べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

『新井山梅照院』(東京都中野区)

3/24。

さて、「北野神社」のほど近く、「新井山梅照院」、通称新井薬師へ。

 

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www.araiyakushi.or.jp

 

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桜がですね、やっぱり咲いておりまして、花見客でわりと混雑していたもので……のんびりすることもできず(卒業式に間に合わなくなってしまう)、。

 

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本堂。

 

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本堂横から。

 

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桜……?

 

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本堂遠景。

 

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入り口より。

 

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入り口脇の、「豊川稲荷」さん。

 

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……うん、人がたくさん写ってしまって……こりゃダメだ……。

 

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御朱印……あれ、ご本尊は「薬師如来」で、「瑠璃殿」とか「瑠璃光殿」と書かれていないんですね……珍しい気がします。

 

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大日本地誌大系. 第1 第6冊 新編武蔵国風土記稿六 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『新編武蔵風土記稿』です……結構著名な寺院なのに、検索にあまり引っかからなかったんですよね……多分探し方が悪いんでしょうけれども(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

157コマです。

 

「寺院
梅照院 (略)当村と上高田村との接地にあり、松高山と號す、新義真言宗にて、当郡中野村宝仙寺末、客殿六間四方南向、本尊薬師坐像の石仏にて、長一寸八分、逗子に入、開山を快儀と云、正保三年四月五日示寂す、又云天正年中行春と云僧開基せしと、其後第六世朝曇を中興とす、此僧の頃より本尊の霊験世にあらはる、子育薬師と称して遠近こぞつて歩を運ぶ者多し、就中近き此江戸日本橋辺の商売願をかけしに、速に霊効を蒙ふりしかば、渇仰斜ならず、その後同志参詣の者の便りせんとて、豊嶋郡下高田村馬場のほとりより、道の辻々に碑標をたてて方角を示す、これより次第に参詣の者多くなりて、今は新井の薬師とて其名隠れなきことにぞなりける、 門 柱間九尺、南向、梅照院の額をかかぐ、」

 

とのことです。

お寺でいただいたパンフレットによれば、

「梅照院の御本尊は、薬師如来如意輪観音の二仏一体の御尊像です。
この御尊像は鎌倉時代の代表的な武将、新田家代々の守護仏でした。
しかし、鎌倉時代から南北朝にかけての戦乱のさなかに、消え失せてしまいました。
その後、相模国から行春(ぎょうしゅん)という沙門(僧)が、
新井の里を訪れて草庵を結びました。
不思議なことに、草庵の庭の梅の古木から光が出るという現象が夜毎に起こり、
天正十四年(一五八六年)三月二十一日、
その梅の木の穴のから新田家ゆかりのご尊像が発見されました。
この御尊像を安置するために、お堂を建立したのが、梅照院の始まりです。
不思議な出来事とともに出現した薬師如来は、その後「目の薬師」・「子育て薬師」と呼ばれ、
今日まで大変多くの方に、篤く信仰されております。
(略)」

 

ということです。

また、公式HPによれば、

 

「この草庵は、徳川初期頃になると廃寺同然の荒れ果て様でありましたが、庭に植わる梅の古木が夜毎に光るという現象が起こり、天正14年3月21日、梅の木を調べると薬師如来が現れました。
中野郷新井の郷士であり、元新田義興の臣 窪寺某が太田金山城に祀られていた尊像であることを確認し、薬師堂を建立したのが梅照院のはじまりです。」
「不思議な出来事とともに出現した薬師如来は、二代将軍秀忠公の第五子 和子の方(東福門院)が、患った悪質な眼病を祈願して快癒したことから「目の薬師」、また、第五世玄鏡が如来の啓示によって秀れた小児薬を調整したことから「子育て薬師」として、今日まで篤く信仰されております。」

 

とのことです。

『新編武蔵風土記稿』と、寺院の縁起に微妙な揺れがあるのはなぜでしょうね……。

ともかく、天正より正保のほうがあとなので、全ての記述が正しいとすると、順番的には、

 

『「行春」が草庵を編む>本尊発見>お堂が建つ(「快儀」が開山する)>「東福門院」の眼病を治し霊験が広がる>五世「玄鏡」が小児薬を調整>六世「朝曇」の時代に中興』

 

