べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

近況

さて、職場が変わってなかなか時間がとれません……。

というわけで、まだ昨年六月の記事を書いておりますので、とりあえず近況なぞを。

 

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年明け、初詣は1/3、ちょっとした会合のために名古屋駅へいきまして、ちいさなお社へ。

 

◯こちら===>>>

「須佐之男社(すさのおしゃ)」 - べにーのGinger Booker Club

 

闇の中の河童さんがいい感じでした。

 

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1/5、「三輪神社」へ月参。

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御朱印

続けて、1/14にも「三輪神社」へ。

 

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御朱印

 

さらに、1/26にも「三輪神社」へ。

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三輪鳥居、好き。

 

そして、2/9も……「三輪神社」へ。

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黒字にピンクの御朱印帖。

 

2/16は、ふらふらと「朝日神社」へ。

 

◯こちら===>>>

「朝日神社」 - べにーのGinger Booker Club

 

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神職さん不在で御朱印はいただけず。

 

3/2、「三輪神社」へ月参。

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御朱印

 

3/21、またも「三輪神社」へ。

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連作御朱印、私には縁のないご縁が結ばれます。

 

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春分の日御朱印、素敵ですね。

 

4/6。

中区の「古渡稲荷神社」から、

 

◯こちら===>>>

「稲荷神社」(中区) - べにーのGinger Booker Club

 

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「闇之森八幡社」へ。

 

◯こちら===>>>

「闇之森八幡社」(中区) - べにーのGinger Booker Club

 

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桜が綺麗でございました。

で、近くの「白龍神社」も参拝、

 

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ぶらっとお花見。

 

4/13、「三輪神社」月参。

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5/3、連休中の楽しみといえば「三輪神社」参拝。

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屋根の葺き替えは順調に進んでおられるようで何より。

そして、8代目は白の御朱印帖。

 

10連休は、さすがに参拝客も多く、時間があまりなかったので、書置きのものだけいただきました。

 

このところ、御朱印をめぐるニュースがちらほらと見られ、基本的にあまりポジティブなものではないのですが……。

資本主義かつ自由主義の世の中に生きるものとして、転売というのは致し方ないものと思っています。

けしからんと思うのは自由ですが、であれば、転売するのもある意味自由なわけです。

自分でしようとは思いませんし、そうやって御朱印を手にすることにさして意味も感じてはおりませんが、資本主義かつ自由主義というのはめんどくさいんです。

レアな御朱印を求めて列を成している時点で、どこか共犯でもあろう、と思いますし。

「なんで転売なんかするんやろう」と思いつつ、買わなければ需要がないことはわかるわけで、そうして個々人が対策をとるしかないのではないかな、と。

一方で、御朱印を求めるがあまり、時間がかかると文句を言うだの、書き手のみなさんに暴言を吐くだの、そういったものは許容できません。

心情的なものとしてはもちろんですが、新型スマフォやら夢の国やらラーメン屋やらで並んでいるのに、何で神社仏閣では文句を垂れるのか、資本主義的にも意味不明です。

レアなものには、お金と時間をかけるものなのです。

 

「三輪神社」さんも、初めて参拝させていただいた頃に比べると、ずいぶん待つことも多くなり、それどころか後日お渡し、郵送対応等々、大変になってきているようで……単に「大神神社」好き、三輪鳥居好き、で「三輪神社」に月参しているだけなので、無理して御朱印を求めることもなかろう、と思い始めております。

今後はのんびりお参りするかな……。

 

というわけで、

 

「三輪神社」ばっかりやないかい

 

な近況でした〜。

「鳩森八幡神社」(東京都渋谷区)

6/16。

日比谷の野音で宴があったので、上京したわけですが、その前に、ということで、鳩森八幡神社にご参拝。

 

◯こちら===>>>

www.hatonomori-shrine.or.jp

 

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曇りがち、でした。

社標と鳥居。

 

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なぜか、境内社の「神明社」から(参拝されるかたが多くて、写真が撮りづらかったのだと記憶しています)。

千駄ヶ谷太神宮」と呼ばれて、権田原にあったものが、明治四十一年に末社となったそうです。

 

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本殿ちらり。

流造……っぽいですが、どうでしょう。

 

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神明社」の鳥居、だったと思います……(もう記憶が……)。

 

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「将棋堂」。

由来記によると、「昭和六十一年、日本将棋連盟から、山形県の駒師・香月氏の政策による欅製の大駒が奉納された」とのことです。

六角の御堂、屋根の飾りは「くちなし」の実の形だそうで……将棋盤の足がそうなのですね……折りたたみの将棋盤しか知らない……。

 

