べにーのGinger Booker Club

神社仏閣ラブ(弛め)

「宗像神社」(名古屋市西区)(再)〜高速初詣その1〜

「榎白山社」を後にしまして、ごく近くにある「宗像神社」へ。

 

○こちら===>>>

「宗像神社(名古屋市西区)」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

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冬の日の昼間は、鮮烈です(?)。

 

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「遷坐由来」の碑。
以前の記事で、だいたい現代語訳してあります。

 

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本殿向かって右手に進むと、「金刀比羅社」があります。

 

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その手前で左手を見ますと、狛犬さんたちが。
引退されたのか、仲睦まじくてよろしいかと。

 

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狛犬さんたら

 

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狛犬さん。

青銅の鋳造品でしょうか、結構珍しいし、近代的なデザインでかっこいいです。

 

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「金刀比羅社」。

 

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右手奥の「多聞龍神」。

 

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他境内には、「和徳稲荷社」があります。
鳥居が、ご神木で左右に分かれておりますな。
珍しい。

 

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お狐さんたら、

 

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お狐さん。

 

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手水鉢。

 

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お狐さんたら、

 

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お狐さん。

 

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「和徳稲荷社」本殿。

 

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御朱印
この葵紋はこれでいいのかな……。

 

 

さてさて。

尾張名所図会』では探せなかったので、

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 2 名古屋


↑『尾張志2 名古屋』より。

6コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「宗形社
下御深井の内なる池の中島にありて今弁財天と申す社家の伝記に田心姫命を祭るといへり是はもと筑前ノ国宗像郡宗像神社に擬して三神を三處に移し祀れる事いちしるしく正しさもなべてならべておほゆる社也鎮坐のはじめは詳ならされとも応永五年三月宝徳二年五月など書る棟札も伝はりていと近世に祀れる社にはあらす (略※『日本書紀』『古事記』の引用)此両書に伝る説各異にして奥津宮邊津宮中津宮にまします處の神名互にたがへり又今彼社(筑前国宗像社)に伝たる説には三島ノ宮毎に三神を配享せるよしにて其中坐を本主とする也とそ(元来は一神一島に鎮座し給ひて三神三所にましまし事上文の古書ともに見えたるを中世己後かく配享する事世の常となりて諸国社々大かた■かり皆延喜式以後の定也)さて奥津宮といふは今奥島といふ島にて祭神田心姫を主として中坐に坐す左市杵島姫右湍津姫なるよし澳津島の社家の伝説也又宗像の社記の説に澳島社の神坐は中を市杵島姫とし主として左を田心姫右を湍津姫とす中津宮は祭神湍津姫を本主とし左田心姫右市杵島姫とす邊津宮は田心姫を主として左湍津姫右市杵島姫なるよし云り又筑前国風土記に云三神御鎮坐の地古事記日本紀旧事紀三部本書の説同ならす三部の内にも又説多くしていづれか是なる事を知ら■後花園院文安元年に大宮司氏俊三社の縁起を改書せける其詞に曰第一ノ神は海泡を集て島を築居を遠海の奥に■めし給ふは末世に至るまて異国を降伏し給ふへきよし御誓ありて彼島にとどまり給ふ則奥御島と号す是日本高麗との中間にて遠瀛に居給ふ是を田心姫と号し奉る第二ノ神は居を中海の奥に示し給ふ今大島と号する是也中瀛に居給ふ是を湍津姫と号し奉る第三ノ神は居を海濱に示し給ふ今田島と号する是なり海濱に居給ふ是を市杵島姫と号し奉ると書りこの縁起は末世の説にして古き依證なけれはうちまかせては證としかたしいはむや三神鎮座の地日本紀旧事紀古事記にも背けり且鎮座の時も日本紀とあはすいかなる伝説ありてかく記してにやいぶかしと貝原篤信云り書紀古事記を初として古伝に異説あれはいつれをよしとも今定かには辨へかたけれと一神つ■奥中邊と三島に別れて鎮座しまへる事はうたがはさるなり さて此處の宗形の社も三神三所に別れて鎮座し給へり其社は此下御深井なる中島の宗形社又深島なる深島社武島なる瀧島社あり(略)此三社ともに同時に鎮座し給へる事疑なかるへし慶長年中御城御造営の時当社の地は北御庭の内となりしによりて源敬公殊に尊敬したまうひしをはしめとして御代々絶す御修理加へさせ給ひて並々ならぬ御社にそ有ける応永(略)
摂社 和徳稲荷社(倉稲魂命を祭る此やしろ旧は上御深井にありしを宝暦二年二月此ところにうつし祭れり) (略)」