という感じでしょうか。

当初「松高山」だった山号は、いつから「新井山」になったのでしょうね……。

ううむ、寺伝などを読まないことには、「北野神社」との関係もよくわからず……。

そして、ご本尊は、両面一体だったのに、『新編武蔵風土記稿』にはそれは書かれていない……まあ、秘仏のようですから、住職以外はずっと知らなかったのかも知れませんが。

うむ……やはりもう、郷土史家の方にお願いするしかない感じですね。

もうちょっと勉強したい……けれど、ちょっと時間がない……。

 

というわけで、ぶらり中野旅を終えて、無事卒業式に参列してまいりました。

「新井天神 北野神社」(東京都中野区)

3/24。

「沼袋氷川神社」を後にしまして、ぶらぶらと中野駅方面に歩いてきて、「北野神社」に行き当たったのでご参拝。

 

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araitenjin.com

 

 

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鳥居。

桜が見事に咲いておりまして、土曜日、天候もよろしくて、人手がありました。

 

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またいきなり境内社ですが、「合祀社 實樹稲荷社」。

 

「江戸時代後期の文化十四年(一八一七)に板倉勝政氏により市ヶ谷の庭内に守護神として鎮守されたのが始まりである。
平成二十七年十月、矯正研究所施設移転にともない、北野神社境内社・稲荷神社に合祀され現在に至る。
尚、本殿横の實樹稲荷社・社号碑(背面由来書き有)は前鎮守地境内にあったものを当地に移設したものである。」

 

「板倉勝政」が誰だかわからない……ので、

 

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板倉勝政(いたくら かつまさ)とは - コトバンク

 

↑「コトバンク」より、

 

「1759-1821 江戸時代中期-後期の大名。
宝暦9年3月20日生まれ。板倉勝澄(かつずみ)の7男。兄勝従(かつより)のあと,安永7年備中(びっちゅう)(岡山県)松山藩主板倉家4代となる。奏者番(そうじゃばん),寺社奉行をつとめた。藩校を整備し有終館と命名した。文政4年3月2日死去。63歳。」

 

なるほど、備中松山藩主、ということはこの辺りに松山藩江戸屋敷があった、ということですか(よくわかっていない、結局)。

 

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この小さいお社は……なんだったか……。

 

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こちらも、境内社の「大鳥神社」。

↑公式HPによれば、御祭神は「日本武尊」です(そりゃそうです)。

 

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拝殿正面。

 

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狛犬さん。

造作も細かく、流麗な印象。

 

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境内遠景。

ちょっと、桜がまだ満開でないのが残念でした(あれ、散ったあとだったかな……)。

 

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力石、もあります。

 

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面白屋根の手水舎。

 

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社標。

 

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御朱印

弥生、と書いていただいたのは初めてかもです。

 

さて。

 

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大日本地誌大系. 第1 第6冊 新編武蔵国風土記稿六 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑やっぱり『新編武蔵風土記稿』しか見つけられなかったので、致し方なく……(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

157コマです。

 

天満宮 (略) 村の中ほどにあり、本社は一間四方、拝殿二間に三間南に向ふ、前に木の鳥居をたつ、松の並木ありて物ふりたる社地也」

 

……ええと、まあ、仕方ない……。

↑公式HPによれば、

 

新井一円の総鎮守である北野神社は新井天神と称し、文武両道の神とされる菅原道真公、また食物を司る保食神の二柱をお祀りしております。 当神社の創建年代は明らかではありませんが古くは天満宮と称し、天正年間(1573~1592)、新井薬師の開祖である沙門行春が建立したとも、それ以前よりこの地の鎮守社であったとも言われています。 境内には「新井」という地名の由来ともなった井戸が現在も使用されています。」

 

だそうで……そうか、忘れがちですが、神仏習合、「新井薬師」にこそいろいろな記録が残っているのでしょう。

というわけで、次回は「新井薬師」にぶらりと行ってみます。

「沼袋氷川神社」(東京都中野区)

3/24。

東京は中野で卒業式がありまして、参列しなければならなかったのですが、その前にということで、「沼袋氷川神社へご参拝。

 

◯こちら===>>>

hikawa-n.or.jp

 

↑公式HPです。

沼袋なる駅で降りたのは初めて……まあ、東京在住の頃、中野といったら中野坂上(友人が住んでいました)とブロードウェイくらいにしか用はなかったので……あ、でも「哲学堂公園」は行ったな……ビームライフル……。

