べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「大宮浅間神社(尾張富士)」(補)

さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第1輯第10編尾張名所図会 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

尾張名所図会』から久々のちゃんとした引用です(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

377ページ。

 

「富士浅間社 尾張富士の峯にあり。本社祭神木花開耶姫命。左右に金剛界社・胎蔵界社等あり。又其下に駿州富士八葉に擬へ、熊野社・神明社・三島社・鹿島社・日吉社・白山社・伊豆社等を祭る。夫より麓まで末社数祠ありて、釜岩社・日神社・中宮社・八幡社・三輪社・山王社・弁財天社等あり。此餘古跡多し。図上に就いて見るべし。
大宮社。富士の麓にあり。俗に富士新宮といふ。
例祭 四月初申日・六月朔日・九月十五日・十一月初申日なり。其内六月朔日は殊に大祭にて、五月晦日の夜より、山上山下に大篝を夥しくたき、貴賎の群参、山も崩るるばかりなり。此火遠望には殊に花やかに見えて、如意ヶ嶽の大文字に彷彿たり。翌朔日には別当修験等出坐し、読経・護摩執行あり。終りて近郷より馬を献ず。又当社に左鎌を奉納して祈願をかくる事あり。いかなる故をしらず。
別当大嚴院 長来山富光山と號し、真言宗、犬山薬師寺末。当院は天平年中行基菩薩の開基なるよしいひつたへたり。本尊薬師の木像。
修験 常昌院・宝蔵院・泉正院・千手院・金蔵院の五坊あり。いにしへは十二坊もありしよし。今も悉く旧地残れり。」

 

というわけで、372ページには図絵もありますので、ご参考に。

尾張富士」という山の、麓から頂上に至るまで、小さな社が並んでいるのがわかります。

上記に、「大宮社」とあるのが、現在の社殿の場所なのか……「弁天池」というのも図絵の中にありまして、周囲の雰囲気的にはそこは、今回写真に撮った「弁天」様のところかな、と思うのですが、そこから上は末社が並んでいて、「本社」が頂上……頂上までは登ってないんですよね……さて、どうなのか、と。

金剛界社」「胎蔵界社」という謎の社が、真言宗ですよね……今まで聞いたことなかったです。

一応、「尾張富士」についても引用しておきましょうか。

 

尾張富士 富士村にあり。本宮山に対して、俗に小富士ともいへり。孤峯最高く、遠くは駿河の士峯を望み、近くは入鹿の大池を見下し、尾・三・濃・信の連山一眸につきて、風光無双の佳境なり。凡擬富士は諸国にありといへども、皆其形によりて名付けたるを、此尾張富士のみはさに非ず。むかし近江土を駿河に運びて、湖と富士山を造り給ひし時、擔夫の神此地にて一簣を覆し給ひしが、則此山となりしよしいひ伝へたれば、彼駿河の山と同じ土石なりとぞ。近世高田興清が著はしし[国鎮記]といふものに、駿河の富士山をはじめ、諸国の擬富士を挙げたり。そは陸奥富士・薩摩富士・都富士・有馬富士・伊豆富士・八丈富士・近江富士・南部富士・筑紫富士・豊後富士・鎌倉小富士・播磨富士・讃岐富士・安芸小富士志津川富士等を出せるに、此尾張富士はいかがして書き洩しけむ。」

 

ええと、わかりづらいのですが、犬山の「大縣神社」ですね、

 

◯こちら===>>>

「大縣神社」 - べにーのGinger Booker Club

「大縣神社」「田縣神社」(再) - べにーのGinger Booker Club

 

あのあたりにあるのが「本宮山」というのですが、そっちを「大富士」と呼んでいて、それに対して「尾張富士」が「小富士」……なんか、判然としませんけれどもね……。

どうやら、富士山と琵琶湖を作った神……ていうかデイダラボッチですけどね大抵は……が落っことした、土を運ぶための道具が「尾張富士」になったので、富士山と同じ土砂でできている……と。

その割に、『国鎮記』という本では取り上げられていない……ということは、この「富士山=尾張富士同土砂製説」がほとんど知られていなかったというわけですね……いえ、その本もどのくらい調べられて書かれたのかわからないのですが、結構な数のご当地富士が載っているのに……デイダラボッチの造山伝説自体も、どの時代にどの程度知られていたのかがよくわかりませんけれども、それに絡めた言い伝えが本当にこの地方に伝えられていたのでしょうか。

私は聞いたことがないんですけども……。

 

◯こちら===>>>

天下の奇祭尾張富士の石上祭と其の伝説 - 国立国会図書館デジタルコレクション

↑『天下の奇祭尾張富士の石上祭と其の伝説』(昭和9年の発行です)という、まんまな本がありまして。
その22ページに、略記が書いてあります。

 

尾張富士大宮浅間神社略記
一、御祭神 天照大御神 木花開耶姫命
(略)
一、由緒 天平元年邇波縣主道直公の勧請にかかり古来御霊験著しく織田信長豊臣秀吉公等武将の信仰厚く種々神宝を寄進せらる
毎年旧五月晦日、六月朔日にかけて天下の奇祭「火祭及石上祭」が行はれ数十万の参詣社ありて雑踏を極む頂上に数百貫の献石累々たり
(略)
子供の神様として崇敬篤く子女成育の庇護を得んとして預子となし虫封祈祷を請ふもの多し毎々不思議なる御霊徳に預るもの夥し常に賽者の絶ゆることなく神威赫々たり
左鎌は一名虫切鎌とも称し由緒ある神鎌にして小児の虫封魔除の御守なり(以下略)」

