べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

近況〜「三輪神社」・大須など(名古屋市)

なんというのか、もう聞き飽きたと思うのですが、もうすぐ記事が実時間に追いつきそうなもので、ここのところの動きなどを。

つっても、一番行ってる神社は大須の「三輪神社」さんですが……このところ、御朱印の多様さから人気なスポットになってきておりまして、それはそれでめでたく、しかしコンプリートなどできず、そんなに目指しているわけでもないので、月参りでいただいた御朱印などを。

3/10。

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3/21。

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↑こちらはバレンタインとホワイトデー、見開きで一つになるシークレット御朱印

 

4/21。

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……あれ、これは「三輪神社」だったかな……。

 

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三冊目は黄色。

 

5/3。

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うまってないのに4冊目。

 

5/4。

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お久しぶりねの「豊国神社」。

こちらは、季節ごとに台紙が変わります。

 

5/5。

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大須ぶらっと、「富士浅間神社」。

あ、なんか狛犬さんとかおキツネさんとか多いのは、そういうブームだからです。

 

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大須観音」。

 

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「七寺」。

 

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という感じでした〜。

奈良の「大神神社」も、もう一度行きたいものです(前も書いたな、多分)。

「山田天満宮・金神社」(再)(名古屋市北区)

7/15。

ぶらっと名古屋の北西をうろうろしており、そういえばと思い立ってお久しぶりねの「山田天満宮」へ。

 

○こちら===>>>

「山田天満宮(北区)」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

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鳥居。

 

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鷽さん。

 

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拝殿。

 

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狛犬さ……ん。

 

○こちら===>>>

「上野天満宮」(再)(名古屋市千種区) - べにーのGinger Booker Club

 

↑デジャブかと思ったら、別の天満宮でした。

名古屋三天神ではこういうの流行ってるのか……。

 

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本殿を横手から。

 

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……ご苦労様です。

 

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「金神社」。

 

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よりそい石。

 

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九星……石とでもいうのか。

 

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方位除けの神様でもいらっしゃるから、ですね。

 

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狛牛。

 

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狛筆……ではなく、筆塚です。

 

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あまりにもあれだったので、改めて撮影。

ちょっと置ける場所が小さいので、それほど殺到している感じではないのが救いなのか、むしろたくさんあったほうが「映え」るのか……おじさんよくわかりません。

 

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孤高の黒べこ。

 

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御朱印

 

さて、前回の記事や公式HPなどを見ていただければ、神社の由緒はよくわかるのではないか、と思います。

結構新しい(江戸時代、尾張二代藩主「徳川光友」が勧請している)のです。

その割に、『尾張名所図会』とか『尾張志』に掲載されていないのは何故なのか、と疑問に思いました。

前回の記事で、「金神社」について『尾張名所図会』を引用してみましたが、あれ、多分違う神社です(以前、瀬戸の「深川神社」へ行ったとき、「金神社」の御朱印を見た神職さんが「あら、あそこ、人いらっしゃったの?」とおっしゃったので、「北区のほうです」とお答えしたら、「あ、違うところね」、といった会話を交わした記憶がありましたもので……)。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張国地名考

 

↑津田正生翁の『尾張国地名考』によれば(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)、

 

「山田村

地名正字なり中古山田郡あり一郡の総名此里より起るなるべし

延喜式】山田の郡山田神社 【本国帳】従三位小口天神

【正生謹考】延喜式の刊本山田を久しく小口に誤る二字共に板本の缼たる也本国帳は古来写本なれば延喜式に任せて又小口と写誤るは並に誤りなり(略)山田天神の宮は常高院真言宗)の東にあり往昔より此村の本居とす(摂社八幡浅間あり)然るに戦国以来社伝をうしなひていま菅原天神と仰ぐは甚誤れり蓋し祭神は天の香語山命歟猶訂正べし」(94コマ)

 