 

途中で「宗像三女神:の話が入っているのでえらく長くなってしまいました。

どうも元々は「深島社」「瀧島社」があって、「宗形社」と合わせての「宗像三女神」だったようなのですが、それが名古屋城の北御庭の内になったことで、藩祖「徳川義直」の崇敬篤くなった、ということのようです。

「武島社」が、近くにあるんだったっけ……調べてみようと思いつつ、なかなかできていなかったりします。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 名古屋市史. 社寺編

 

↑では『名古屋市史』の「社寺編」も見ておきましょうか。
181コマです。

 

「六 宗像神社
宗像神社は西春日井郡金城村大字上名古屋字西内江に在り、境内は四百十四坪あり、もと辨才天といひしが、藩祖義直 敬公 筑前の宗像神社を勧請して、宗形社と号せり、今俗に辨天又は御深井の辨天と稱す、もと下御深井の池の中島 御深井向島と稱す、今北練兵場の西なる招魂社の森是なり(略) にあり、勧請の年月詳ならず、(略)従来は徳川家の私社なりしを、明治七年九月村社に列して、以来、開門して諸人の参拝を許され、同十四年金城村大字上名古屋の全部 もと西区五平蔵町は当社の氏子なり は本社の氏子となり、十六年七月維持規定を定め、二十二年六月、下御深井より今の地に正遷宮あり、祭神は中央田心姫命、左倉稲魂命、右徳川従二位権大納言義直卿霊なり、

張州志略には神殿三座瀛津島姫命、湍津姫命市杵島姫命とせり、敬公の霊は敬公自ら其荒魂を配祀すといふ、椋園時事録明治六年九月二十八日の條に、「源敬公ノ御社 宗形相殿 御霊代紛失ニ付、今日新ニ御霊代被納、 内家ヨリ  右ハ敬公御秘蔵ノ御太刀、竝ニ御所持ノ御笏、コノ二品ヲ桐ノ御箱ヘ入レ、被納候由、又右御深井内處々ノ御社、悉皆壹ヶ所ヘ合併、御一社ニ合享相成候由」とあり、

(略)境内神社には金刀比羅社、須佐之男社 祭神は須佐之男尊なり、もと当村の辻天王なりき の二所あり、

此金刀比羅社殿はもと本社の境内神社和徳稲荷社の本殿にして明治初年御深井の内なる種々の小社の合祀せられし以来、今の如く称するに至れり、和徳稲荷は祭神は倉稲魂命なり もとは屋船句句智命、屋船豊宇氣姫命なり  もと上御深井に鎮座す、勧請の年月詳ならず、(略)本殿に合祀の神社は金刀比羅社 祭神は大己貴命崇徳天皇なり、安政七年藩主茂栄、下御庭内に建立す、社前の銅製高麗狗一対は、同年米浜より寄附せしものなり、今の称はこの神社より起れり 、大山上西稲荷社(略)、大山中段稲荷社(略)、愛宕秋葉二社合殿(略)、國玉稲荷大明神社 もとは江戸市ヶ谷に在りき 、稲荷社 もとは江戸戸山にありき 、牛御前社 祭神は素盞嗚尊なり、もとは江戸に在り 、天白稲荷大明神社 もと御下屋敷に在りき 、白髭明神社 祭神は猿田彦大神なり、もと下御庭北島居上北より一に在りき 五條天神社 祭神は少彦名命なり、もと下御庭鳥居上より北、御花畑北東に在りき 、吉田社(略)、牛頭天王八幡大神二社合殿(略)、智鯉鮒神社(略)、津島神(略)の十四所なり、

例祭はもと九月八、九両日なりしが、今は十月八日試楽、市内及び郡部斯道の名匠、各其門人と共に、凡二百名の盲人音曲の奉納あり(以下略)」

 