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神輿庫ずらり。

地域で大切にされている神社だなぁ、と感じ入ります(江戸の祭り好きの気風も残っているのか)。

 

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狛犬さん。

写実的(狛犬の写実的、ってなんなんだろう)、渋い。

 

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甲賀稲荷社」。

 

甲賀組組屋敷の武士が崇敬していた甲賀稲荷社は、かつて青山権田原の御鉄砲場付近に鎮座していましたが、明治十八年に、青山練兵場設置のため当社境内に遷座・合祀されました。
昭和二十年五月の戦災で社殿を消失、本殿の中に八幡大神、諏訪大神とともに奉られていましたが、復興を望む声が高まり、昭和四十五年この場所に欅造りの社殿が完成し、遷座されました。」

 

甲賀組……響きにロマンがあります。

鉄砲場とか、練兵場とか、どこかで習ったな…くらいの知識しかないです。

 

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社殿。

 

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小祠。

 

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……何塚だろう……筆かな……。

後ろに狛犬さんが……。

 

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ぎりぎりまで近寄らせていただきました。

ちょっと欠けてしまわれて……。

 

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境内図。

 

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千駄ヶ谷富士塚」。

 

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拝殿側面から。

 

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富士塚入口の狛犬さん。

物言いたげ。

 

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千駄ヶ谷富士塚
(略)
この富士塚は寛政元年(一七八九)の築造といわれ、円墳形に土を盛り上げ、黒◼︎(※石卜)(富士山の溶岩)は頂上近くのみ配されている。山腹には要所要所に丸石を配置しており、土の露出している部分には熊笹が植えられている。頂上には奥宮を安置し、山裾の向って左側に木造の里宮の建物がある。
頂上に至る登山道は正面に「く」の字形に設けられ、自然石を用いて怪談としている。七合目には洞窟が作られ、その中には身禄像が安置されている。塚の前面には池があるが、この池は塚築造のため土を採掘した跡を利用したもので、円墳状の盛り土、前方の池という形は江戸築造の富士塚の基本様式を示している。
この富士塚は大正十二年(一九二三)の関東大震災後に修復されているが、築造当時の旧態をよく留めており、東京都内に現存するものではもっとも古く、江戸中期以降、江戸市中を中心に広く庶民の間で信仰されていた富士信仰の在り方を理解する上で貴重な資料である。

(以下略)」

 

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階段。

 

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お題目。

 

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「同行」。

 

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里宮。

 

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享保十六年寄進の手水鉢。

 

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享保十九年のハート。

 

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「小御嶽石尊」。

 

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頂上付近からの社殿。

 

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頂上。

結構高かった……。

富士塚を登ったのは、「品川神社」以来かな……あ、全景を撮り忘れている……。

 

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これは……能楽殿かな。

 

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拝殿正面向拝。

 

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天水桶。

 

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狛犬さん。

流麗かつ躍動的で、素敵。

彫りが深い系。

 

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……あれ、どうなされた……。

 

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尻尾が二股、珍しいかも。

 

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参道入口付近から境内を……と思ったら、緑深く、社殿がまったく映らない、と。

 

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そして、紫陽花が美しい季節でした……天気が良いと、もっとよかったのですが。

 

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境内を出て、裏側からの富士塚

 

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もう一つの鳥居。

大銀杏の樹勢が素晴らしい……全然画角に収まってないですけれども。

 

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御朱印

富士塚登拝記念のものもいただきました。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第2輯第4編 江戸名所図会 第2巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑公式HPでも紹介されていますが、『江戸名所図会』から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

148コマです。

 

千駄ヶ谷八幡宮 同所一町許西にあり。此辺の惣鎮守にして、例祭は九月二十七日なり。別当真言宗高雲山瑞圓寺と號く。
鈴懸松 門前に松の老樹有り。寛永の頃、大樹此地に御放鷹の時、御鷹の鈴此松の枝にかかりしとなり。故に名とすと。社記に云く、往昔此地深林の中に、時として瑞雲現じける。又或時、碧空より白気降りて雲上に散ず。村民怪しんで、彼林の下に至るに、忽然として白鳩数多、西をさして飛びされり。依て其霊瑞を称し、小祠を営み、名けて鳩森といふ。貞観二年慈覚大師東国遊化の頃、村民等大師に鳩森の神体を乞ひ求む、依て宇佐八幡宮城州鳩の峯に移り給ふ古を思ひて、神功皇后応神天皇・春日明神等の尊体を作り添へて正八幡宮と崇め給ふ。遥に後久寿年間、渋谷正俊領地に鎮座の御神なるを以て、金王丸生前随身の本尊、恵心僧都の作の弥陀如来の像を本地仏とし、社を造営して此地の産土神と称し奉りしより、霊応は照々として日に新なり。南向亭の云く、当社の前路は鎌倉街道の旧跡にして、今も鎌倉路と字せり。青山の原宿より此地をへて、大窪へかかりしなりとぞ。北条家分限帳島津孫四郎所領の中に、千駄ヶ谷の名有り。」