 

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鳥居。

 

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なぜか摂社から回ってしまったもので……「御嶽(みたけ)神社」。

御祭神は「日本武命」「大己貴命」「櫛真知命」「少彦名命」。

ううむ、「櫛真知命」というかたは初めて聞いた……さらっと検索してみると、なかなか謎深いかたのようなので、また考えてみよう。

大己貴命」「少彦名命」に関しては、神仏分離後、御嶽の祭神とされた、らしいですが、「日本武命」はどう関係しているのか……。

 

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あ、狼だ……ということは三峯系……ううむ、関東、難しい……。

 

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「稲荷神社」。

 

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「天王社」。

八雲神社」(須佐之男命)、「諏訪神社」(建御名方命)、「胡録神社」(面足命 惶根命)、が合祀されて「天王社」ということでしょうか。

メインは「牛頭天王」でしょう……「胡録神社」って、字、合ってますか?

「面足命」「惶根命」は、神代7代の6番目、ということで「第六天神社」に多く祀られていますが(本地垂跡で仏教の「第六天」(三十三天のうち)に関連づけられたため)、「ころく」だとすると「六」繋がりでしょうか……。

 

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楽殿

 

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この立派な松が、「三番願い松」で……案内板が遠い……いただいたパンフレットによれば、

 

「古来より「悪しきことはスギ去れ、願い叶うをマツ」と、杉の木に願いを掛けて不運・災難から逃れ、松の木に幸福を願うと必ず叶うと信じられて来ました。
境内には三本願い松が聳えていますので、社殿前の石畳に立ち空を見上げてみて下さい。
三本のうち、社殿左側の松(茶色い大鳥居そば)には手をふれていただくことが出来ます。思いを託し、神さまのお陰を戴き、健康で豊かな日々をお過ごし下さい。」

 

とのことです。

 

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拝殿。

 

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狛犬さんの木鼻彫刻。

すばらしい……。

 

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参道正面から、拝殿遠景。

 

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ここから、西武新宿線の線路に向かって参道を降りますと、右手に「中野七福神」が。

 

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なかなかの新しさ……。

普通、七福神めぐりといえば、複数の神社仏閣をめぐるものですが、こちらでは一箇所で済んでしまいます。

あれですか、お遍路の砂踏みとか、四国八十八箇所を集めてみた、といったまとめサイト的なやつですかね……いや、なかなか巡れない人にとっては、有難いものなので、全然いいのですけれども。

 

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狛犬さん。

「子育て狛犬」さんで、安産祈願の対象、のようです。

額の秀でた狛犬さんですねぇ。

 

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階段を下りきってみました。

振り返ると、ちょっと小高い丘の上に建てられていることがわかります。

古墳かな……と勘ぐってしまいますが、周辺の考古学的知識は皆無なので、やめておきます。

 

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御朱印

七福神」のものもいただけます。

 

さて。

神社でいただいたパンフレットによれば、御祭神は「須佐之男命」。

後村上天皇」の御代、正平元年(1346年)に武蔵国一宮である大宮氷川神社から勧請したのがはじまりだそうです。

とにかく関東、江戸周辺なので、旧武蔵国を中心に、「氷川神社」が多いのです。
それがなぜなのか……については、どこかで読んだような気がしますが……諸説あり、というやつですか。

牛頭天王」と「須佐之男命」が習合して、「八坂神社」系、あるいは「津島神社」系、の「須佐之男命」信仰とは違ったベクトルで、「氷川神社」系の「須佐之男命」信仰があり、それが一大勢力でもあった、というのはなかなか面白いですね……というのも前にどこかで書いた気がします。

「八坂」系、「津島」系でも、「須佐之男命」の水神属性は消えていないのですが、「氷川」系はもっと顕著にそれが現れている(何しろ「川」ですから)のかな、と思います。

何なれば、出雲の「斐伊川(ひいがわ、ひのかわ)」といったら「八岐大蛇」の生息地(?)でもあるのです、そりゃ水神(天候神)に決まっていますね……で、前も書いたような気がするのですが、どうして「出雲神社」でも「杵築神社」でもなく「氷川神社」だったのか、に何かあるような気がします。

 