↑別文献の引用(孫引きになっています)もあるからか、なかなか詳しいことが書かれています。

 

「従来は徳川家の私社なりしを、明治七年九月村社に列して、以来、開門して諸人の参拝を許され」

 

↑なるほど、『尾張名所図会』にないわけです、そりゃそうですよね城内ですもの。
「金刀比羅社」の前の青銅製狛犬は、安政七年の頃にはもうあったようですね。

 

「和徳稲荷は祭神は倉稲魂命なり(もとは屋船句句智命、屋船豊宇氣姫命なり)」

 

見間違いでなければ、こういう風に書いてあったのですが、気になりますね……。

さすが御三家の一つ、江戸から勧請したらしき摂社も多かったり、何気に藩祖「徳川義直」の御霊(しかも荒魂っぽい)が祀られていたり……ああ、だから御朱印にも葵の紋、ですか。

ううむ、深い……尾張の勉強をしないとね……と思いつつもミーハーに神社仏閣巡りが限界です。


まだまだまいります〜。

「榎白山神社」(名古屋市西区)(再々)〜高速初詣その1〜

1/2。
「素盞男神社」は中村区、ここからだんだん西に向かうべし、とのご神託がくだったので、「榎白山神社へ。

 

○こちら===>>>

「白山神社(名古屋市西区)」 - べにーのGinger Booker Club

「白山神社」(再)+「津島神社」(名古屋市西区) - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

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写真は一枚だけ……いえ、初詣の参拝者が結構いらっしゃったもので、なかなか社殿とか撮影できる感じではありませんで。

それにしても天気に恵まれたお正月でした……。

 

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御朱印
ようやくいただけた、という感じ……感慨深いですが、下の神社名の印は上下逆さまですよね……そういうものなのかしら。

 

西区って、結構寺社が多いですよね(今更?)。
逐一狙ってみたい気もしますが……あ、基本的には神社に出向いています(お寺も合わせるともう、時間とか体とか足りないもので……)。
まだまだ続きます。

「素盞男神社」(名古屋市中村区)(再)〜高速初詣その1〜

1/2。

一気に中村区へ移動し、「素盞男神社」へ。

 

◯こちら===>>>

「素盞男神社」(中村区) - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

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早咲きの梅、でしょうか。

 

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御朱印
右下に境内社の「大鳥神社」の御朱印が押されているのは、酉年限定……だった気がします。

 

◯こちら===>>>

近況〜超高速初詣 - べにーのGinger Booker Club

 

↑初詣の近況報告でも書いたのですが、御神職のお孫さんらしきお嬢さんの営業能力にやられまして、十数年ぶりにおみくじを引きました。

大吉でしたけれども、今の所ご加護はさっぱりないようです……いえいえ、神様頼りはいけません。

 

中村区に来てしまったので、ここからスピードアップで、参拝していながらもなかなか御朱印をいただけていなかったポイントを攻めてみることに。

「蝮ヶ池八幡宮」(名古屋市千種区)(再)〜高速初詣その1〜

1/2。

「丸山神明社」を後にしまして、お久しぶり「蝮ヶ池八幡宮へ。

 

◯こちら===>>>

「蝮ヶ池八幡宮」 - べにーのGinger Booker Club

 

↑以前の記事です。

 

◯こちら===>>>

高見学区の名所

 

高見学区連絡協議会さんのHP。

素晴らしくまとめられていますので、ぜひこちらをご参考に。

 

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池下駅側から。

 

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由緒書。

新しくしてほしいな……。

 

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狛犬さんたら、

 

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狛犬さん。

 

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狛犬さんたら、

 

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狛犬さん。

 

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狛犬さんたら、

 

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狛犬さん。

 

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境内摂社の「秋葉社」「洲原社」「素盞之男社」「鎮霊社」。

 

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氏子のみなさんが、初詣の参拝客に甘酒などをふるまっておられました。

拝殿の写真がないのはそういうわけでございます。

 

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御朱印

ちょっとピンクがかってます。

 

「蝮ヶ池」……最高にかっこいい名前だと思います。

愛知県には、いろいろとかっこいい名前(中二病的に)の神社がありますが、その中でもトップクラスにかっこいい。

今まで御参拝した中では、「闇之森八幡宮に次いで、かっこいいです。

 

