓浅間宮傍に在す、今奈吾屋本社と称す(駿河志◼︎考)、(略)◯惣国風土記五十五残缼云、薦河安辨郡大歳御祖神社、(◼︎◼︎神)誉田天皇四年癸巳始祭之、大歳御祖神者号玉依姫、賀茂健角見命之女也、雷神者伊弉冊尊生火神訶遇突智終焼、伊弉諾尊斬為三段、故其一為雷神云(以下略)」

 

ふむふむ。
あ、「浅間神社」は式内社ではないのです……駿河式内社で「浅間神社」ったらもう富士の本宮のほうですので……。

 

◯こちら===>>>

特選神名牒 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『特選神名牒』も見ておきましょうか。
184コマです。

 

神部神社
神大己貴命
今按社伝祭神大己貴命相殿彦々火瓊々杵尊栲幡千々姫命とあれと萬幡姫は志豆機山の名より云出で此姫神の御名によりて瓊々杵尊をも祭れるにて実は大己貴命主神なるべし故今一座を記せり
(略)
今按一説に当社の神明社なりとも又廬原郡河合村なる神明社なりとも云ど詳かならず今は注進状に従へり」

 

大歳御祖神社 (称 奈吾屋本社)
神大歳御祖神
今按皇太神宮儀式帳に湯田社一處称鳴震雷又大歳御祖命とある同神とみえたりされば此社を奈吾屋本社と云也安倍郡奈吾屋火雷地祇とあるも由ありげなり
(略)
今按一説に静岡の市中なる雷宮を近世大歳御祖皇神社といへど彼社は神階帳に従五位上安倍郡奈吾屋火雷地祇と見えて古へ当社を移し祭れりしにて中世までは即別宮摂社の如くなりしかば式に載られし社は当社なる事云も更なりかの雷宮は有度郡にて郡も違へればかたがた由なし」

 

……なんだ、「鳴震雷」って……。

 

◯こちら===>>>

群書類従. 第壹輯 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

群書類従』に、『皇太神宮儀式帳』がありますので、そちらから。

17コマです。

 

「湯田[神]社。一處(湯田村在)。称鳴宸電。又太歳御祖命。形無。同御宇(※ブログ筆者注:「大長谷天皇」、「雄略天皇」の御宇と思われます)定祝」

 

……ううむ、「鳴宸電」、「鳴震雷」、言いたいことは「なるみかずち」ということなのでしょうから、雷神でしょうか……。

「大歳神(大年神)」の「御祖」だから「大年御祖命」だとすると、「神大市比売命」という、「須佐之男神」の妻神の一柱、のことを指しており、「市(場)の守護神」だったり、「大歳神(大年神)」や「宇迦之御魂神」という穀物関係の母神であるので、五穀豊穣の神だったりするようです。

じゃあ雷神じゃないのか、というとそうではなく、ほら、「稲妻」だし、「稲荷」なので、その母神もまた雷神≒蛇神の属性があるものと思われます。

湯田神社」、と「田」が入っているくらいなので、どうも「神宮」の「斎田」が地名の語源ではないか、ということは「田」の守護神が必要で、「市」の守護神なのかなぁ……駿河の「大歳御祖神社」もやはり、そうした役割だったのか……ううむ……。

で、なんで「奈吾屋」なんでしょう……それがまったく想像できません(いえ、多分何かしら、地名なんだと思います……さすがに名古屋は関係ないですよ、徳川お膝元だからっていってねぇ……)。

『神社覈録』のほうは、「大山咋神」の妻の「玉依姫」を「大歳御祖神」としていて、「大山祇神」と「大山咋神」の混乱が見られる感じですね……「大山咋神」は雷神属性ありますが、その妻神にはないような……。

神部神社」のほうは、「賎機山」という地名が先にあって、そこに「万幡豊秋津師比売命(栲幡千々姫命)」を引っ張ってきた、というのが正解のように思えます(あまり単体でお祀りされることはないので)。

何かしら、機織りと関係しているのかもしれませんが……そういえば、式内社で「倭文神社」が富士郡にありますな……さて……。

あ、そうだ、

 

◯こちら===>>>

「飛騨一宮水無神社」(岐阜県高山市) - べにーのGinger Booker Club

「飛騨一宮水無神社」(補) - べにーのGinger Booker Club

 