◯こちら===>>>

大日本地誌大系. 第1 第6冊 新編武蔵国風土記稿六 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑ざっと検索してもこれしか見つからず……の『新編武蔵風土記稿』、「多摩郡」の「下沼袋村」のところです(158コマ/引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「神社 氷川社 除地、九段、小名大下前にあり、村の鎮守なり、本社二間四方、拝殿二間に三間南向、本地十一面観音木の立像六尺五分なるを安す、前に鳥居をたつ、鎮座の年代詳ならず、上沼袋清谷寺の持なり。」

 

……ううむ。

郷土史家のみなさんが、もっといろいろ調べておられるとは思いますが、私からはこの程度ということで……。

というわけで、ここから歩いて中野駅に向かう途中でもうちょっと寄ってみたよツアーの開始です。

 

「東郷神社」(東京都)

3/20。

雨のそぼ降る中、所用で上京しまして、原宿を通過したもので、こりゃちょっくら歩いてみようか、と東郷神社まで。

 

◯こちら===>>>

harajukutogo.wixsite.com

 

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社標。

 

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鳥居をくぐって、参道。

 

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「第一駆逐隊」の碑。

 

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灯篭。

 

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東郷記念館と、池。

桜にゃ速い、春の冷雨でしたね。

 

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と思ったら、ちょっと咲いてました。

うん、晴れていればもっと美しかったでしょうに。

 

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階段を上って、社殿まで。

 

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案内板。

ちょっと遠かった……。

 

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門。

 

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手水舎。

新しい……のですが、世の中の緑青ふいてる銅板屋根の多くは、このように赤銅色で、陽光にまばゆく輝いていたはずなのです。

それが、緑青に彩られて、不思議と常若の空間と同化していくという……誰が発見したんだろうなぁ、年月を経るにつれて緑になっていく、という現象と、神社の常緑性を結びつけるという思想を。

 

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拝殿。

 

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狛犬さん。

若い、意匠も若い、そしてむきむき。

 

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これは、どっちだったかな……本殿を撮影したんだと思います。

 

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「海の宮」。

祖霊社、ということです。

 

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拝殿遠景。

 

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社紋(?)。

これは、海軍関係の紋章ですか?

すみません、そっちは全く詳しくないもので……。

 

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東郷神社」ですから、海軍関係の碑も多く。

こちらは「海軍特年兵の碑」。

 

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こちらは、「潜水艦殉国碑」。

 

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狛犬さん。

独特……幾何学的というやつでしょうか。

 

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御朱印

 

はい、というわけで……ええと、本当に参拝した記録です。

人を神に奉る、という行為は、現代でも行われているところですが、汎国民的に神格化される、というのはこのあたりの時代の方まで、だと思います(「乃木神社」とか)。

松下幸之助」を祀った神社もありますが、規模が違います。

果たして、こうして祀られている人たちは、神と崇めてほしいと思っていたのか、ということと、お祀りしたい、と思う凡俗の心は常に一致しないものなのですよね……むしろ、そういう人こそ、祀られるのです。

この時代であれば、もう怨霊はあまり機能しなくなっているでしょうから……とはいえ、ある種の畏れを抱いて、というのは間違いないので、本質的には同じなのかもしれません。

そして、近現代史及び軍事史、軍事関連の知識がからきしない私にとって、ほぼ狛犬さんを愛でに行っただけ、という……勉強します。

 

「山神社」(名古屋市中区)

あけましておめでとうございます。

ええと、平常営業です。

 

3/3。

前回の「白山神社」から、通りを挟んで南東方向にある、「山神社」にご参拝。

小さな神社です。

 

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鳥居。

社標あり、村社ですね。

 

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境内の様子。

写真ではわかりづらいのですが、大通りからはちょっと高い場所にあります。

 

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社殿。

 

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狛犬さん。

どちらも耳が欠けているのは、何かの呪いではなくて、多分欠けやすいからなんでしょうね……。

ちょっと見逃してしまいそうな、小さな神社です。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

尾張志. 2 名古屋 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

尾張志』を見てみましょうか(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

16コマです。

 

「山神社
日置白山社の東にあり大山祇命を祀るこの社邊なる小坂を三年坂といふ」

 

うむ、短い……んですが、一応項目立てられているところを見ると、かつてはもっと規模も大きかったのではないか、と思われます。

 

◯こちら===>>>

名古屋市史. 社寺編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『名古屋市史』の社寺編(お世話になります)も見てみましょう。