 

「左鎌」が気になるところですが……(この辺りだと、「南宮大社」、「猿投神社」で見られましたか……

 

◯こちら===>>>

「南宮大社」 - べにーのGinger Booker Club

「南宮大社」(再)(岐阜県不破郡) - べにーのGinger Booker Club

「南宮大社」(補) - べにーのGinger Booker Club

「猿投神社」 - べにーのGinger Booker Club

「猿投神社」(妄) - べにーのGinger Booker Club

「猿投神社」(妄)その2 - べにーのGinger Booker Club

「猿投神社」(再)(豊田市)〜高速初詣その3 - べにーのGinger Booker Club

 

その辺りのラインの関係性を考えると面白いのか、特に古い由来もないものなのか……祭り関係は、江戸時代に始まっているものも多いので、よくわからないのですよね……)。

「石上祭」というものがどんなものかといいますと、『天下の奇祭尾張富士の石上祭と其の伝説』から要約しまして、

 

「・昔々、犬山の字五郎丸というところに、八百比丘尼が住んでいた。
・ある夜、尾張富士の御祭神木花開耶姫命が、比丘尼の夢枕に立ち、「隣の本宮山より背が低いのが残念なので、小石を一つでも頂上に上げてくれれば、願いを叶える」とおっしゃった。
比丘尼が里人に伝えると、みんな喜んで石を上げ、願いが叶った。
・その日が六月朔日だったので、祭日となった。」

 

というものです。

まあ、なんでしょう……そもそも「木花開耶姫命」の御神体山は富士山で、日本において他に並ぶものなしなわけですから、「本宮山」に負けていたところでどうなのか……という感じがします。

「山の背比べ伝説」というのは、いろいろなところにあり、元々は土着の信仰だったのでしょうが、神名などが書き換えられていったのだと思われます(神仏分離以後に多いんじゃないでしょうか……)。

あ、「左鎌」についても、17ページに書かれています。

 

「此の由来即ち左り鎌の縁起は、昔弘仁年間即ち今から一千百年程以前に、お山のお守役に権太夫なる人がありました、お山に金明水と、銀明水の浄水を設けんとして二つの井戸を発掘いたしましたる所、金明水から一丁の左り鎌が現はれたのであります、権太夫は非常に驚いて此の地は其の昔盤城の地である、これぞ正しく御祭神木花咲耶姫命が土賊を刈りたまゐし、御由緒ある御神宝ならんと直ちに御祭り致したのであります。」

 

……うん、なんでしょう、「金の斧と銀の斧」の匂いがしますよね……。

そもそも、「木花開耶姫命」が土賊を刈るって……伝承上は九州で亡くなってますけれども……。

一応、尾張美濃(場合によって諏訪辺り)に見られる、「風除けの鎌」の呪いとの関わりが何かあるのか、と触れられています。

「魔風を切る」のですけれども(諏訪だと「薙鎌」……だったかな)、もしこれが古代から続いていれば、おそらく「鉄の鎌」であることに意味があるので(切れ味的に)、ということは製鉄氏族のライン、というのがまた浮かび上がってきましてですね……で、昔からあった風習、捧げられた鎌を権太夫という人が井戸から見つけた、という可能性はないこともないとは思いますが……ちょっと、いろいろ盛りすぎている感じがします。

で、「火祭」と「石上祭」ってセットになっているのですが、何故か江戸末期の『尾張名所図会』には、「石上祭」のことは書かれておらず、普通に護摩を焚いたりお経をあげたり……これもまた、地元の人に秘された祭りだったのか……あるいは実は歴史が新しいのか……ひょっとすると、「神事」とは認められていない「風習」だったのかもしれません(が、当時のガイドブックである『名所図会』が、そんなネタを無視することもあるまいと思います……ううむ……)。

ちらっと調べてみただけで、面白い話が満載の犬山ですので、ちゃんと犬山の伝説なんかを当たってみたいものです。

特に結論はありませんので〜。

「大宮浅間神社(尾張富士)」(犬山市)(※おまけ「寂光院」の紅葉)

11/11。

とりあえず、紅葉を求めて「寂光院」へ。

 

◯こちら===>>>

「継鹿尾山寂光院」(犬山市) - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

f:id:bennybebad:20171111100610j:plain

曇り、残念。

 

f:id:bennybebad:20171111101316j:plain

かと思えば、少し晴れている。

 

f:id:bennybebad:20171111101430j:plain

扁額。

 

f:id:bennybebad:20171111101621j:plain

本堂前。

 

f:id:bennybebad:20171111101703j:plain

随求堂から……だったと思います。

 

f:id:bennybebad:20171111101828j:plain

……うん、紅葉の時期に早かったのか、遅かったのか、もう記憶がないです。

 

f:id:bennybebad:20171111101949j:plain

多分遅かったんだな……。

 

f:id:bennybebad:20171111101959j:plain

本堂。

 

f:id:bennybebad:20171111102041j:plain

紅葉、ちょっと晴れた。

 