↑「飛騨一宮水無神社」の記事ですが、「左甚五郎作の木彫りの馬」の伝説が残っています(実際の作者は異なるようですが)。

水無神社」の御祭神は「御年神」、「大歳神(大年神)」の御子神です。

 

 

……さあ、何か関係があるんじゃないかと思ったあなたは、陰謀論とかに気をつけたほうがいいです(私もです)。

雑な記事になってしまいましたが、あとは郷土史家のみなさんにおまかせします。

 

おまけ。
「千勝浅間神社」、夕暮れの様子。

 

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イベント目的地の近くだったので、寄りました。
村の鎮守の、という感じが残っていて、こういうところのほうが萌えますね(?)。

一日限りの静岡巡り終了〜。

次はいついけるかなぁ……。

「静岡浅間神社」(静岡市)

9/24(また周回遅れに……週に一度の更新もままなりません……)。

駿府城」をあとに、いろいろ検索して発見した静岡浅間神社へ行ってみることに。

 

◯こちら===>>>

www.shizuokasengen.net

 

思っていたより全然遠かった……歩いてみたんですけれども。

 

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どうも正面ではなさそうな、「大歳御祖神社」の鳥居から入りました。

 

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拝殿。

賽銭箱の神紋はなんだろう……あまり見たことないな……。

 

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七社参りとな……いかん、甘く見ていた……。

神部神社」は「大国主命」、「浅間神社」は「浅間大神」、「木花開耶比売命」でしょうか、「大歳御祖神社」は「大歳神」、「少彦名神社」は「少彦名命」、「麓山神社」はなんだろう……「八千戈神社」は「八千戈命」で「大国主命」の別名、「玉鉾神社」はなんだろうな……。

 

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大歳御祖神社」の本殿……だったと思います……。

ここからずずいと奥に進むと、

 

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えらいことになっている階段が……東京の「愛宕神社」もかくや、という感じで、果たしてふらつかずに登れるのか……。

 

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登る途中で右手を見ると、「八千戈神社」かな、本殿が。

 

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登りきって、さらに登れと……。

 

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さらに進んで、さらに登れと……。

 

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麓山神社」にたどり着きました……おや、「大山祇命」と「日本武尊」が御祭神だそうです。

 

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随身あり、ということは、本来は随身門か……はいれませんけれども。

 

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色鮮やかに修復されたらしい拝殿です。

 

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木鼻に金の獅子。

よい。

 

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本殿の近くまでいけますが、もっと寄りたいなぁ……。

 

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拝殿を、本殿側から。

 

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本殿妻側。

彫刻がすばらしい……うっすら葵の御紋が見えますが、駿府だからか……。

 

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下りの写真はなし、で麓に降りてきまして、「八千戈神社」。

 

「本境内社は、明治以前は徳川家康公が合戦で常に奉持した含持仏の摩利支天を祀ったことから東照公ゆかりの摩利支天社と称された。
維新後神仏分離に際し、金印木像は臨済寺に遷され 以後八千戈命をご祭神とする。
昭和五年五月二十九日昭和天皇御親拝の折には、神部浅間両社御修理中で当社を仮殿としていたので、この大前で御親拝あらせられた。
当社は東照公ゆかりの幕府崇敬の社で、社殿の造営も本社に次いでおこなうはれた。
特に名工の誉高い立川和四郎富昌の彫物が中国の二十四の親孝行物語を題材に社殿周囲欄間に飾られていることは著名である。
現在では武神として信仰され 一般に勝負事の祈願所として広く信仰をあつめている(以下略)」

 

なるほど、「摩利支天」でしたか……「摩利支天」は戦闘神として崇敬されていたそうですが、「八千戈命」にご祭神を変更したこととはそれほどのつながりはないかな……あえて出雲系を引っ張ってくることもなかろうに……。

 

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拝殿。
おお、黒塗り、勇壮ですね。

 

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また相殿が十九柱て……多いなぁ……あ、「八千戈神社」だけではないのですね……。

 

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ちょっと遠景。

うむ、渋い……。

 

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いや、確かに立派な彫刻、さすがは立川流……って書くとあっちを思い出しますが、諏訪地方にも立川一門の彫物が多く見られますよね、確か……天竜川を下ってこれば……。

 