 

ふむふむ……「金王丸」というのは、

 

◯こちら===>>>

kotobank.jp


コトバンクの『日本人名大辞典+』によれば、

 

土佐房昌俊 とさのぼう-しょうしゅん
?-1185 平安時代後期の僧,武士。
大和(奈良県)興福寺西金堂の堂衆。のち土肥実平(どひ-さねひら)の仲介で源頼朝にしたがう。文治(ぶんじ)元年10月頼朝の命で京都六条室町の源義経邸を襲撃するが失敗,鞍馬(くらま)山ににげるが捕らえられ,10月26日六条河原で処刑された。「平治物語」では,渋谷重家の子で金王丸といい,はじめ源義朝につかえたとする。」

 

ということで、『平治物語』に登場するようで。

渋谷つながり……なのでしょうか……ああ、「金王八幡宮」がありますね、そういえば……うむ、不勉強……あれ、「渋谷正俊」は「渋谷(土佐房)昌俊」のことなんでしょうかね……。

いずれまた、この辺りを参拝させていただいたら調べてみたいと思いますが……そうか、『平治物語』も読まないと、なのか……『平家物語』すら……とにかく日本史に疎いので。

良き神社でございました〜、ということで、水無月東京小巡り〜、です。

 

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画像修正後の紫陽花。

「長等神社」(滋賀県大津市)

5/19。
昨年、特別開帳のために赴いた「三井寺」ですが、そのときに「長等神社」も参拝していたので。

 

◯こちら===>>>

nagarajinja.net

 

昨年の「三井寺」の記事は、

 

◯こちら===>>>

近況その3〜「三井寺」「三尾神社」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑です。

 

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いきなりの拝殿……か?

社殿の周りを回廊のようなものが囲んでおりまして、その格子の隙間から。

平入で唐破風の向拝……権現造でしょうか(いかん、何年経っても建築様式が頭に入らない……)。

 

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ちらっと見える狛犬さん……遠い。

 

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こちらが拝殿正面。

 

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まだ若々しい、立派な青銅っぽい狛犬さん。

 

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境内社の「両御前神社」。

……何が「両」なんでしょうね……。

 

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いや、空と新緑が美しい……ちらっと見える本殿の屋根。

 

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こちらは、社殿向かって左手にある、「大津馬神社」。

 

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鳥居と参道……えっと、「馬神神社」なのかな……どっちなんでしょう。

 

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拝殿前に神楽殿(舞殿)……おっと、「三尾神社」も同じような配置だったような……(あれは、唐門の外に神楽殿だったかな……)。

 

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狛犬さんその2。

年月が経過して、ちょっとつるっとしちゃった感じ、でしょうか。

 

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向かって左手からの本殿。

 

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境内社の「末春稲荷」、「権平稲荷」、奥は「駒竹稲荷」となっています。

 

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こちらは「栄稲荷」のおキツネさま。

また細面で凛々しくありまして……良きかな……造作もよろしいですね。

 

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「栄稲荷」正面。

 

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社殿左側からの屋根。

ううむ、もっと近づきたいところです。

 

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境内社の「笠森神社」。

 

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で、忘れていたわけではないのですが、立派な楼門があります。

 

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由緒書。
御祭神は「建速須佐之男大神」「大山咋大神」「宇佐若宮下照姫大神」「八幡大神」「市杵島姫大神」、と。

 