f:id:bennybebad:20171111102246j:plain

紅葉。

 

f:id:bennybebad:20171111102123j:plain

紅葉、また曇る。

 

f:id:bennybebad:20171111102316j:plain

本堂。

 

f:id:bennybebad:20171111102331j:plain

本堂。

 

f:id:bennybebad:20171111102623j:plain

弁天堂から。

 

f:id:bennybebad:20171111102659j:plain

紅葉。
露出のコントロールがね……(まあ、iPhoneですし)。

 

f:id:bennybebad:20171111104202j:plain

紅葉。

 

f:id:bennybebad:20171111104441j:plain

紅葉。

 

f:id:bennybebad:20171111104602j:plain

こんちまた埋まっておられますな……。

 

f:id:bennybebad:20171111104457j:plain

f:id:bennybebad:20171111104626j:plain

という感じでした。

 

f:id:bennybebad:20171111191842j:plain

f:id:bennybebad:20171111191900j:plain

f:id:bennybebad:20171111191913j:plain

御朱印

 

で、そこから「大宮浅間神社へ移動。

 

◯こちら===>>>

尾張冨士大宮浅間神社 « 犬山観光情報

 

観光協会のHPですが。

場所としては、「博物館明治村」のすぐ近くで、「明治村」の裏の方から出てくると、ちょうどこの神社の脇を通る感じになります。

 

f:id:bennybebad:20171111111258j:plain

社標。

 

f:id:bennybebad:20171111111347j:plain

緩い斜面を登ると。

 

f:id:bennybebad:20171111111405j:plain

再び社標。

 

f:id:bennybebad:20171111111501j:plain

「弁財天」をお祭りした社。

島です、はい。

紅葉が美しい……がやや暗いか。

 

f:id:bennybebad:20171111111514j:plain

こちらも鮮やかな紅葉。

 

f:id:bennybebad:20171111111528j:plain

うーむ、もうちょっと池が澄んでいたら、反射が美しかったかも……。

 

f:id:bennybebad:20171111111552j:plain

蛙さん。

 

f:id:bennybebad:20171111111603j:plain

……弁天さまばっかですな……。

 

f:id:bennybebad:20171111111630j:plain

愛知県の新十名所に選ばれたようです。

隣のは、献石(いしあげ)のための石、です。

尾張の子供なら、大抵知っているだろう、「尾張富士と本宮山の高さ比べ」、というやつですね(後で書くかもです)。

 

f:id:bennybebad:20171111111722j:plain

「句碑のみち」。

 

f:id:bennybebad:20171111111727j:plain

句碑。

 

f:id:bennybebad:20171111111733j:plain

手水舎。

 

f:id:bennybebad:20171111111859j:plain

拝殿。

杮かな……銅との組み合わせは珍しいのかも。

 

f:id:bennybebad:20171111111919j:plain

拝殿……あれ、幣殿かな。

尾張造かもしれないです。

 

f:id:bennybebad:20171111111950j:plain

f:id:bennybebad:20171111112022j:plain

手前はえんむすびの松、だそうです。

 

f:id:bennybebad:20171111112039j:plain

f:id:bennybebad:20171111112046j:plain

f:id:bennybebad:20171111112101j:plain

f:id:bennybebad:20171111112120j:plain

f:id:bennybebad:20171111112131j:plain

f:id:bennybebad:20171111112143j:plain

f:id:bennybebad:20171111112150j:plain

狛犬さん。

比較的新しいようですが、しっかりした意匠です。

曇った……。

 

f:id:bennybebad:20171111112155j:plain

御祭神は「木花開耶姫命」と「天照大御神」。

 

f:id:bennybebad:20171111112208j:plain

社殿遠景。

 

f:id:bennybebad:20171111112224j:plain

こちら、石上げを行うところ、だったと思います。

 

f:id:bennybebad:20171111112744j:plain

参道遠景。

社殿の位置関係が今ひとつわかりませんね……申し訳ない。

 

f:id:bennybebad:20171111192004j:plain

御朱印

 

引用などはまた〜。

「北野天神社」(江南市)(※おまけで「洲崎神社」(名古屋市中区))

さて。

せっかく周回遅れを逃れられそうだったのですが、諸々の事情で更新が遅れております……。

11/3(まだ2017年の、です)。

江南市をちょっとぶらぶらの旅をしておりまして、駅の近くの「北野天神社」にたどり着きました〜。

 

◯こちら===>>>

www.konan-kankou.jp

 

f:id:bennybebad:20171103104452j:plain

社標より、筆のオブジェが目立っている、という。

 

f:id:bennybebad:20171103104502j:plain

参道入り口。

 

f:id:bennybebad:20171103104512j:plain

おっと、定書が石に刻まれていて、ちょっと珍し。

 

f:id:bennybebad:20171103104523j:plain

思いの外参道が長い……。

 

f:id:bennybebad:20171103104547j:plain

太鼓橋は、渡ること能わず、でした。

 

f:id:bennybebad:20171103104602j:plain

右手の鳥居は、先ほどのとは別です。

蕃塀があります。

 

f:id:bennybebad:20171103104611j:plain

ほいっと。

ああ、やはり百度石は蕃塀の手前にあることが多いのですか……まあ、参道入り口まで戻ってのお百度は大変だろうから……でもそれでいいのでしょうか……まあいいか。

 

f:id:bennybebad:20171103104740j:plain

拝殿正面。

狛筆……?