290ページです。

 

「二五 山神社
山神社は中区西脇町 (もとは日置町) の北側に在り、境内八十五坪一合五勺あり、勧請の年月詳ならず、明治三十年頃改造遷宮し、四十四年十二月重葺す、今村社に列す、祭神は大山祇神火之迦具土大神、武速須佐之男大神なり、殿宇には神殿及び周囲石垣 (明治四十五年春落成す) あり、境内神社は迦具土社、津島社合殿 (祭神は火之迦具土大神、武速須佐之男大神なり、創立年時詳ならず、もと同町にありて、無格社なりしが、明治三十五年十二月、本社境内に遷座す) の一所ありしが、大正二年二月、本社へ合祀せり(以下略)」

 

うむ、『尾張志』は江戸末期、『名古屋市史』は戦前ですから、明治以後の神社の整理で、いくつかの神社が「山神社」に集められたようですね。

結局、本社に合祀されているので、社殿は残っていない、と。

うむ……「津島社」系の神社は、地域的に多い、というのは頷けます。

迦具土社」は、多分もともと「秋葉権現」系の神仏習合の社だったものを、明治以後に名前を変えたものが多いのでhないか、と思います。

つまり、火伏せの神なので、これもまた時代的に多くて当たり前。

では「山神社」、全国的な広がりがよくわからないのですが、東海地方ではわりと多いのではないかな、と思います。

神社分布に見られる地域性は結構面白いもので、特に山岳信仰系は、近いお山の勢力図が何となく見えてくるものだと思います。

東海地方では、「三峰社」系の神社が少ないのですが、関東にいくと、小さな神社も含めると多かったりします。

東海地方で多いのは、御嶽信仰(御嶽講)の祠なんかでしょうか(関東も多いですが、距離的に東海地方のほうが近いです……し、御嶽信仰の中興をもたらした「覚明」は尾張の人ですし……)。

尾張でいいますと、なにしろ濃尾平野ですから、霊山と呼ばれるものはあまり近くにはないのですよね(天狗が少ないのかもしれません)。

で、距離的に近いところで、「御嶽」「比叡山」「吉野」「秋葉山」、今ひとつメジャーじゃないところだと「鳳来寺山」、なんかは信仰の対象の霊山なのですが、「山神社」が結構多く見られるとすると、「比叡山」系の勢力が強かったのかな、と(まあ、日本最強に近い「天台宗」総本山ですからね、勢力云々の話でもない気がします)。

そういうことを研究していらっしゃる方がたくさん見えると思うので、もう少し勉強してみたいところではあります。

 

近況〜「三輪神社」「城山八幡宮」とか

12/30。

リアル年末です(本記事は、未だに2月とかですけれども)。

今年も推しごとが忙しく、更新がなかなか進みませんでしたが、来年もそんな感じで。

というわけで、近況を。

 

11/23。

「三輪神社」に月参。

 

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12/1。

若宮八幡社」にて、朔日参り。

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12/8。

「三輪神社」へ月参。

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御朱印帳が6代目(朱色)になりました。

屋根修繕の寄付を申し込むといただけるものです。

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12/29。

起きたら雪が積もっていて、「休みでよかった……」と安堵しつつ、「いや待て、そうそうない機会だぞ」と思いまして、雪の中の狛犬さんを写真におさめるべく外出。

とりあえず、千種区の「城山八幡宮」へ(行きやすかったもので)。

 

◯こちら===>>>

「城山八幡宮(しろやまはちまんぐう)」 - べにーのGinger Booker Club

近況再び - べにーのGinger Booker Club

 

↑過去の記事です。

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いやあ、けっこう降っていて驚きました。

 

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最初に出会う狛犬さんは、雪とたわむれず……。

 

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初詣の準備中。

 

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そうそう、こんな感じのを撮りたかったのです。

 

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摂社の狛犬さん。

 

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雪の「昭和塾堂」もなかなか風情があってよろしいかと。

そこから、まだ雪が残っているうちに、「桃巌寺」まで歩いてみました。

 

◯こちら===>>>

「泉龍山桃巌寺」(名古屋市千種区) - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

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お寺、にちょっと異国情緒に富んだ狛犬さん。

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大仏様も雪の中でした。

 

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「城山八幡宮」の御朱印

また増えているような……とりあえず、年末にお参りできてよかったです。

 