天智天皇近江大津宮に遷都(西暦六六七年)の際に都の鎮護として、須佐之男命を志賀の長等山岩座谷の地に祀られたのが始まりである。
天智天皇(西暦六六九年)五月五日、天皇が宇治山科から帰途のおり当神社へ弓矢を奉納され、これにより大友與多王(天智天皇の御孫)がその日を祭日と定められて以来、今も五月五日を例祭
としている。
貞観二年(西暦八六〇年)二月、三井寺一山を開祖された智証大師(円珍)が日吉山王神を勧請し、一山の守護神として祀られ、新日吉社又は新宮社と称するようになった。
天喜二年(西暦一〇五四年)四月、現在の地に遷宮され、その地を神出と称することとなった。
永保元年(西暦一〇八一年)四月、白河天皇は勅使を参向せられ、平安を祈願された。
延元元年(西暦一三三六年)正月、南北朝の戦乱によって社殿や楼門その他の建物を消失した。
興国元年(西暦一三四〇年)足利尊氏によって再建され、社殿は麗にして十二の廻廊や楼門その他多くの建造物があり、湖南の大社といわれ、皇室を始め武将や多くの民衆から深く崇敬され隆盛をきわめた。
明治十六年(西暦一八八三年)現在の社号(長等神社)となった。
明治三十七年(西暦一九〇四年)鎌倉様式を基本として、平安、室町時代の和様建築の粋を取り入れて現在の楼門を再興した。
明治四十三年(西暦一九一〇年)一月、県社に列せられる。
昭和四十七年(西暦一九七二年)七月一日、楼門が中世の優れた社寺建築様式の再現を評価され、大津市指定文化財の指定を受けた。
この様に当社の歴史は古く、千三百五十有余年の幾多の変遷を経て今日に至っている。」

 

なるほど、創建当時はこの場所にはなかったわけですか……岩座谷ってどこだろう……。

 

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楼門。

 

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かなり離れたところに、石鳥居があります。

 

御朱印はいただけるのだと思いますが、どうしていただかなかったのか……割と「新羅善神」と「護法善神御朱印をいただいて満足していたのかな……。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

近江輿地志略 : 校定頭註 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『近江輿地志略』を久々に(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

当然、「長等神社」の項目はないわけで、「新日吉社」を探します。
129コマです。

 

「[新日吉社
稲荷の社の南にあり。是を新宮権現とい。本社東向、拝殿鳥居有り。御冷泉院御宇天喜二年前大僧正明尊、上の新山王権現山麓に勧請し神宮を新にして以て男女の参詣に便す。人因て社を呼んで新宮といふ。其地を呼んで神出といふ。祭礼毎年五月五日。相伝旧社は十二の回廊ありて其結構の大社也。建武二年の兵火に罹りて焼亡す。而後此地にうつす。然れども旧社の地今詳ならず。」

 

ううむ、割とあっさり。

回廊が今も残っている、というのはかつての大社の名残なのでしょうか。

「馬神社」とか、記述がないな……京都に近く、しかもかつては都があっただけに、近江はなかなか魅力的……最近は、インスタ人気なのか、彦根城とか盛り上がっているようなので、近江の勉強もしたいなぁ……と思いつつ、いろいろなことがなかなか進みません。

 

 

 

もう10連休だし……周回遅れを挽回できるのか……。

「八王子神社春日神社」(名古屋市北区)

5/12。

あちこちふらふらしている途中で発見。

八王子神社春日神社」に参拝。

 

◯こちら===>>>

www.city.nagoya.jp

 

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社標。

 

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鳥居。

 

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毎度のことながら、写真を撮る順番がね……境内社の「秋葉神社」。

 

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本殿。

屋根の緑が鮮やかすぎますな……緑青を表現されたものと思われますが。

銅板葺きは費用がかかるのか……赤銅色でもよかったんじゃないでしょうか。

 

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社標。

 

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常夜灯。

天保13年(1842年)尾州名古屋の豪商杉屋佐助によって寄進されたものである」と、由緒あるもの。
「あぶないからのるな」、と。

 

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秋葉神社」遠景。

 

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とりあえず、石灯籠には乗らないようにしましょうねみなさん……と宮城遥拝所。

 

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拝殿。

ううむ、初夏の空、若い日差しの中にまばゆく屋根の緑……最近塗り直されたのかな。

 

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狛犬さん。

私は、「◯◯型」まで理解している狛犬マニアではありません(そもそも、形のパターンを覚えるのが苦手)が、なんか可愛い。

新しめなのかな。

 

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竣工記念碑。

八王子神社」の御祭神は、まあ五男三女神、ですね。

春日神社」のほうも、本家「春日大社」と同じ、と。

 

「由緒 
八王子神社はもと那古野庄市場(現丸の内一丁目)に鎮座し若宮八幡社と共に同じ境内に有り第四十二代文武天皇の御代の奉斎と言う。
慶長十五年(一六一〇)名古屋城築城の際に神慮により名古屋東北の護りとして此の地に遷座しました
明治五年村社に列し同四十年指定社となる
昭和二十年五月戦災により消失仮神殿を経て同三十二年社殿復興以来氏神様として崇拝を続けて参りましたが腐朽甚だしく平成十五年十月改築造営に着手同十七年四月竣工祭を行う
春日神社は昭和四十六年社殿を八王子神社境内に移築し両社を合併して八王子神社春日神社と社名を改称した此の度の改築造営に際して名実共に一体化して本殿内に合祀した」