……あ、特に今回は引用はないです。

名所図会系には載っていないようですし(「蝮ヶ池」もなくて……かなり大きな池だったようなんですけれど……↑の高見学区のHPには、明治期の写真が掲載されております……『愛知郡誌』からの引用もあるのですが、デジタルコレクションで発見したのはいいけれど、どこに載っているかわからない……全ページをざっと見るのに、ストリーミングは遅いですからね……)。

狛犬さんの写真ばかりでしたが、あまりお気になさらず。

 

まだまだ続きます初詣〜。

「丸山神明社」(名古屋市千種区)〜高速初詣その1〜

1/2。

平成二十九年、2017年の開幕。

どうも今年は、もろもろの事情で遠出が難しそうなので、近隣を攻めることにしよう、ということで、「丸山神明社へ。

 

○こちら===>>>

名古屋市:丸山神明社(千種区)

 

千種区の史跡散策路のHPです。

 

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結構朝早くであれば初詣客も少なかろう、という見込みで出発、到着。

年も若ければ時刻も若いので、影の長いこと。

 

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子供の頃から何度も通っているのに、ちゃんと参拝するのは初めてだなぁ……。

 

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「祭神 天照皇太神
摂社 應神天皇
摂社 春日天神
創立 元亀天正年間
(略)
大祭 毎年十月十五十六日」

 

まあ、神明社ですから当然主祭神は「天照大神」です。

 

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遠景。

なんかもう、写真の色バランスがぐちゃぐちゃで見辛いですね。

 

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うむ、瓦葺き。
江戸時代ですね。

 

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狛犬さんたら

 

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狛犬さん。

 

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社殿向かって左、「丸山天神社」。

 

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近くには牛さんもいらっしゃいますが、囲われております……。

 

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左手前に「木霊社」が。
拝殿軒下には、絵馬なのかな、額が飾られております。

 

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社務所のそばに、「辨天社」。
こんもりな植え込みに囲われておりますが、島っぽい感じは残っています。

 

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参道途中で右手を見ると、摂社が。

 

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「丸福稲荷社」。

 

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お狐様たら

 

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お狐様(ちょっと小さい)。

 

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「丸福稲荷社」の左手には、「八幡社」「春日社」「津島社」「秋葉社」「洲原社」「山神社」。
「津島社」は、もともと「牛頭天王」だったと思いますが、一番大きな社殿になっているのはさすが尾張というところでしょうか。
一連の並び、オーソドックスなのですが、「洲原社」がちょっと珍しいでしょうか。

 

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御朱印は書き置きをいただきました。
普段もいただけるのか……右下の「丸山」の印が可愛いですね。

 

さて。

いろいろと検索してみましたが、いつもの文献に「丸山神明社」は引っかからず。

頼りの『名古屋市史』にしても、書かれた当時、「丸山神明社」のあった辺りは名古屋市ではなかったので……そうすると、地域史を当たらねばならず、国会図書館デジタルコレクションでは当たり切れません。

うーん、名古屋の各区史くらいは取り揃えておくべきか……。

とりあえず、↑で紹介した史跡散策路のHPより。

 

「16世紀後半の建立という。入り口左手には、天保5(1834)年「村中安全」と彫られた区内では数少ない秋葉常夜灯がある。境内では毎月1・6の日に野菜市が開かれ賑わう。」

 

……しまった、常夜灯見逃してるし……。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張国地名考

 

↑津田正生翁の『尾張国地名考』をざっと探ってみたらありました。
73コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「丸山村
正字なるべし 【近藤利昌曰】村の南松林寺の裏向に釜が巣といふ畔名あり 是はもと鋳物師の居し所なりとぞ」

 

……うん、神社の言及はなかったです……。
鋳物師って、結構どこにでもいたんでしょうか。
それっぽい地名が名東区にもなかったかな……それとも、名古屋東部は鋳物師の多い地域だったのか。
うーん、郷土史はまだまだ……。

 

○こちら===>>>

名古屋市:千種区の町名の由来(千種区)

 

千種区役所の「町名の由来」ページです。

 