あ、小さい牛さんもいる。

 

 

f:id:bennybebad:20171103104812j:plain

「北野天神社の由緒
(略)この北野天神は、菅公が流されたので、子が難を逃れて各地に散住し、一人がこの地に住つき、后年祖先(菅公)まつりし、地名を由縁の北野と名づけたのが起りといわれています、延㐂三年二月廿五日昇神されたので、月の廿五日は、天神さんの日として言伝へられたのであります。(略)」

 

略した部分は、「菅原道真」公の略記と、「天神様」のご加護について、でしたので。

「延㐂」って「延喜」のことだと思うのですが……違ったりして。

 

f:id:bennybebad:20171103104841j:plain

拝殿向かって右手より。

牛さん発見。

 

f:id:bennybebad:20171103104852j:plain

ずずい、と近づいてみました。

瓦葺き、新しい社殿ですね。

 

f:id:bennybebad:20171103104940j:plain

これは多分、裏手に回る途中で見えた本殿だと思います。

銅葺きで、赤銅色は珍しい……あ、銅じゃないですね多分。

 

f:id:bennybebad:20171103104953j:plain

おっと、珍しく「二宮金次郎」さん……まあ、「天神様」にはふさわしいといいますか。

 

f:id:bennybebad:20171103105008j:plain

「願かけ牛之宮」、という、確か牛さんがいらっしゃったような……違ったかな……先客がお見えになったのでスルーしました(……と思い込んでいましたが、写真を見ると誰もいなさそうですね……謎)

 

f:id:bennybebad:20171103105019j:plain

灯篭。

 

f:id:bennybebad:20171103105038j:plain

f:id:bennybebad:20171103105044j:plain

鳥居、の一部。

 

「鳥居の謂
この旧鳥居は、稲木庄北野村庄屋堀尾為右衛門と惣氏子中の寄進願いにより、尾張藩御抱犬山御石工縣半右衛門により享和元年酉九月吉日(一八〇一年)に建造されたものであり、ここに一部を永久保存し、北野天神社の社宝となす。
(略)
北野天神社創建 承應二年(一六五四年)」

 

f:id:bennybebad:20171103105222j:plain

向かって左手、社務所の前辺りからの拝殿、本殿。

 

f:id:bennybebad:20171103105257j:plain

日光が……氏神、とか明神、太神といった言葉が見られますので、小祠だったのかな、と(神仏分離か戦後に集めたのだと思われます)。

 

f:id:bennybebad:20171103105313j:plain

岩。

 

「岩の謂
この岩は以前郷裏の畠中にあったもので惜昔は其処に寺があってその門先の岩だと云われ附近を岩石と呼びその岩にお詣りするとおこりが落ると敬まわれ草鞋やローソクがたへず供へられていた岩で当地の区画整理(昭和十年)の折、道路にかかり境内に移されたものである。」

 

岩がおこりを落とすと……で、ローソクはまだしも草鞋ってことは、足の神様なんでしょうかね……そもそもいつの頃なのかがわからないので、なんとも言えません。

 

f:id:bennybebad:20171103105338j:plain

f:id:bennybebad:20171103105331j:plain

おっと、天神筆のオブジェの裏には、「東風吹かば……」です。

 

なんだか中途半端な感じですが……以上です。

 

f:id:bennybebad:20171103201830j:plain

御朱印

 

さて。

 

◯こちら===>>>

尾張国地名考 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑一応、『尾張国地名考』を引いてみます(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

138コマの丹羽郡のところに「北野村」があるのですが、「春日井郡に同名あり」となっているので、106コマのそちらを。

 

下之郷村 支村一 野田
中之郷村 知多郡に同名あり
北野村 丹羽郡に同名あり

【瀧川弘美曰】此三ヶ村並であり北野は北の郷の間違なるべし是もとは一郷にして疑らくは地名を失ひたるものなるべし
北野村に菅原天神の宮あり 【正生考】総て今北野或は天満などいへる村々に菅原天神を祭らぬ所なし 是は地名によりて後世菅神を斎奉りしものなるべし 後世鎌倉以来の流行事なるべし」

 

……うん、まあ、なんでしょう、「神様が先か、地名が先か」って話で……。

日本でも有数の大人気流行神、もはや定着してしまったので流行神だったことすら忘れられた、「菅原道真」公。

浄瑠璃の演目『菅原伝授手習鑑』にもなっています。

史実の部分と、伝説の部分(公の祟りにより仇敵が死んだ云々)がいい感じでミックスされて、日本人の判官贔屓に見事にマッチした、ということでしょうか。

うーむ、「太宰府天満宮」も「北野天満宮」も行ったことないんですよねそういえば……。

「菅原道眞」公自身についてもよく知らないな……勉強せねば……。

 

というわけで、ちょっと江南市をぶらぶらしてみました〜。

 

※おまけ。

名古屋市大須の「三輪神社」に出かけたのですが、久々に「洲崎神社」にもご参拝。

f:id:bennybebad:20171103141327j:plain

f:id:bennybebad:20171103141305j:plain

f:id:bennybebad:20171103141238j:plain

 

f:id:bennybebad:20171103201913j:plain


 