 

なるほど、元は、今の名古屋城の辺りにあったのですね。

 

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境内社の「金刀比羅神社」。

 

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の、狛犬さん。

ちょっと、歌舞伎役者っぽいかな……。

 

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拝殿向かって左からの遠景。

天気よかったわ……。

 

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鳥居のところの狛犬さん。

ちょっと破損が痛々しい……こちらはこちらで、凛々しく、細かな造形でよろし。

 

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鳥居から拝殿。

 

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こちらにも由緒略記……内容はほぼ同じです。

 

さて。

 

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大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『尾張名所図会』を見てみました(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

132コマです。

 

「八王子社 志水町の北行当にあり。五男三女を祭る事、諸国八王子の社の例に同じ。神前に御手洗池あり。又末社も多し。」

 

……ううむ、以上。

 

◯こちら===>>>

名古屋市史. 社寺編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

名古屋市内なら『名古屋市史』(しかし、この辺りは多分、『名古屋市史』が書かれたころは、名古屋市じゃないと思われ……載っていたらラッキー)。

179コマです(ラッキー)。

 

「三 八王子社
八王子社は、西春日井郡清水町五丁目(もと春日井郡西杉村出町)の西側に在り、(略)、旧称は八王子天王といふ、往古より若宮八幡宮末社として、三之丸のち(今第三師団司令部内)に鎮座あり、勧請の年月詳ならず、慶長十五年御城の鬼門除として、今の地に遷座す、天明五年正月火災に罹りて焼失し、同六年に再建遷宮し、次いで寛政九年八月、弘化三年六月、明治三十九年七月に修造遷宮あり、明治初年村社に列す、(略)

杉村志草稿に、「祭神祇園八王子、牛頭天王ノ王子也、八将軍共称スト云」と見え、尾張名陽図会には、「或云、むかしは神殿の扉も明はなしになりて有し時代に、里童此御正体を取出して、前なる御手洗の池にうづめ、さまざまにもてあそびしを、所の者よろしからずとて、是を禁じて戸を閉たり、其夜俄に村中の人大勢病を煩ひ、我毎日子供等と面白く遊しものを、何とてとどめたるぞと口ばしりて止ず、人々甚恐れて、元のごとくにせしかば、忽狂病なをりしとかや」と見ゆ、其他、玉垣、井戸、手水鉢等は神慮に叶はず、氏子より寄附したれど、祟ありければ早速取払ひたりといひ、又小児の神故、毎夜篝火を欠くことなしといへり。

(略)境内神社は金刀比羅社(略)一社あり、(略)」

 

おお、面白い伝承があるじゃないですか……これ、地元では有名なんでしょうか。

 

「或云、むかしは神殿の扉も明はなしになりて有し時代に、里童此御正体を取出して、前なる御手洗の池にうづめ、さまざまにもてあそびしを、所の者よろしからずとて、是を禁じて戸を閉たり、其夜俄に村中の人大勢病を煩ひ、我毎日子供等と面白く遊しものを、何とてとどめたるぞと口ばしりて止ず、人々甚恐れて、元のごとくにせしかば、忽狂病なをりしとかや」

 

先ほどの紙の由緒書きや、史跡散策路のHPでも「小児の守り神」とされていたのですが、その理由の一つがこちらなのですね……いや、逆かもしれないですが(「小児の守り神」だったから生まれた伝承か)。

しかし、この「むかしは」がいつなのか、よくわからないのが残念ですね……現在の地に遷座したあとの話なのか、旧地でのことなのか……。

 

◯こちら===>>>

「那古野神社」 - べにーのGinger Booker Club

「那古野神社」(再)(名古屋市中区) - べにーのGinger Booker Club

 

↑「那古野神社」は、三之丸にあった「牛頭天王社」なのですが、そこから「八王子社」だけ分離した、ということなのか……もしかすると、子供たちだけが分離させられてしまったので、「小児の守り神」になられたのかもしれませんね……と思ったんですが、「那古野神社」にはきちんと「八王子社」が残っているんですよね……で、「那古野神社」はどうも「津島」系の「牛頭天王」っぽくて、こちらは「祇園」系の「牛頭天王」っぽい……というか、「牛頭天王」多い……神仏分離で槍玉にあげられる理由がわからないでもないですね……。

昔はばっち祟っていたのに、最近はそうでもないのかな……地元の子供達と遊んでいてほしいものです。


北区もまだまだ掘らないと……なかなか、狙ったところにコインパーキングがないんですよね……地下鉄か……。

「榊森白山社」(名古屋市中区)