「かつての丸山村の名残りの地名です。当時、丸型の地形をしていたと推測されます。古井村の出郷ともいうべき新開拓村で、神明社があります。」

 

「丸型の地形」……多分古墳ですね(偏見)。

千種区、というところは、今でこそ比較的いい感じの文教地区、高級住宅街とみなされていますが、昔は名古屋の範囲ですらない山でしたからね……古墳が残っていても不思議ではないでしょう。

ううむ……しかし、これが地域の村社の由緒を調べる限界、でしょうか(もうちょっと大きな神社だって、はっきりした由緒なんてわかりませんしね)。

名古屋であれば、江戸時代、「清洲越」以前からある寺社は、それだけでも価値があると思います。

 

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お隣の公園……ここで悩みを打ち明け合ったり……怪しいものをつけてバイトをしていたやつがいたり……といった思い出があるようなないような。

 

かなり早めに家を出て、あっさり終わってしまった初詣。

ここで何かのスイッチが入り、

 

「そうか、三が日なら、なかなか御朱印をいただけなかったあそことかあそことかも!!」

 

と思い、「高速初詣」のスタートなのです。

「三輪神社」(補)

(※20147/5/24追記)

 

さて、それでは。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 大日本名所図会. 第1輯第8編尾張名所図会

 

尾張名所図会』から行ってみましょう。

155コマです(引用にあたって旧字をあらためた箇所あり/判読不能文字は■に置き替える)。

 

「三輪明神社

清浄寺の南にあり。牧氏の建立なり。例祭八月十九日、夜神楽を奏す。」

 

 

……う、うーん淡白……。

気を取り直して、

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 尾張志. 2 名古屋

 

↑『尾張志』いってみましょう。

16コマです。

 

「三輪社
三輪町にあり大物主神をまつる神名式に大和国城ノ上郡大神大物主神社(名神大月次相嘗新嘗)とあるはこの本所なりはしめてここにうつし祭れる年月知がたし
例祭(正月元日三月三日五月五日八月朔日九月九日神饌を献り八月十九日神楽湯立あり)」

 

 

……む、むむ……案内板や公式HPのほうがよほど丁寧……。

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 名古屋市史. 社寺編

 

↑最後の希望『名古屋市史』。

157コマです。

 

「二一 三輪神社

三輪神社は中区小林町 もとは小林村、近世前津小林村となる に在り、(略)もと三輪大明神又は三輪社と稱せしが、明治四十四年今の名に改む、勧請の年時詳ならず、 一に小林城主牧與三左衛門の勧請となる 小林城主牧與三左衛門尉長清之を再興す、天保年中改造遷宮し、明治初年村社に列す、祭神は大国主命 熱田尊命記集説には大己貴命ノ幸魂となし、尾張志には大物主神となす、尾張名陽図会、尾張霊異記等には、神体は苧桶、或は金の苧桶にして、一説に女体なりといふとあり) 殿宇は神殿、拝殿 明治二十五年再建 、社務所等なり、境内神社に秋葉社、天王社の二所あり、(略)維新の際上地して、逓減禄を下附せらる、例祭は九月十九日、二十日にして、市より供進使の参向あり、(略) 神職は旧藩時代に於ては、熱田の神官大原織太夫の家にて代々之を奉仕(以下略)」

 

「牧與三左衛門」さん、という方が勧請したとか、再興したとか、いろいろな説があるようですが、「熱田神宮」の神官が祭事を行なっているとすれば、案外大きかったんじゃないか、って思えます。

それより……なんだろう、何かぱっとしない……あ、「矢場」の話が全くないじゃないですか。
むむむ、と思って『尾張国地名考』の「前津小林村」を見てみたのですが、ここにも「矢場」の話はなし……。

じゃあ、というので、

 

○こちら===>>>

国立国会図書館デジタルコレクション - 名古屋市史. 地理編

 

↑『名古屋市史』の「地理編」、112コマです。

 