とありまして、どうもこれが「山田天満宮」のことではないかと思うのですが、津田翁も結構独善偏向の多いところがあるので、どこまで信頼したものやら、という感じです。

「常光院」というお寺は「山田天満宮」の西隣に確かにありますし(真言宗です)。

であれば、津田翁といえども、「徳川光友」が勧請した、という由来について多少は書いても良さそうな氣がするんですけれども、それがない。

神仏分離の煽りをくらったわけでもなさそうですし。

単に津田翁が知らなかっただけなのか(尾張国に住んで、博覧狂記の天野信景翁にツッコミいれようなんて人が、知らないってことはなさそうですけれども)。

うーん……。

 

あと、教育委員会の案内板には、

 

「昭和58年、同区山田町四丁目地内にあった金神社(大将の宮)を合祀した。」

 

↑と書かれておりまして、「金神社」が「大将の宮」と呼ばれていたらしいことがわかります。

御祭神は、「恵比寿神大国主命(大黒天)・金山彦神・岐神」なんですが……ちょっと「大将の宮」ってあやしいなぁと。

郷土史家の方々がもっと詳しく調べていらっしゃると思うので、何か由来はあるんだと思いますが、「大将の宮」って「大将軍宮」っぽいですよねぇ……ということで日本版陰陽道、「鬼門封じ」、しかも神紋が小槌であきらかに「恵比寿神」「大国主命」が主祭神らしいのに名前が「金神社」って、こりゃ元々「金神」だったんじゃないかな……「艮の金神」……あ、大本になっちゃう……。

まあ、ふわっとした妄想を重ねているだけですので、ご容赦を。

いいお天気でした。

「六生社」(名古屋市中村区)

7/15。

「八幡社」を後にしまして、えらい細い道をつらつらとナビに従って進んでいきましたところ、「六生社」に到着。

 

○こちら===>>>

www.city.nagoya.jp

 

↑中村区の史跡散策路のHPです。

この辺り、名古屋駅から見ると西側辺りは、あまり開発が進んでおらず、いわゆる下町というやつなもので、結構道がぐねぐねしていて狭かったりします。

 

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鳥居。

うん、「栄生」という駅から近いところにあるのですが、見たことも聞いたこともなかったなぁ……小さい頃は結構うろうろしたのに。

 

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「村社六生社
一 鎮座地 名古屋市西区栄生町
一 祭神 塩土老翁
一 祭日 十月六日例祭
一 由緒 創建の年代不詳なると雖も往古には愛知郡栄村当時松裏に祀られしものにして慶長八年現在の地に遷座し祀れり明治四十年十月神饌幣帛供進指定村社に列せらる
祭神は古来安産の神として世俗の崇信殊に篤く其の御神徳は弘く伝はれり
(安産祈祷五月六日)」
(※ブログ筆者により旧字、カタカナを改めている)

 

ふむ、「塩土老翁命」とな……普通「鹽竈神社」が思い浮かびますが(名古屋市にも2箇所ほどあります)、それ以外だと「八幡」様の摂社末社辺りに御祭神としていらっしゃるイメージで、主祭神というのは珍しいのかな、と。

 

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お猫様発見(○)。

 

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手水舎。

 

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参道正面。

 

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狛犬さん。

 

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拝殿正面。

妻入でこの感じは、やっぱり尾張造でしょうか……にしては蕃塀がなかったかな……。

 

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社殿右手に行ってみますと、「石上社」「白山社」「津島社」。

……うん、なかなか謎な取り合わせです……「白山社」はいいとして、「津島社」は「牛頭天王」でしょう、で「石上社」……急にまた飛び道具的な……ええと、「経津主神」ってことでしょうか……ううむ。

 

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狛犬さん。

ちょっと、近くに寄れなかったもので、この距離から。

 

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本殿、幣殿……あれ、幣殿でしたっけ……どちらも平入。

 

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ちょっと角度を変えまして。

 

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そう、フェンスがあったのであまり近寄れなかったんだった……まあ、いたずらする人が多いかもしれないので。

 

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摂社の続きは、「金毘羅社」と「鹿嶋神社」。

うーん……ああ、「石上社」と「鹿嶋神社」で、「経津主神」と「武甕槌神」、ですか……?