5/5。

「伊勢山神明社」をあとに、もうちょっとぶらぶら……「榊森白山社」にたどり着きました。

公式HP的なものは特になし……うむ。

 

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……なんだっけ、これ……本殿を横から、だったと思います。

 

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「世界唯一の縁結びの神様です」、だそうです。

 

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境内社……社名がわかりませんでした。

 

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「出世稲荷大明神」。

 

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「出世稲荷大明神」の鳥居。

 

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社殿遠景。

 

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狛犬さん。

うっすら笑いな感じがとても可愛らしい。

 

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社紋。

 

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境内遠景。

なんでしょう、初夏の緑の色合いと、時間的なものか陽光の具合がとても素晴らしく、個人的に非常に好みな色調の写真になっていて満足です。

 

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葉陰がまた美しい。

 

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鳥居。

 

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「榊森御祭神
本社 白山社
菊理媛神
伊弉諾尊
大己貴命
右 松尾社
大山咋神
左 天王社
建速素戔鳴尊
秋葉社
火之迦具土神
境内稲荷社
宇迦之御魂神
(略)」

 

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石灯籠の社紋。

 

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由緒……光の反射具合によっては読めることもあるのですが、今回はちょっと失敗……。

御朱印情報は不明です。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

名古屋市史. 社寺編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『名古屋市史』から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

コマ数がわからん……294ページです。

 

「二八 白山社
白山社は中区古渡町五丁目の東側に在り、(略)、もと榊ノ森白山比咩神社といひ、(榊ノ森の名義は地理編名所の條を参照)又洲原神社(今俗に「おすはらさま」といふ)、松尾神社等の通称ありき、明治十二年、今の名に定む、仁和三年九月、加賀の白山(今加賀石川郡河内村国幣小社、白山比咩神社なり、別本海邦名勝志、市譜、尾張名陽図会には美濃の洲原権現(今美濃武儀郡洲原村郷社洲原神社)を勧請すといふ、本社に洲原神社の通称ありしは蓋し之が為めなり)を勧請して創建する所なり、(略)、明治十二年七月、村社に列し、同年九月、古渡町民決議の上、古渡町五丁目より七丁目までを以て、本社の氏子と定む、祭神は中央は菊理媛命(また白山比咩神といふ)、左は伊弉諾命、右は大己貴命(初め三神を一殿に奉祀して、三殿並立せしが、明治九年十二月、一殿に合祀遷宮せり、尾陽雑記にはいなりの神社を勧請すとあり)なり、殿宇は神殿、拝殿、玉垣、神饌所、神楽殿社務所、木鳥居(略)、宝庫(略)等あり、境内神社は松尾社(祭神大山咋命にして、山城葛野郡官幣大社松尾神社の分体なりといふ、寛政年中旧古渡(今の橘町二丁目)の酒造家(尾張名陽図会には伝馬町の酒屋福澤屋草創とあり)の勧請にして、其の屋敷内にありしが、後本社の境内に遷せり、此社維新前迄は城下の酒造家の崇敬多く、為めに其の勢力本社を凌ぐに至れり、本社を通じて俗に松尾神社と呼びしは之が為めなり)、須佐之男社((略)の二所あり、(略)
往古熱田神宮へ参拝する者は、先づ東は鈴御前(熱田伝馬町鈴之御前社)、西は紀太夫(熱田旗屋町下知我麻神社)南は源太夫(熱田市場町上知我麻神社)、北は榊の森に参詣して、禊を行ひ、而る後社参する例なりといふ(古渡志、金鱗九十九之塵、尾張志)」

 

ふう……元々の御祭神がなんであるかはともかく、時代の移り変わりの中で、中心となる御祭神がいろいろ変わっているような感じがありますね……それに伴って、神社の通称もいろいろとある、と。

摂社のほうが盛り上がってしまって、そちらに名称を取られてしまう、なんてこともあったようで。

最後の、「熱田神宮」との関係はちょっと引っかかります……というわけで、

 

◯こちら===>>>

尾張志. 2 名古屋 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑一番見やすい『尾張志』を。

19コマです。

 

「榊ノ森ノ社
古渡むら町家の東側にあり、中央正殿は祭神菊理媛神左右二座は伊弉諾尊大己貴命を祭るよしいへり 当社は光孝天皇仁和三年丁未九月当所吾湯市村ノ住人福岡某はしめて加賀国石川郡白山比咩神社を移してここに創建したるよしいへり もとは此地に榊木いとおほかりしより賢木の杜といひならはせりとそ いにしへ熱田諸祭の日毎に此森の榊をとり用ひけるよしもいひ伝へたり 故に熱田社参の人まづ此森にて解除したるよしもいへり 今は此処より榊を熱田神宮に取用ゆる事なし
摂社 松尾社 天王社 (略)」