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やっとこ、正門のほうに回ってきましたよ。

 

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神部神社」「浅間神社」の社標。

いや、目の前が結構広い道路だったので、遠くから撮影できずこんなアングルです。

 

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で、ばばーん、と楼門修復中……平成の大修理、ここでもか、ということですね。

 

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神厩舎。

なんと、左甚五郎登場です……「日光東照宮」といい、徳川家と関係が深い(と思われている)のですねぇ。

一頭は、三保に逃げたようですよ……「ちゃっきり節」ってなんだろう……。

 

◯===>>>

ちゃっきりぶしの歌詞 | 静鉄グループ

 

↑こちらだそうです。

 

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あらためて、案内板。

広っ……うかつだった、短時間では堪能しきれない……次の予定があるのです……。

 

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銅板貼りの灯篭、細工も素晴らしい。

 

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「由緒 三社からなる当社は、海道屈指の名社として朝野のあつい崇敬をうけ、殊に、駿府(現静岡市)に縁り深い徳川家康公の崇敬以来、徳川幕府の宗廟として崇められた。
神部神社 崇神天皇七年(紀元前九〇年)の鎮座と伝え、延喜式内社で倭文機神社・美和明神とも別称され、この地方最古の社。制による国府がここに置かれ駿河国総社と仰がれた。次の各社と共に夫々が、県社(明治六年)に列格され、国幣小社(明治廿四年)に昇格した。
浅間神社 醍醐天皇の勅願により延喜元年(九〇一年)富士山本宮浅間大社の分霊を勧請したと伝え、全国千三百余社の分祀のうち最大最古の社。富士山を神体山と仰ぎ富士新宮と称えられる安産子授けの神。後世、仏説の影響で「センゲン」と音読する。
大歳御祖神社 応神天皇四年(二七三年)の鎮座と伝え、延喜式内社で奈吾屋社・大歳天神とも別称された。上古からの『安倍乃市(現市街)』の守護神・地主神として崇められてきた。社名は、大年神倉稲魂神稲荷大神)の母[御祖]神の意を表している。
この三社は、静岡市街の北北西の方位、「静岡」の地名の由来となる賤機山(賤ヶ丘)の最南端に、神部・浅間両社は東面して、大歳御祖神社は南面して祀られる。古くから朝廷をはじめ、国司・武門・武将が崇敬し、徳川家はもとより、各時代に於て北条氏(鎌倉幕府)・今川氏・武田氏が社殿の造営、社領の安堵等の赤誠を捧げた。
社殿 「東海の日光」と称揚される社殿群は、全二十六棟が江戸後期を代表する神社建築として重要文化財に指定されている。舞殿以外は、全て総漆塗・極彩色で、神部・浅間両社の「大拝殿」は、浅間造の特殊建築で棟高二十五・八米の豪壮な規模を誇り、同[本殿]の彫刻と生彩色の華麗さは、全国に比類をみない建築装飾の秀作である。特に彫刻額は、立川和四郎富昌をはじめ立川流一門の爛熟した技を凝らしている。
史跡 国指定史跡「賤機山古墳」(略)
宝物資料 太刀(銘)備前長船長光(重文) (略)」

 

……い、いかん、全く下調べをしていなかったので、こんなに素敵スポットだったとは……。

 

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灯篭のアップ。

鬼瓦的なやつかな。

 

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拝殿……いや神楽殿かな。

 

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向かって右側、「神部神社」。

 

浅間神社神部神社 大拝殿(重要文化財
徳川三代家光将軍時代 日光東照宮と共に◼︎造営された社殿は 惜しくも火災にて消失した
現社殿は 十一大家斉将軍時代文化年間幕府直営にて巨額の費用と多年の星霜 最高の技術を駆使して造営されたもので 豪壮華麗の美極まり 「東海の日光」と称されております 殊にこの神部神社浅間神社両社の大拝殿は他に類のない特殊な重層楼閣造りで 世に「浅間造」と称され 当神社の象徴的建造物であります
高さ八十一尺(約二十五メートル)もあり外観は彩色絢爛 殿内は百三十二畳で 天井には狩野栄信 寛信の筆に成る墨絵龍と極彩色の天女図が画かれております(以下略)」(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)

 

ほほう幕府直営での再建と……さすが駿府、というところでしょうか。

 

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それも、これを見ればよくわかります、確かに豪華。

 

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ううむ、高層部分の彫刻が遠い……。

富士山の「浅間大社」にはまだ行ったことがないのですが、確かあちらもこんな感じでしたね(もちろん、あちらが元祖、なのでしょうが……「徳川家康」が絡むといろいろと難しいです……)。

 

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少彦名神社」は生まれ変わったそうですよ。

漆の塗り直しが行われたそうで。

 

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遠景。

これ、瓦葺きですか?