 

 

 

「白山社」(江南市尾崎町)

11/3。

さて、「石作神社神明宮」の参拝を終え、江南駅まで歩く途中で見つけた「白山社」。

 

f:id:bennybebad:20171103103415j:plain

村社か……何を見ればいいのかな……。

 

f:id:bennybebad:20171103103433j:plain

鳥居と蕃塀。

 

f:id:bennybebad:20171103103441j:plain

あれ、そういえば狛犬さんがおらなんだな……。

社標と思わせて百度石。

 

f:id:bennybebad:20171103103451j:plain

彫りは甘いですが、凝って作ってあると思います。

 

f:id:bennybebad:20171103103458j:plain

手水舎。

 

f:id:bennybebad:20171103103538j:plain

拝殿。

やはり尾張造っぽいのかな……。

 

f:id:bennybebad:20171103103601j:plain

本殿左手の「秋葉社」。

あ、裏手には公園があったと思います。

 

f:id:bennybebad:20171103103608j:plain

本殿左手から。

 

f:id:bennybebad:20171103103624j:plain

ここで拝殿を振り返って賽銭箱を見てみると……「神さまは見ている!」。

このアングルの賽銭箱もなかなか見ませんけれども、こんなことが書かれていたとは……多いんでしょうか賽銭泥棒。

 

f:id:bennybebad:20171103103700j:plain

本殿右手の@「神明社」。

 

f:id:bennybebad:20171103103706j:plain

本殿右手から。

 

f:id:bennybebad:20171103103718j:plain

境内右手にあるお稲荷さん。

 

f:id:bennybebad:20171103103749j:plain

やはり結構しっかり作ってある。

 

f:id:bennybebad:20171103103840j:plain

おキツネさま。

 

f:id:bennybebad:20171103103912j:plain

で、こちらが謎……お稲荷さんの参道から隠すような感じであったのですが……なんだろう……。

 

地域の神社、という感じが素敵。

ちょっと写真じゃわかりづらいのですが、駅前から伸びる広い道路沿いで、道路からすぐに一段上がっています。

鳥居のほぼ正面に道があるので、ひょっとして旧参道かもしれません。

 

今回も引用はなしで〜す。

「石作神社神明宮」(江南市)

11/3。

すでに神社仏閣巡りより、BABYMETALさんたちに重心移動しています。

毎週のようにあちこち行こう、と思っていた頃が嘘のようです……が、尾張再発掘、のためにも江南市に行ってみました。

事前情報なしでうろうろしてしまい、コインパーキングもそれほどなく、どうしたものか……結局江南駅前に駐車して、ぶらっと「石作神社神明宮」へ。

 

……公式ページはない、と。

江南市による紹介もない、と。

 

f:id:bennybebad:20171103101527j:plain

参道正面。

 

f:id:bennybebad:20171103101558j:plain
鳥居から参道。

 

f:id:bennybebad:20171103101640j:plain

f:id:bennybebad:20171103101657j:plain

蕃塀さん発見。

謎の玉……と思ったら百度石でした。

 

f:id:bennybebad:20171103101738j:plain

f:id:bennybebad:20171103101746j:plain

f:id:bennybebad:20171103101755j:plain

f:id:bennybebad:20171103101802j:plain


狛犬さん。

天気いいなぁ……。

 

f:id:bennybebad:20171103101813j:plain

楽殿。かな。

 

f:id:bennybebad:20171103101831j:plain

f:id:bennybebad:20171103101842j:plain

狛犬さん。

 

f:id:bennybebad:20171103101856j:plain

f:id:bennybebad:20171103101906j:plain

狛犬さん。

狛犬さんたくさんです……あちこちから集まってきたのかな。

 

f:id:bennybebad:20171103102004j:plain

f:id:bennybebad:20171103102030j:plain

拝殿。

 

f:id:bennybebad:20171103102106j:plain

回り込んでの本殿。

社殿の配置は尾張造っぽいです。

 

f:id:bennybebad:20171103102145j:plain

灯篭はお稲荷さん。

 

f:id:bennybebad:20171103102205j:plain

こちらは秋葉山

 

f:id:bennybebad:20171103102314j:plain

f:id:bennybebad:20171103102340j:plain

境内摂社。

 

f:id:bennybebad:20171103102415j:plain

遠景。

 

f:id:bennybebad:20171103102426j:plain

さらに遠景。

 

おお……摂社が何神社なのか、至近距離で撮影していない……なんてこったい。

 

……というわけで、文献などを検索してみましたがうまく引っかからず……尾張国式内社に「石作神社」は4箇所ありまして(確か)、山田郡のは長久手のものでほぼ確定のようです。

 

◯こちら===>>>

「石作神社」(長久手市) - べにーのGinger Booker Club

「石作神社」(補) - べにーのGinger Booker Club

「石作神社」(再)(長久手市)〜高速初詣その2〜 - べにーのGinger Booker Club

 


で、『尾張国神社考』(原題「尾張神名帳集説本之訂考」、津田正生、ブックショップ「マイタウン」発行)で、丹羽郡の「石作神社」の項を見てみますと、

 

従三位石作神社天神 この神社不詳 [府志云]石作の二字は疑らしい石枕の誤歟と [正生考]郡内に石枕、石佛の村名あり。神名帳の誤字なるべし。」(p63)