 

どうも、かつてこの辺りで榊が繁殖していたので「榊の森」と呼ばれるようになった、その榊を「熱田神宮」での祭祀に使用していたので尊重された、ということのようで。

「仁和」は西暦では885〜889年、白山信仰は既に始まっていたようですので、勧請したとしても不思議ではないわけですが、榊が自生していたことと白山信仰とはあまり関係なさそうです。

そもそも、榊が自生していたことにより神域となっていた(あるいは神社があったかもしれないです)ところに、「白山比咩神社」を持ってきて、その頃まだ榊を「熱田神宮」に奉納していたのであれば、「熱田神宮」側もそれを許したと……。

なぜ「白山比咩神社」だったのでしょうね……個人的な信仰心だとすると土地の属性はあまり関係なさそうです……土地(地域)の要請であれば意味もあるのでしょうが、ううむ、難しい……「白山社」はかなり多いですからね……。

 

とにかく、いい写真が撮れたので満足、でございます。

「伊勢山神明社」(名古屋市中区)

5/5。

昨年のGWですな……まだ一年前の記事ですな……関市の「高良神社」に行ってきたので、ちょっと近くにも、という感じで「伊勢山神明社に。

公式HPとかはない感じ……。

 

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参道入口。

 

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神明社由緒
祭神 主神 天照皇大神
相殿 熱田大神 加具土大神
末社 倉稲魂大神(稲荷社) 須佐之男大神

創立は古文書によれば室町時代以前この高台の聖地に伊勢神宮の御分霊を奉斎し鎮座ましまされました。
以来人々はお伊勢山と称え安らぎの場といたしました
慶長年間伊勢御師巡拝の折巻物を納められたことより巻の森とも呼ばれ元禄年間発刊の尾張徇行記尾張名所図会に記されています」

 

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……いきなり、稲荷さんの奥の院ですな。

 

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朱塗りの鳥居。

 

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「豊春稲荷社」、です。

 

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社殿向かって右手の鳥居から。

盛り上がっているのは、古墳の上に建てられたから、のようです。

 

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狛犬さん。

 

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ポスト風賽銭箱。

 

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拝殿。

 

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拝殿遠景。

 

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参道わきの、「天王社 塩竈社」。

 

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境内遠景。

 

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狛犬さんその2。

 

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蕃塀があります。


さて。

 

◯こちら===>>>

名古屋市史. 社寺編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

尾張名所図会』では見つからなかったので、とりあえず『名古屋市史』から。

161コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「二六 神明社
神明社は中区伊勢山町の北側(もとは古渡村、明治九年今の名に改む)に在り、(略)此地を古来俗に御伊勢山と称し、又巻ノ森と呼べり、往古伊勢神宮より巻物伝はり、途中の諸社にて之を奉祀せしが、遂に此地に鎮座あり、神社を建つといふ、勧請の年時詳ならず、古来此地の産土神なり、明治初年村社に列し、四十四年改造遷宮す、祭神は中央天照皇大神、左扉日本武尊、熱田大御神、右扉火之迦具土大神(左扉はもと境内神社熱田社の祭神、右扉はもと境内神社秋葉社の祭神なり、明治四十五年三月、末社へ合祀す)なり、殿宇には神殿、拝殿(嘉永中再建す)、社務所(明治二十四年建設)等あり、例祭は十月五日にして、市より供進使の参向あり(略)」

 

ふむ……古墳の上に立つ、とはまったく書かれていませんでした……あれ……。

 

◯こちら===>>>

尾張志. 2 名古屋 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

尾張志』も一応。

19コマです。

 

神明社
古渡村中市馬寺屋敷山の東にありて俗に御伊勢山といふ創建の年月知かたし」

 

……すっきりあっさり。

かなり昔からあったことは間違いなさそうですが、よくわからない、と。

御師がやってくるようになって、伊勢信仰に取り込まれていった、というところでしょうか。

確か古墳だったと思うんですけども……どこで得た情報だったのかを思い出せません……ううむ……しかし、大須周辺には古墳がいくつかあることは知られておりますので。

むむ、最近情報が薄い……。

 

「高輪神社」(東京都港区)

4/24。

泉岳寺」をあとにしまして、ぶらぶら歩いて品川方面に戻ったら、発見しました「高輪神社」

 

◯こちら===>>>

www.tokyo-jinjacho.or.jp

 

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社標……?