「前津小林村は愛知郡に属し、もと二区に分れて、三輪神社以南を前津、以北を小林といふ、むかし大津町、鍛冶屋町、久屋町、武平町、西新町、東新町等より下に住みし武士を小林武士と云ひき、当時は北東へ径り広き村と見えたり、後には次第に町方又は屋敷奉行の支配に入り、疆域不分明となれり、当村の領主牧與三左衛門尉長清は、小林城を築きてここに居り、小林村に三輪神社を祀り、前津村に春日神社を祀り、本土の神として崇めしものならん、後、一村となす、寛永五年、また分ちて二村とせしが、(略) 其後再び一村と爲す、(略) 御器所村に属せる大字前津小林を当市に併せ、今数町名に分たる、もと此地は山田庄の中にして、もとより農家のみの所なれば、後年に至りて、巷坊縦横に通ずるに至りたれども、定りたる町名は無く、昔よりの村落又は田畝の字を以て呼びならはし奉り、先づ北より村の入口を高屋敷、奥屋敷、志水屋敷、西屋敷、オカラネコ屋敷、長道筋下ダレ、富士見原、高木、楠木、ダリ畑、船屋敷、見ド山、茶ノ木畠など云ふ、(略)」

 

「三輪神社」への言及が多いのですが、「三輪神社」そのものや「矢場」に関する情報はなし……まあ、御三家筆頭尾張徳川家が通し矢を訓練する、いわば軍事機密の場所ですからね、未だ幕藩体制の中にあった時期に書かれたものの信憑性がどこまでなのやら……。

それより気になっちゃったのが、

 

「オカラネコ屋敷」

 

です。
……字面から何一つ想像できないのが素晴らしい。

ううむ、量が少なく消化不良気味ですが、神社設置の案内板が素晴らしいので、もうそれでいいんじゃないかと思います。

 

 

2016年はこれにて終了。
次回からは、2017年「高速初詣」シリーズをお送りします。

 

▼▽2017/5/24追記▽▼

いや、他の神社のことを調べようと『名古屋市史』の「社寺編」を調べていたらですね、172コマに発見。

 

「幸宮神社
幸宮神社は中区三輪町に在り、(略)、俗に「おしやぐじさま」 しやぐしの名詳ならず、或は社宮司斎宮神、佐軍神、石神、三狐神に作れり と稱す、天文年中、小林城主牧與三右衛門長清勧請す、明治六年三月廃祭となり、十年十月復興す、四十年頃改造遷宮す、今無格社に列す、祭神は猿田彦命なり、境内神社に稲荷社(略)秋葉社(略)の二所あり、例祭は九月十八日十九日なり、(以下略)」

 

「三輪神社」の境内社である「幸宮社」のことだと思われます。

ちょっと御祭神が違っていますが。

無格社とはいえ、しっかり境内があったものを、戦中戦後のどさくさで何かあったんでしょうか……。

 

「シャグジ」については、どこかでも言及したような気がしますが……。

 

○こちら===>>>

「諏訪大社」考(5) - べにーのGinger Booker Club

 

ああ、「諏訪大社」の妄想をしていたときでした(ご参考に)。

それにしても小林城主の「牧長清」、大活躍ですね。

今日の大須の繁栄を作ったのは……あ、まあ、やっぱり「清洲越」なので「徳川家康」なのですけれど、影の功労者ではあるのかもしれません。

そんな人のことを、名古屋人は(私も含めて)どのくらい知っているのか……。

不勉強不勉強。

 

△▲2017/5/24追記▲△

「三輪神社」(名古屋市中区)〜大須ぶらぶら

12/29。

本日メインイベント、「三輪神社」にご参拝。

一瞬、場所がわからなかったのですが、昔の(今も?)公設市場の北側にありました。

 

○こちら===>>>

miwajinnjya.com

 

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三輪鳥居が、名古屋で拝めるとは思っておらず……勉強不足甚だしい……。

 

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「三輪神社

御祭神

大物主大神大国主大神・大黒様)

徳川義宜公(尾張十六代藩主)

御由緒

元亀年間(一五七〇年)奈良桜井三輪町から小林城(現在の矢場町交差点辺り)に移った城主、牧若狭守長清が生まれ故郷の三輪山に鎮まります大物主大神大国主大神)を祭ったと伝えられています。

江戸時代には尾張八代藩主徳川宗勝公を始め歴代藩主の崇敬篤く明治時代に尾張十六代藩主徳川義宜公を合祀しています。

また、この神社の中に尾張藩の矢場があり京都の三十三間堂の長廊に模して造られたようです。矢場町の名はそれに由来されるといいます。(略)」

 