 

とありまして……あ、『張州府志』か、確認してなかった……ていうか、丹羽郡のところを全然探してないのかな……。

まあ、ともかく、尾張国に、4つ「石作神社」があったらしい、のですが、なんで尾張国に4つも固まっていたんでしょうね……といういつもの疑問に逆戻りです。

あ、実際「石作神社神明宮」の付近の地名は「石枕」です……「延喜式」が本当に「石枕」の書き間違いだとして、だったら神社名は「石枕神社」のままじゃないかなぁ……と思うのですよね、地元では。

まあ、「延喜式」を訂正してください、ということにはなかなかならないでしょうけれども(だいたい、どのくらいの人間が「延喜式」を知っていたのか、という話で)、だったら一層、地元では「石枕神社」のままで通っていたような気がします。

それを、近世になって神社名を「石作神社」にしたのか、やっぱり元々「石作神社」だったのか……。


あとは郷土史家のかたにおまかせしましょうか……。

「針綱神社」「三光稲荷神社」「猿田彦神社」(再)

10/7。

やっと10月……ふと、犬山城へ(聖地巡礼的に)出かけたものですから、

 

f:id:bennybebad:20171007095029j:plain

 

◯こちら===>>>

近況〜聖地巡礼的な? - べにーのDoc Hack

 

「針綱神社」へ。

 

◯こちら===>>>

「針綱神社」 - べにーのGinger Booker Club

「三光稲荷神社」 - べにーのGinger Booker Club

「犬山神社」 - べにーのGinger Booker Club


↑以前の記事です。

 

f:id:bennybebad:20171007095215j:plain
鳥居。

 

f:id:bennybebad:20171007095634j:plain

犬山成田山」。

 

f:id:bennybebad:20171007095946j:plain

拝殿。

 

f:id:bennybebad:20171007100003j:plain

神馬。

 

f:id:bennybebad:20171007100144j:plain

f:id:bennybebad:20171007100150j:plain

天神様と小さい狛犬さん。

 

f:id:bennybebad:20171007100541j:plain

f:id:bennybebad:20171007100558j:plain

狛犬さん。

 

f:id:bennybebad:20171007100713j:plain

秋葉神社」。

 

f:id:bennybebad:20171007100735j:plain

f:id:bennybebad:20171007100746j:plain

狛犬さん。

拘束されているわけではナッシン。

 

f:id:bennybebad:20171007100845j:plain

神橋。

 

f:id:bennybebad:20171007100856j:plain

f:id:bennybebad:20171007100910j:plain

狛犬さん。

 

f:id:bennybebad:20171007100947j:plain

三光稲荷神社」。

 

f:id:bennybebad:20171007101418j:plain

拝殿とおキツネさま。

 

f:id:bennybebad:20171007101658j:plain

蟇股部分にも「三光」。

 

f:id:bennybebad:20171007101709j:plain

f:id:bennybebad:20171007101718j:plain

おキツネさま。

紅白。

 

f:id:bennybebad:20171007101923j:plain

猿田彦神社」。

 

f:id:bennybebad:20171007102007j:plain

f:id:bennybebad:20171007102018j:plain

おキツネさま。

紅白。

 

f:id:bennybebad:20171007104434j:plain

f:id:bennybebad:20171007104501j:plain

f:id:bennybebad:20171007104507j:plain

再びの、私に全く関係のない映えスポット。

 

f:id:bennybebad:20171007201837j:plain

f:id:bennybebad:20171007201854j:plain

f:id:bennybebad:20171007201908j:plain

御朱印

 

 

 

……おっと、写真だけかい、と思われたかもしれませんが、たまにはね。

「大縣神社」「田縣神社」(再)

9/30。
天気はそれほどよくはなかったのですが、そういえばご挨拶にいっていないな、と思い、大縣神社」「田縣神社へ。

 

◯こちら===>>>

「大縣神社」 - べにーのGinger Booker Club

「田縣神社」 - べにーのGinger Booker Club



↑以前の記事です。

 

f:id:bennybebad:20170930091719j:plain

大縣神社」から。

 

f:id:bennybebad:20170930092423j:plain

「大国恵比須神社」。

 

f:id:bennybebad:20170930092436j:plain

f:id:bennybebad:20170930092451j:plain

狛犬さん。

 

f:id:bennybebad:20170930092627j:plain

「姫之宮」の本殿。

 

f:id:bennybebad:20170930092709j:plain

拝殿。

 

f:id:bennybebad:20170930092738j:plain

f:id:bennybebad:20170930092757j:plain

狛犬さん。

 

f:id:bennybebad:20170930093626j:plain

社務所前より。

……肝心の本社拝殿の写真がない、と。

どうしてだっけな……。

 

f:id:bennybebad:20170930095704j:plain

続いて「田縣神社」。

 

f:id:bennybebad:20170930095946j:plain

拝殿。

修繕が終わり、屋根はすっかり赤銅色ではなくなっておりますね……。

 

f:id:bennybebad:20170930100106j:plain

鈴まで……。

 

f:id:bennybebad:20170930100121j:plain

f:id:bennybebad:20170930100133j:plain

f:id:bennybebad:20170930100147j:plain

f:id:bennybebad:20170930100158j:plain

狛犬さん。

 

f:id:bennybebad:20170930100226j:plain

「珍宝窟」。

 

f:id:bennybebad:20170930100400j:plain

f:id:bennybebad:20170930100407j:plain

社務所より。

 

f:id:bennybebad:20170930201553j:plain

f:id:bennybebad:20170930201559j:plain

御朱印

 