 

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参道正面遠景。

灯篭がやばそう。

 

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で、こちらが参道右手にあるのですが……「大峰山大権現」ってなんだろう……大峯山だと「蔵王権現」ですかね……でも、いらっしゃるのは明らかに「役行者」なので(「前鬼」「後鬼」付)、江戸期には修験系の拠点になっていたということでしょうか。

 

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この人はなんだったかな……ええと、多分御嶽講系だと思いますが……猿?だと庚申講だしな……富士講でもなさそうだし……とにかくお山系の講の神像ではないかと思います。

 

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崩れかけても狛犬さん。

 

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入口付近に戻りまして、なんか賽銭箱を発見したので見てみると、「熱田神宮」の遥拝所でした。

 

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まだいましたお猫様。

 

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入口ちょっとワイドに。

お猫様は、由緒書の下辺りにいます。

 

さて。

といっても、大したことはないのですが。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 5 愛知郡

 

↑『尾張志』の「愛知郡」、18コマです。

 

「六所社 是は神明八幡白山社宮司金毘羅役小角像と六軀あるを總いふ社號也」

 

とありまして、これが「榮村」にあったと書いてあります。

「榮村」ですから、多分この「六所社」が「六生社」になったんじゃないかなぁ……と思います。

なかなか「役小角」なんてはっきり書かないですからね。
ただ、現在の御祭神である「塩土老翁命」はいないし、なんなら境内末社のうち、「白山」と「金毘羅」は一致していても、「石上」「津島」「鹿島」が『尾張志』にはないし……そもそも、『尾張志」の書き方は、主祭神どうこうではなく、六つの社を指しての「六所社」ですから……ひょっとして違う神社なのかも。

もし、「六所社」が「六生社」になったとしたら、『尾張志』の編纂後だったわけですが……弘化年間に編纂が終了している、つまり幕末ですので、いつものように神仏分離が引っかかったのかな、でも「六所社」のままでも引っかかりそうにはないんですけれども……ああ、修験系か……どっちにしろ「役小角」はまずいですからね、朝廷に従っていなかったので……そうか、老人キャラということで、無理やりな感じで「役小角」から「塩土老翁命」に御祭神をすり替えた……ってのは無理がありますかね……。

やっぱり違う神社かもしれません。

ちょっとした謎の神社、修験の残滓がうかがえるなかなか素敵スポットでした〜。

 

「八幡社」(名古屋市中村区)

7/15。

「土江神社」の参拝を終えて、ぶらっと散策路を逆に巡ってみよう、ということで「八幡社」へ。

 

○こちら===>>>

www.city.nagoya.jp

 

↑中村区の史跡散策路です。

 

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参道入口。

村社です。

 

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石鳥居。

 

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一旦、道路で途切れる参道……「怨霊封じ」ではないと思います。

 

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鳥居と蕃塀。

 

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蕃塀アップ。

うん、いい風情です。

 

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手水舎。

 

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拝殿。

妻入りで、尾張造なのだろうと思わせます。

 

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拝殿横から。

 

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狛犬さん。

ちょっと遠い……。

 

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境内社の「熱田社」「金刀比羅社」「天満宮」。

 

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本殿ちらっと。

 

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狛犬さん再び。

 

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「八幡稲荷社」。

 

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向かって右手からの遠景。

 

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もうちょっと手前から。

右手にちらっと見えるのが↑の境内社です。

 

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もっと手前から。

区画整理でこんな感じになっちゃったんでしょうか……なかなか謎な境内の形。

 

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参道の右手には、お山が。

猿田彦狼「御嶽神社」「三笠山神社」、とあります。

御嶽講でしょう。

 

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蕃塀の陰から境内を。

 

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境内遠景。

 

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参道入口遠景。

うん、いい風情。

 

さて。

↑中村区の史跡散策路のHPより。

 