ううむ……銅板葺きに漆塗りなのか……。

 

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少彦名神社重要文化財
例祭日 一月八日
本社は少彦名命を主神とし 他に神部神社末社十四社の祭神を相殿とする
もと神宮寺薬師社と称し 薬師十二神を祀っていたが 維新後神仏分離に際し臨済寺に遷され現在は少彦名命をご祭神とする 社殿は入母屋造銅瓦葺 朱塗で細部に彩色を施し 特に欄間に飾られた立川流彫刻「十二支」は名作として著名である
古来境内社として 病気平癒の信仰すこぶる篤く 御例祭には市内薬業関係者多数の参列がある(以下略)」

 

ご存知「少彦名命」は、「大国主命」とともに、日本神話では薬祖と捉えられておりますが、「大国主命」の神性が多様すぎて、「少彦名命」は薬関連に絞りやすい、という感じを受けます(大陸の神話の「神農」と関わりがあるのかなぁ……でも牛ではないしな……)。

一方仏教では「薬師如来」が医薬関連にご利益あり、だったので、本地垂跡や神仏分離に際して、「少彦名命」と重なりやすかったのでしょう……で、薬師社って書いちゃうところがまた神仏混淆の面白いところですが、薬師堂だから、つまり「薬師十二神将」だから「十二支」の彫刻なんだぞ、というわけでもないんですよね……結構多いですから、十二支の彫刻……方位も表現しているのだと思います。

それにしても、銅瓦葺かぁ……まだまだ知らないことが多い。

 

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いい感じ。

 

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続いては「玉鉾神社」。

 

「祭神 羽倉東麿大人命 岡部真淵大人命 本居宣長大人命 平田篤胤大人命
(略)
当社は国学の祖神たる四大人を奉斎し、明治九年三月、静岡県内の神職有志が官許を得て創立した。玉鉾の道の祖神を祀る意を込めて玉鉾神社を称した。(略)」

 

というわけで、国学の祖と考えられている人たちを祀っている、なかなか珍しい神社です。

明治九年だと、太政官復活してましたかね……もう廃止されていたかな……神仏分離を推し進める中で、こういった願いはなかなか無碍にできないものがあったでしょう……そういえば、維新において駿河は当然幕府側だったんだと思いますが、御三家以外では徳川の聖域といえる駿河、生き残りをかけた思い切った策だったんでしょうか……ああ、妄想ですけれども(勉強しないと……)。

「神宮」の遷宮後の社殿が下げられたものだそうです(国学の祖のみなさんも、本望でしょうか……)。

 

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大拝殿が映えるスポット、というのが設定されておりまして、そのあたりから。
確かに、見事……写真の腕以外は……。

 

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これを見ていただければわかる通り、オールスターです。

 

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御朱印は、「静岡浅間神社」のものと、大盤振る舞い全七社個別のものもあります〜。

 

 

 

ああ、本当は文化財資料館に寄りたかったのですが、結構歩いたので疲れているのと、このあとのイベントに間に合わないといけないので……。

 

引用などは次回に〜。

「駿府城」(静岡市)

9/24。

八幡神社」の参拝を終えて、まだ用事まで時間があったので、ぶらっとしながら「駿府城」まで行ってみました。

 

◯こちら===>>>

sumpu-castlepark.com

 

まあ、私は城マニアではないもので、写真だけをご紹介。

 

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訪れた時は、天守台の発掘が行われていて、石積みが間近で見られ、なかなか興味深かったことを覚えています。

そうか、「中村一氏」が一時期城主だったんですね……天守が残っていれば、八幡山からも見られたでしょう。

モノが残っていないと、なかなか想像力を働かせられない残念な脳みそで、妄想も広がらず。

とりあえず、大御所がイケメンすぎやしないか、と思いました。