さて。

 

◯こちら===>>>

大日本名所図会. 第1輯第10編尾張名所図会 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑「大縣神社」のほうは引用していなかったので、『尾張名所図会』より(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

349ページです。

 

大縣神社
二ノ宮村にあり。俗に二之宮大明神と稱す。[延喜神名式]に大縣神社 名神大。 と見え、[本国帳]に正一位大縣大明神としるせり。垂仁天皇二十七年の御鎮座にて、天武天皇朱鳥元年、勅して再建し給ひ、清和天皇貞観元年、御修理あり。其後星霜を経て、永正元年回禄にかかり烏有となりしを、同十五年織田弾正左衛門平久長再建し、やや旧貫に復しぬ。然ありしより神威昭々として、諸人の崇敬他に異なるの官社たり。
続日本後紀]に曰く、承和十四年十一月癸亥朔癸酉。奉授尾張国無位大縣天神従五位下。[文徳実録]に曰く、仁寿元年十一月辛巳。詔以尾張国大縣神列於官社。同三年五月辛亥。尾張国無位 一本従五位下。 大縣神授従四位下。[三代実録]に曰く、貞観元年二月十七日癸卯。授尾張国従四位下大縣神従四位上。同月十九日乙巳。遣正五位下守右中辨兼行式部少輔大枝朝臣音人。向尾張国大縣神社。奉神位記財宝。同十五年八月十三日乙巳。授尾張国従四位上大縣神正四位下
本社 祭神 国狭槌尊・活目入彦五十狭天皇国常立尊豊斟渟尊を合せまつれり。
瑞牆 廻廊 祭文殿 拝殿 舞殿 御供所 御井 祭庫 鳥居。
別宮三名神社 本社の東山上にあり。祭神豊斟渟尊。[本国帳]に正一位名神と見えたり。[同書]に従三位田宮天神とあるも、当社の摂社たりしが、中世廃して旧址のみ存せり。
末社神明社 本社の西にあり。 祭神天照皇大神宮
戸坂若宮社 同所にあり。祭神景行天皇
多賀社 同所にあり。祭神伊弉冊尊
中宮社 同所にあり。祭神天御中主尊
弁財天四社 同所西のかたにあり。
毘沙門社 本社の東にあり。
大黒社 同所にあり。
白山社 同所にあり。祭神菊理姫命。
瘡神社 同所にあり。祭神倉稲魂命
神宮寺社 同所にあり。
妙見社 同所にあり。祭神建稲種命
伽藍祭社 同所にあり。
例祭 八月朔日。児山一輌・人形山二輌を出す。九月九日。流鏑馬并笹踊等あり。当社は古より大社にして、年中の祭事多かる中に、田打祭・清祓烏喰神事・祈年祭新嘗祭・大和舞・鎮座祭・奏楽・傘廻等ことに大祭なりしが、今悉く廃絶して、近村に供祭田等の旧号あまた字のみ残れり。
(略)
神主 むかしは大荒田命の裔孫爾波縣君司りしが、其末はいかがなりけん。中昔より尾張氏にて重松と称する家代々奉祀す、これ歴仁元年十二月の尾張国諸社神領廳宣に、左衛門尉尾張俊村仮名重松分。一乗寺保三十七町六段云々とある重松氏なり。其外祠官成時氏・元方氏・稲吉氏・常吉氏等数十家、神官・中臈・神楽座・神子数人あり。
(略)
[鹽尻]に、我尾州二の宮は、古盛なりしとき、四至も広く、祭祀もめでたくおこなはれしと見ゆ。大縣宮地打越明神の傍、字針とよぶ地に勅使宿館の跡あり。いにしへ神主の宅地も爰なりとかや。御休といふ地、二の宮と楽田の間、道の北にあり。是祭祀の日、神輿御幸の地なりしよし。夫より西跡に二の鳥居の跡あり。宮地よりここまで五町ばかりなり。これ近四至と見えたり。一の鳥居の跡は青塚にあり。 (略) 是は遠四至にや。此邊に舞台と称ふる田あり。是むかし舞台ありし所といふ。楽田村の名もこれにかなへり。凡楽田のうち、田の字に御供田・直会田・注連切田・燈明田・経田等の名あり。又傘廻田と呼ぶ地あり。古神事に、傘さして付きてまはりし事あり。其米を出しし所といふ。また東方の山岳に西福寺・浄福寺・真蔵寺・不動寺・小西寺など呼ぶ所、いにしへ供僧の役所といふ。小西寺の旧跡塔の壇の名、今のこれり云々。」

 

ふう、ちょっと長め……。

「瘡神社 同所にあり。祭神倉稲魂命。」……「瘡」といったら普通「疱瘡神」なのですが、何故に「倉稲魂命」……。

「妙見社 同所にあり。祭神建稲種命。」……これは「内々神社」が妙見信仰と混ざり合っていたからでしょうね。

「伽藍祭社 同所にあり。」……もう謎でしかない。

祭事に関してはほとんど伝承も失われているという様子ですが、そうすると例の「豊年祭」はどうなってたんでしょうね……ますます謎……。

 