「慶長15年(1610年)、今市場(現・名古屋城敷地内)といった所にあったのを、名古屋城築城に際して、普請奉行の1人、佐久間河内守がこの地に移したと伝えられます。広い境内にはクロマツ等の古木が多くあり、また、遷座当初のものといわれる元和2年(1616年)の銘の燈篭もあります。」

 

とのことです。

文献をちょっと当たってみたのですが、どうも見当たらず。

なので、あっさりな感じで。

神社自体は、風情があってよろしかったかと〜。

 

「土江神社」(名古屋市中村区)

7/15。

前々から気になっていたものの、訪れていなかったところを、ということで「土江神社」へ。

 

○こちら===>>>

名古屋市:日比津・大秋の里散策コース(詳細)(中村区)

 

↑中村区の史跡散策路のHPです。

 

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……公園?

 

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ああ、公園の中にありました……境内が公園になってしまった、ということでしょうか。

 

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「郷社 土江神社
祭神 少彦名命
由緒
此の所に始めて祭れる年月は不明なれども本国神名帳従三位土江天神と載す 尾張誌に社地今狭小となりて荒蕪し社傳詳かならず 天神と稱する祖号しければ帳内神社の列に稱へ奉らんと見ゆ 上古に国司長官親ら参拝して着任を申告し又常に朔幣を奉りし御社なり(以下略)」
(※カタカナをひらがなに改めた/また、「土」は「ヽ」が書かれている)

 

なかなか珍しい、「少彦名命」を御祭神とした神社です。

 

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手水舎。

 

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狛犬さん。

 

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燭台……あれ、「泥江神社」……。

 

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本殿。

 

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一角にあった祠。

 

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本殿(反対側)。

 

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拝殿。

 

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参道。

 

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境内遠景。

 

さて。

尾張名所図会』には一応「土江天神社」として記事があるのですが、荒廃してますよ、という案内のみ。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 5 愛知郡

 

↑『尾張志』の5巻「愛知郡」より。

19コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「天神社
日比津村にあり 府志云本国帳従三位土江天神恐くは是ならむ 今社地荒廃不知其伝惜哉といへるはまことに然事也 されともこの土江天神とあるはただ一本の国帳のみにて貞治の熱田本元亀の国衙本にはともに入江天神とありて土江天神といふ名目なく 又土江天神のある古本には同郡泥江県天神とも載たれと入江天神なし かかれは土江と入江と名はことなれと全同地なるへく泥江県と土江とは同社混合したる様なれと もとより別地異神なるもの也 其ゆゑはまつ此日比津といふ村名は近世の訛にてもとは泥津(ヒヂツ)と呼り 日々津むら常徳寺の古蔵書応永八年にかけるものに愛知郡泥津長秋山常徳寺建立の事云々とあるを近年此寺にて見たり ヒヂといふ語をかくあやまれるは万葉集に比治寄(ひぢき)の奈太とよめるを今ひびきの灘と呼と同儀也 扨此ヒヂエといふことは上古に愛智海の入江の湿地故に負る名なる事明くさして然いふ地はやや広かりしなるへし 今の広井より日比津のあたりまでみな泥江の内なれはかくいへり 其所の殊さらに高■の土地を泥江県(略)といへりしならん 県はもと上田の意なる◼︎◼︎つりては公◼︎官舎の在所をもいへり 今の広井村是其地也 かくて其愛智海の入江の形勢は古図なけれは知べきよしなけれと所のさまにより古伝説に随ひ古書を考へて按に熱田より北は舊渡村広井村あたりまての西づらを東のはてとして西南の方は海東郡榎津村伏屋村なとの東づら北の方へ長く亘れる其北東の極は此泥津西の方は甚目寺村あたりを限りやや広くつらなれる入海なりけむ 甚目寺萱津あたりを阿波手の浦といへり 其は九百五十余年も以前仁和の頃の事也とぞ (略) 上にいへる国帳に土江入江と社号のことなるは元来二本二やうの古伝説有し故ならむ (略) 土江泥江県の二神広江泥津の二村に坐も故縁ある事なるへし 又泥津に在て土江と社号の異れるは川原神社の川名に坐がごとく諸国にも証例あり 府志にいへるごとく此社地狭少になりて荒蕪したけれども遺跡猶定かなるのみならす天神と申す社号さへ正しければ舊にかへして帳内神社の列に稱挙奉らまほしけれと後の識者の定めと俟てしはらく舊社の並につらねつ」