というわけで、来年も遅々たる歩みですが、よろしくお願いいたします。

よいお年を。

「白山神社(大須)」(名古屋市中区)

3/3。

行き忘れていたわけではないのですが、の白山神社……大須、になるのかな。

公式HPなどはない様子。

 

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鳥居と社標。

 

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「上日置」かな……ここから北東方向に「日置神社」があります。

 

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二の鳥居、というのかどうか。

 

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ちょっとこんもり、土地の勾配なのか、もともとなのか(古墳ということもありえますか)。

 

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拝殿。

尾張造っぽい。

 

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ぽつねんと手水舎。

 

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拝殿向かって左側。

 

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そこから本殿に寄りました。

 

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境内社は「日吉社」。

 

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本殿。

 

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日吉社」正面から。

 

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西向きの社標。

 

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あ、鳥居は南北方向でした。

 

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境内全景。

高くなっているのがわかります。

 

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狛犬さん。

目がぐるぐる、ひげふさふさで可愛い。

 

……あら、これだけか。

 

さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『尾張名所図会』から(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

125コマです。

 

鶯谷 日置小川町の東、白山のあたりをいふ。今も人家まばらなる陋巷なれば、鶯の啼く音も一入静に聞きなさるる所なり。むかしより当国の鶯を賞せしにや、赤染衛門が家集の中ノ森の歌にも「鶯の聲するほどはいそがれず」とよみ、丹羽郡二宮山の山姥の故事にも、其所の鶯を賞せし由見えたり。[万葉集]の「鶯のかひこの中のほととぎす」といふ歌は、郭公は鶯のやしなひ子といふ事のあるをよみしよしなれば、[続日本紀]及び[扶桑略記]に「養老五年正月戊申朔。尾張国言。小鳥生大鳥」とあるも、此辺の鶯の巣より、餘鳥のすだち出でたるを見て申せしなるべし。[延喜治部省式]の中瑞のうちにも、「小鳥生大鳥」と見えたり。」

 

ふむ、当時(江戸末期)の情景が今ひとつ浮かびませんが……位置的には大須から堀川へ下っていく途中で、今もなかなか風情のある辺りですので、鶯も鳴いたことでしょう。

それにしても、鶯から『続日本紀』や「扶桑略記』などを持ってくる辺り、着眼点が素晴らしい(鶯谷も、郭公(ほととぎす)も、それこそ日本中にいたでしょうに)。

あ、郭公が托卵する、というのは結構古くから知られていたのですね(まあ、昔は自然を見ているしかないわけですから、現代人よりもいろいろなことに気づいたことでしょうけれども)。

 

◯こちら===>>>

尾張志. 2 名古屋 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『尾張志』もみてみましょう。

16コマです。

 

「白山社
日置の山神社の北西の方にあり菊理媛神を祭るといへり初めて祭れる年月知かたし
摂社 山王社」

 

あっさり。

今も境内にある「日吉神社」が、江戸の頃から「山王社」としてあったことがわかります。

 

◯こちら===>>>

名古屋市史. 社寺編 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑『名古屋市史』の社寺編はいかがでしょうか。

289ページです。

 

「二四 白山神社
白山神社は中区上日置町(もと日置村、往古此辺を鶯谷といへり)の南側に在り、(略)、旧称は白山権現といふ、勧請の年時詳ならず、文明年中、大永年中、天正十五年、慶長十五年、貞享年中に各再営遷宮あり、今村社に列す、祭神は菊理姫命、殿宇は神殿、拝殿、井戸屋形、社務所、木鳥居(元禄年中修繕)等あり、境内神社は日吉神社(もと山王社と号せり、祭神は大山咋命)の一所あり、例祭は九月十五日にして、市より供進使の参向あり、(以下略)」

 

……まあ、江戸期の文献から拾って書いているので、さして変わらず……やはり勧請した時代はよくわからない、ということですね。

白山神社」、日本中にあるのですが、名古屋市内の比較的大きな「白山神社」だけでも、10くらいはあるのではないでしょうか(数えたことはない)。

いわゆる被差別民の集落には「白山神社」が多かった、という研究もあるようで、そうすると、「白山神社」が多い、というのはある意味で都会的な現象なのかもしれません。

被差別民と「白山神社」が今ひとつ繋がらないのですけれども……いや、勉強不足。