◯こちら===>>>

尾張志. 7 羽栗郡 - 国立国会図書館デジタルコレクション

 

↑お久しぶりねの『尾張志』。

23ページです。

 

大縣神社
二宮村にます大縣はオホガタと訓へし 今は二宮大明神と申す (略) 大縣は此地の旧名なれとも二宮という称のおこれるよりうつりて社号にのみ地名を残せり 扨此處は旧事紀に邇波縣と見えたる地にてすなわち爾波縣君祖大荒田命を祭れるにもやあらむ 大荒田命は同紀五巻尾張氏の世系を書る條に十二世孫建稲種命此命は邇波縣君祖大荒田女子玉姫爲妻生二男四女とあるに明し 此事を本国帳集説にも引て本宮座山頂号真神山(略)本州二宮也 按旧事紀曰邇波縣君祖大荒田命云々姓氏録曰倭建尊三世孫大荒田命云々(略)といへり されと阿良多と阿賀多と語近乎といへるはあたらす アラタアガタは元来異なるものをや 又姓氏録なる大荒田命は同名異人なるものをここに並挙たるも縁なし 此大荒田命の荒田といふは当郡の地名なるを負ましし御名なるへし 其地は旧は丹羽郡なりしか今は春日井軍に隷る久保一色村に荒田といふ地あり 又今も当郡なる羽根村の支村にも荒田という郷あり 此両處ともにこの大縣よりいとも遠からぬが久保一色なるはことにまちかくて田縣神社の坐地也 きはめてこれに據れる神名なるへし (略) 今は此祭神を国狭槌尊とそいふなる是は二宮と称するより出たる後のことなり 社説に垂仁天皇二十七年勅建なるよしいひ伝へたるは古く尊し 其後あまた年を経て永正元年消失して旧記神宝も存らすなりぬるはをしむべくなけかしき事也(略)
例祭 正月二日田打祭伽藍祭といふ御酒神饌を備へ神主祝詞をよみ田作りのわざをなす(略)二月八日天王祭をいひ社前に松を植ゑ鳥魚神饌を備へ神膳を徹して後烏を呼て食はしむ俗に烏食祭といふ(略)
摂社 三名神社(略) 神田社(略) 天王社 天道社 山神社 多賀社 倉神社 神明社 戸坂社 弁天社(略) 本宮社 八幡社 熊野社 浅間社 雨宮社 風宮社 西宮社 舞殿王子社 一王子社 多度王子社 高社 美濃国木村高社の遥拝所 鷲岩穴社 なとあり又境外に 打越神社 仲哀天皇を祭るといへりむかし僧正遍照歌をよみて此處にみまかれりといふ説ありとうけかたし 大黒社 毘沙門堂 すべて摂社ともは天武天皇の朱鳥年中創建の由いへり 神楽所 御供所 廻廊 釣殿 天武天皇御陵 本社の西の方にありゆゑしられす(以下略)」

 

あ、「瘡神社」は、「倉神社」の間違いなのかな。

御祭神は「大荒田命」……なのかどうか……周辺には尾張氏関係の大小の神社がありますので、どこかの時点でそのように変わったのかと思います……がまあここまで整っていると、本来の信仰を伺うのも難しいものです。

アガタとアラタは違う、という話はどうなんでしょうね……いろいろ混同があったということは否定できず、しかし『延喜式』の頃から「大縣」であって、なぜ「アガタ」ではなく「オオアガタ/オオガタ」と「大」がついているのか……国名(地名)がつくのであればそれこそ「丹羽縣」でもいいわけで……しかし「大縣神社」という名称から「大荒田命」が作り出されたのかもしれず、でも荒田って結構ありそうな地名だしなぁ……開拓者であればふさわしい感じもするし……という具合に、知識がないもので行ったり来たりです。

そうだなぁ……「大碓尊」が絡んでくるとちょっと面白いのになぁ、とは思ったりします(単に「大」つながりですが……「大」であれば、「大国主命」と「少彦名尊」の対比、「大碓尊」と「小碓尊」の対比から、「小荒田」もあってもいいのになぁ……とか……「田縣神社」がその対比なのかなぁ……)。

迷路迷路。

 

同じく、

 

田縣神社
今春日井軍久保一色村に坐す當郷往古は丹羽郡に属るなるへし 今も丹羽郡の境にいと遠からす 俗人此處を縣の森といふ 延喜神名式に丹羽郡田縣神社本国帳に丹羽郡従三位田方天神とある是なり 扨此神は田地の豊穣を守ります女神なるよし郷人申伝へ来て毎年の初に此神事を行ふに男莖形あらはせる人形を造り儲て村民いどみ笑ひ祭祀終て神符を此村の田毎にさし建て五穀豊饒をいのるならはしありといへり(略)」

 

やはり「田縣神社」の「男莖形」については江戸末期には知られており、一方で「大縣神社」の豊年祭の「女陰」については言及がない、ということは比較的新しい祭りなのかなぁ……「田縣神社」の祭りからヒントを得て作られたという感じがします。

ちゃんと調べれば、結論が出ている話かもしれませんけれども、そこまでの余裕はないもので……いずれもうちょっと……。