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「泥江縣神社」(中区) - べにーのGinger Booker Club

「油江天神社」(名古屋市中村区) - べにーのGinger Booker Club

 

↑「泥江縣神社」、「油江神社」の記事です。

比較的近い地域内にありますので、なんらかの混同が生じた可能性は高いかと。

尾張志』の記事で万葉集を引いていますが、「ひぢ」が「ひび」へ変化する、という例は確かにありそうです。

地名として、「ひびつ」だと意味がよくわからないのですが、「ひぢつ」だとすれば「泥の多い岸」だったんだろうな、という想像ができますし。

あ、「ひぢ」が「泥」のことだったらしい、というのは、『古事記』で「うひぢにのかみ」、『日本書紀』で「うひぢにのみこと、すひぢにのみこと」(神代七代)という神がおられるところからもうかがえます(国土が泥のようだったことを表現していたのではないか、と考えられています)。

そして、江戸時代以前の漢字表記はゆらぎが大きくてよくわかりませんから、「土江」も「泥江」も「ひぢえ」だったんだろう、と。

となると、近くにある「油江」はなんなのかというと、「泥」の書き間違いから生じたんじゃないかな……というのが『尾張国神社考』(津田正生著/発行ブックショップ「マイタウン」)の記事にもありまして、それが的を射ていると思います。

尾張志』では、「油江」は地名だけど、もう神社名にしか残っていない、ということなのですが、「あぶらえ」って地名が珍しい……菜種油が大量に取れたから、といって「江」は付かないんじゃないか、あるいはこの辺りが岸辺だった頃には鯨が上がって鯨油でもとれたのか、って感じで……石油(臭水)はわいてないでしょうし……一番簡単なのは、「泥江神社」が分祀されて(それにしてはちょっと近すぎるかな……)、その結果、一方が「油江」になってしまった、という感じでしょうか。

「泥江縣神社」は、古くはともかく途中から八幡信仰に取り込まれていますが、「土江神社」「油江神社」はどちらも御祭神が「少彦名神」と伝わっています。

氏神として「少彦名神」というのも珍しいですが、医術の祖であり、鳥獣害を防ぎ、薬草の知識をもたらした「少彦名神」なので、そういったことに長けた人たちがいたのかもしれません(謎)。

「土江」と「入江」も、書き間違いだと思うんですよね……「土」と「入」なんて、続けて書いたら似たようなもんですから(暴論)。

「泥江縣神社」のほうは、以前の記事でもありますが、「ひぢえ→ひろえ→ひろい」と変化して「廣井八幡宮」のことではないか、という説もなるほどもっともですが、古い時代はやはり「泥江神社」から勧請した神社だったのが、いつのまにか八幡信仰に、ということかも……と思います。

となると、現存のそれぞれの神社はともかく、もともと「ひぢえ神社」が存在し、それぞれ分祀して、名前や御祭神が変化していった……じゃあその元祖「ひぢえ神社」ってどこなんでしょうね……(いや、廃絶しているので見つからないですけども)。

ひょっとすると、「いりえ神社」がやっぱり古くて、それを漢字表記で「入江→土江」と間違えたばっかりに、古語に通じた得意げなやつが「こりゃ、ひぢえだろう」って読んでしまって、しかも「ひぢ、なら泥だろう」ってことで、結果「泥江」になってしまった……ということもなきにしもあらず。

とにかく、これらの神社がある辺りは、昔は海辺、河辺で、(多分)ぬかるんだ土地だったことからついた名前なんじゃないかな……ということにしておきます。

 

 

 

 

めんどくさくなったわけではないですよ……古代の伝承があまり探れないもので……それをめんどくさい、というのであれば、めんどくさいんですけれども……ええ図書館に行きなさい、ということですね、はい……。