御祭神は、「宇迦御魂神」「誉田別命」「猿田彦神」、で境内社に「聖徳太子」……「稲荷」「八幡」「庚申」、と太子信仰か……あれ、由緒とかなかったかな……というか、写真を掲載するのですが、なんと社殿を撮影していない……狛犬さんに目を奪われていたようです(それから、天気があまりよくなかったのも関係するかもです)。

 

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鳥居。
マンションなどに囲まれた境内、ちらっと社殿が写っています(これでご勘弁を)。

 

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力石。

 

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狛犬さん、その1。

ちょっと、ゴジラっぽい。

 

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恵比寿大黒……ちょっと怖い。

 

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門の脇の彫刻。

すみません、漢籍に詳しくないので、題材がわかりません……。

 

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狛犬さんその2。

全体的に、つるってなっちゃっております。

 

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御朱印

 

さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第2輯第3編 江戸名所図会 第1巻 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑というわけで今回も『江戸名所図会』です(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

158コマです。

 

太子堂 同所旭曜山常照寺といへる天台宗の寺にあり。聖徳太子の像は、十六歳の尊容にして、自ら作り給ふといふ。元禄年間開板の[江戸鹿子]といへるものに、明暦年間、越後守光長卿の陪臣、川木八兵衛某、故ありて此所に安置したてまつるとあり。
稲荷祠 太子堂・庚申堂の中に並び立たせ給ふ。高輪の産土神なり。

庚申堂 同じ境内にあり。本尊は青面金剛の木像なり。摂州四天王寺の住侶民部卿僧都豪範の作といふ。縁起に云ふ、大宝元年辛丑正月、庚申の日は一年の間六度ありて、八専の間日に中れり。人間に三尸といふ三の悪蟲ありて、災を招く。然るに庚申を祭る時は、此蟲退散し、身に幸を来らしめ、若不信の輩ある時は、命根を吸ひ、悪業を天帝に訴ふ。今帝釈天衆生をあはれみ給ふ。故に汝に此法を附属す。我は則ち青面金剛なりと。又十二の誓願を示し給へり。僧都信心肝に銘じ、直に感見し奉る所の尊容を彫刻し、普く衆生に庚申の法を授くとなり。」

 

ふう……途中から、まさかの「庚申」信仰の説明になるとは思いませんでしたが、とりあえず、現在の「高輪神社」のことで間違い無いかな、と思います(「八幡」がないぞ……)。

青面金剛」については、どこかでも引用したかと思いますが、

 

密教辞典

密教辞典

 

 

密教辞典』を見てみますと、

 

「陀羅尼集経巻9・大青面金剛呪法(略)には、五方の五帝薬叉のうち東方青帝薬叉神を青面金剛と称し、わが国へは台密の所伝。後に道教の庚申の本尊とするのは、道教の上帝を仏教の帝釈天と同体とし、その家臣が青面金剛という。悪獣・病魔・風雷等の難を除く真言により道教の司命神に配する。庚申の夜は、身中の三尸虫が睡眠中に、天帝にその人の罪を報告すると信ぜられ、徹夜する習慣を庚申待という。形像は四臂三目、左手に三股叉と棒、左手に輪・羂索を持ち、青色の身、口を張って牙を出し、眼は赤、火焔色の怒髪が上向き、髑髏を頂きまた瓔珞とする。身体中に蛇がまとい両脚下に2鬼、左右に2童子(青衣)、4薬叉の右辺は赤黄色で刀・索を、左辺の白黒身は矟・叉を持つ。その他二臂・六臂像がある。また申の縁から、見ざる、言わざる、聞かざる、の三猿を山王日吉神社の神猿とする。」(p392)

 

ということです。

「東方青帝」という呼び方がすでに大陸っぽいのですが、道教とごちゃごちゃになり、神仏分離を経て、「猿田彦神」に落ち着いたと……「庚申」だから「猿」で「猿田彦」、という……でもこれは多分、神仏分離前からごちゃごちゃになっていたのだと思います。

道祖神」、「衢の神」、「塞の神」、「道の神」としての「猿田彦神」、一方で「庚申塚」というものがあちこちにありまして「青面金剛」プラス「三猿」の取り合わせですから、どこかで一緒になっても不思議ではないのかな、と……安直な分析にすぎますか、そうですか。

160コマに図絵があるんですが、街道からの位置関係が、現代に重なる部分ではないかと思います。

 

え〜……うん、あまり考察などはないですが、品川近辺ぶらぶらの記録でした〜。