「世界一の美濃焼狛犬」〜「八王子神社」(岐阜県瑞浪市)

6/24。

今回は毛色を変えまして、ある人物から入手した情報を元に、「世界一の狛犬を求めて、岐阜県瑞浪市へ。

神社としては、八王子神社です。

 

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大川の美濃焼狛犬群 | 瑞浪市

 

瑞浪市のHPです。

 

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とりあえず、石灯籠から。

秋葉山」「牛頭天王」「太神宮」「金毘羅山」……大集合。

 

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神社前の景色。

 

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鳥居。

 

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鳥居、別角度。

 

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狛犬さん。

陶器製の狛犬さん、あちこちにあります。
セラミックなので、保存さえ適切に行われれば、長い年月の風雪に耐えうるものでしょうが、衝撃に弱いので破損の危険が石、青銅などに比べれば高い、と。

素材選びはなかなか難しいのでしょう。

 

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階段。

 

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登り切ると、まず神楽殿

 

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扁額。

 

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そのまま進めば拝殿。

 

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瑞浪市指定文化財 美濃焼狛犬
狛犬は、中世では、多くが小型の石製や木彫のものが本殿の縁に据えられるものが普通であった。
しかし、彫刻が難しいところから陶器に関係の深いこの地方では、江戸の中期以降に神社の氏子や信者たちが、個人または共同で庇護や利益の祈願報謝の意味をこめて、陶製狛犬を奉納するようになったといわれている。
しかしこれらのうち半数が無銘で、年代も作者も一部しか判明していないのは残念であるが、この大川八王子神社の五対余のうちに「羽柴与左衛門景度作」在銘のものがあることは大変貴重なことである。
この景度の先祖は、室町後半期の文明六年(一四七四年)武蔵国久良岐郡(神奈川県横浜市附近)より移住してきた加藤左衛門尉景信で大川窯を開き景光、景忠と続き、景度の時代で前世をきわめ、その製品は「与左焼」と呼ばれ広く世間から賞用された。
その銘ある狛犬は、小型ではあるが与左衛門の元亀、天正頃の作と考えられ、その◼︎作のすばらしさを現わしている。」

 

なるほど、横浜からいらっしゃったと。

そういえば、瀬戸の陶祖「加藤四郎」という人がいましたね……。

 

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「窯神神社」(瀬戸市) - べにーのGinger Booker Club

「深川神社」(瀬戸市) - べにーのGinger Booker Club

補遺「瀬戸」(『尾張名所図会』より) - べにーのGinger Booker Club


瀬戸市瑞浪市、決して遠くはないので、なんらかの関係があるのではないか、と思ったりもしますが、さてどうなんでしょう。

 

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拝殿。

 

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ちらっと本殿。

 

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「金毘羅」さんの碑。

 

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「天神」様。

 

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狛犬さん。

 

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瓦に「八王子」。

 

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津島神社」、要するに「牛頭天王社」です。

 

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拝殿前から神楽殿

 

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青紅葉。

いや、神社としても素敵ゾーンでしたよ。

通常、神社は常緑樹が多いのですが、そんなことおかまいなしで落葉樹が植わっているところもあります。

おそらく、神仏習合時代の名残、なのでしょう(ですので、むしろ常緑樹のみ、というところが新しく整備されている可能性もあります)。

 

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そして、これでもかと狛犬

近所の人や子供たちが作ったもののようです。

 

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まだ狛犬さん。

 

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神社境内のお隣に、ありました「世界一の狛犬」さん。

 

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概要が書かれています……久々に聞いたな「ふるさと創生事業」……金をばらまいてもろくなことにはならない、ということを証明したような事業でしたが、こういう面白いものも残っているのを考えると、悪いことばっかでもなかったのかな……。

 

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どん。

作ったはいいが、15トンで動かせない……なので窯ごと残しました、ということなのでしょうか。

いや、それならそれで、興味深いものになっていると思います。

思っていたのとはちょっと違っていましたが、楽しめました。

まあ、時にはこんな感じも……あ、神社の歴史なんかはちょっと掘り切れなかったもので、郷土史家のみなさんにお任せします。

 

(ボソッ)……これで御朱印を頒布されるようになれば、もっと人が来ますよ……。

 

「物部神社」(名古屋市東区)(再)

6/10。

近在で、そういえば最近行ってなかったなぁ、と思いまして、「物部神社へ。

 

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「物部神社」(補・「高牟神社」) - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

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正面。

 

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手水鉢。

 

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拝殿の狛犬さん。

ときどき見かける、この口が赤い狛犬さん、これがそれなりの作法に乗っ取ったものなんでしょうか。

昔は、どんな狛犬さんも、色を塗る感じだったのか……。

 

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こちらは境内摂社の「物部白竜社」、の狛犬さん。

 

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由緒。

 

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「物部白竜社」全景。

 

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社標。

 

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境内から「物部白竜社」方向を。

 

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境内摂社「物部天満社」の牛さん。

 

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「物部天満社」全景。

 

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他摂社と狛犬さん。

 

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同じタイプの狛犬さんが並んでいて、ちょっとしたトリックアート。

 

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こちら「大黒社」の、「大黒」様、と狛犬さん。

えらく漫画チックな狛犬さんで、よろしいのではないかと。

 

さて。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 神社覈録. 上編

 

式内社、ということなので、『神社覈録』をみておきましょう。

409コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

物部神社
(略)○祭神宇摩志麻治命、府志○古井庄古井村に在す、俗石神堂と称す(略)

集説云、在高牟神社西北崇一巨石為神霊、古有祠荒蕪者歟、元禄中故権中納言綱誠卿新建社、姓氏録、物部氏有神別皇別二種、物部首、天足国忍人命之後也、物部連、饒速日命之後、而與尾張氏同祖也、文徳実録曰、斉衡二年十二月、大僧都傳灯大法師位實敏、姓物部氏尾張国愛智郡人也、云々、当知当郡昔日有物部氏人、当社蓋其氏神祠歟(以下略)」

 

……前回の記事で、神社の由緒を読んでいただければわかると思いますが、「大きな石」(磐座?)を信仰していた、その痕跡に新たに祠を作ったものが、「石神堂」と呼ばれていたのだけれど、どこかで「物部神社」と呼ばれるようになったらしいです。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会

 

お久しぶりね、の『尾張名所図会』ではどうなっているのか、というと。

274コマです。

 

物部神社 俗に石神堂といふ。建中寺の東南、車道の東にあり。自然に地より出でたる一巨石の上に社をたてたり。[延喜式]に愛智郡物部神社、[本国帳]に従三位物部天神とあるこれなり。祭神宇麻志麻知命。古社は荒蕪衰廃せしを、現六年中、国君祠を重修し、石碑を立てさせたまへり。

物部郷 [和名類聚抄]に愛智郡物部とあるは、何れの地なるにや今定かならねど、物部神社の近くあたり其旧地なるべし。」

 

『和名類聚抄』に「物部」の地名がある、それがどこかはわからないが、「物部神社」の近くだろう、と『尾張名所図会」では言っているのですが、そもそも「石神堂」と呼ばれたものが、『延喜式』で「物部神社」と呼ばれたものなのかどうか、がよくわかりません。

ただ、名古屋市北区の「味鋺神社」しかり、物部氏の系統の勢力が、濃尾平野辺りに広がっていた、という痕跡は見られるので、「物部神社」があっても不思議ではない、と。

延喜式』の時代、「氏族名+神社」という呼称が結構観られるので、物部氏が特別だったわけではない、と同時に、氏神ととらえられるほどに地方に根をはった、という意味では、中央からしてみれば「大した影響はない」と考えたのかもしれません。

なかなかなインパクトですよね、「物部神社」って。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 5 愛知郡

 

尾張志』も観ておきましょうか。

3コマです。

 

物部神社
古井村にまして石神堂と称す大なる石を神霊と崇祭る故にこの号あり 延喜神名式に愛智郡物部神社本国帳に同郡従三位物部天神とある是也とそ扨物部といふ舊はモノノフベといふ意モノノフとは武勇職を以て仕奉勇士の通称にて部とは其群を総呼名也 かくて姓名とも致命ともなれり此處は致命にて和名抄に愛智郡物部と見えたる郷なり されとも彼抄に載られたるはいとふるき郷なる故に既その名廃れて今の世に存らぬたぐひ諸国にいと多あり此處も其定也また物部氏は神饒速日命の後にて其類族甚だ多し精しくは姓氏録及天孫本紀を見て知べし(略)」

 

この時代「モノノフ」といえば、ももいろク……あ、なんでもないです……まあ、やっぱり大きい石を祀っていた祠があった、というのは事実のようで、それが古代の磐座なのか、あるいは古墳の石室のものだったりするのか……さて、どうでしょう。

 

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国立国会図書館デジタルコレクション - 名古屋市史. 社寺編

 

これもお久しぶりの『名古屋市史・社寺編』も観てみましょうか。

183コマです。

 

物部神社
物部神社は愛知郡千種町字北浦(もとは古井村)に在り、境内五百四十八坪あり、俗に石神堂又は山神ともいふ、延喜式神名帳愛知郡の部に物部神社あり、国内神名帳従三位物部天神あり、張州府志、本国神名帳集説、寺社志、加藤博庸の祠碑文(天明七年◼︎、今境内に在り)、尾張志等は略、之を本社に充て、尾張国地名考は此説を誤なりとし、尾張国式社考草稿は之を疑問に附せり、垂仁天皇の御代始めて社殿を造営すといふ、元禄中藩主綱誠(泰心院)重修遷宮す、明治初年式内に治定し、尋いで村社に列せしが、(略)今、無格社たり、祭神は宇摩志麻遅命なり。
略……『張州府志』を引用して、「神武天皇」がこの地の凶魁を打ち、巨大な石を国の鎮めとした、という由緒が書かれている……

殿宇には神殿、社務所等あり、例祭は秋の山の講、春の山の講、及び四月六日、七日なり、(以下略)」

 

さすが、いくつも文献を引用しているだけあってまとめのようになっていてありがたい。

神武天皇」云々、というのは牽強付会で、巨石信仰があっただろうことは日本中そうなので疑いなく、となると結局は、「物部神社」にしろ「物部郷」にしろ、(『延喜式』や『和名抄』当時の)場所がはっきりしないことには、「石神堂」が「物部神社」なのかは同定できない、ということですかね。

仮に「物部神社」だったとしても、俗称「山神」とも呼ばれていたということですし、お祭りが「山の講」になっていて、「物部神社」っぽさ(物部氏氏神としての側面)は失われていると考えるのが自然かな、と。

 

 

 

で、多くの郷土史家のかたが、多分頭を悩ませるのは、延喜式』にはですね、愛智郡と春日部郡に、「物部神社」と「高牟神社」、という同じ神社名が並んでいること、ではないかと思います。

いえ、同じ国内に同じ名前の神社がある、という例は他にもあるのでしょうけれど、隣同士の郡で、それも二つですからね……

 

 

 

……おっと、鋭い人はもうお分かりでしょうか、そうですね、「どっちかが最初にあって、どっちかは勧請した」、というだけではないのか、それほど悩むことなのか……

 

 

 

……いや、まあ実際そうなんだろうなと思いつつも、こういう些細なことで悩んで楽しむのが陰謀論……じゃない古代史のロマンってやつで……。

いえ、私も不勉強なので、そのことに関する論考など読んでいません、ひょっとすると何か文献的に確認できる理由、が見つかっているかもしれませんので、いずれ考えてみたいと思います。

 

 

 

あ、御朱印はいただけると思いますが、前回は書き置きのもので、今回はいただいておりません。

特に理由はないですが……何か急いでいたのか……(もう思い出せません)。