何と、矢場町の起源ここにあり、でしたか。

ということは、巡り巡って矢場とんの起源もここにあることに……あ、「矢場とん」のまわしものではありませんので。

 

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社標。

 

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「創建年代は不明であるが、小林城主牧長清(一五七〇没)が勧請し、天保年中(一八三〇〜四三)改築する。

祭神は大国主命を祀り、また境内に秋葉社猿田彦社・天王社を合祀している幸宮社と福光稲荷の二社がある。

この社は、もと三輪大明神とか三輪社と呼ばれたが、明治四十四年(一九一一)に現社名となった。」

 

御祭神は「大物主大神」にしておいてほしいなぁ、名古屋市さん……。

 

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狛犬さんたら、

 

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狛犬さん。

社紋も鮮やか。

 

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三輪鳥居を裏から。

マンションと重なってしまっていますが、お見事。

 

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拝殿。

 

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「幸せのなでうさぎ」さん。

撫でまくりましょう。

 

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拝殿ちょっと遠景。

 

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拝殿右側に回り込んでの本殿。

妻入ですね(あれ、本当に本殿か?)。

 

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縁結びの木、だそうです。

 

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拝殿向かって右手にある神楽殿。

 

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お狐様たら、

 

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お狐様。

 

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「福光稲荷社」は、拝殿向かって右手奥にあります。

 

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その左手にある尾張徳川、矢場跡」

 

「寛文八年(一六六八)尾張徳川家が三輪神社境域に京都の蓮華王院(三十三間堂)で威信をかけて競った通し矢の修練場(三十三間堂を模した長廊)矢場を創建し文化四年(一八〇七)御払いになり星野勘左衛門預となりました

この界隈を「矢場町」と呼ぶのもここに矢場があったことに由来します」

 

……あの、ほら、水を入れると上下するこういうの、なかったでしたっけ。

 

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うっすらとしか見えませんが、「白龍社」。

 

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ちょっと戻って、「幸宮社」の社標、参道。
右手が神楽殿、左手が拝殿、右奥に「福光稲荷」があります。
順番間違っちゃった。

 

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「幸宮社」。

 

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秋葉社 津島社 猿田彦社」の合祀社です。

 

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「『指矢場』のこと
江戸時代、京都の三十三間堂で通し矢という競技が行われていました。通し矢とは三十三間堂で軒下の南端から北端までの約120mを軒裏にも縁の床板にも当てないで矢を射通す競技で、一昼夜(24時間)に射通した矢の数を競いました。

全国の大きな藩が競いあい、最終的に尾張藩紀州藩の一騎打ちとなりました。

尾張藩の記録が紀州藩に破られた後、明暦2年(1656年)新たに当神社に三十三間堂を模した長廊を造り、藩の威信をかけた命がけの修練が行われました。その甲斐あって、星野勘左衛門が10、542本中、8、000本の矢を射通し天下一の称号を得たのです。

その後、この辺りは矢場町と呼ばれました。

境内に矢的の記念碑があります。

皆さまそれぞれの目標が見事、射止められますよう祈念しております。」

 

「星野勘左衛門が10、542本中、8、000本の矢を射通し天下一の称号を得た」

 

さらっと読み流しましたけど、何この矢の数……尋常じゃなくないですか?

それとも、当時はこんなもので?

これはもっと、喧伝してもいいことだと思うけどなぁ……ひょっとして、「三十三間堂」の方では有名なんでしょうか。

そういえば、江戸にもありましたね「三十三間堂」……今はないですが。

下には「丹塗矢」の伝承が書かれています……そうか、だから赤い矢なのか、全然つながらなかったですよ。

 

あれ、写真が思っているより少ない……。

 

ともあれ御朱印

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(2017/5現在)何度か参拝しているのですが、その度に、「福をちょこっとおすそわけ」ということで、うさぎさんのチョコレートをいただきます(御朱印をいただいたときに)。

プリントしてあるだけだ、とはわかっていても、食べづらい……。

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なお、四月限定御朱印については、

 

○こちら===>>>

近況再び - べにーのGinger Booker Club

 

↑でご確認を〜。

よし、やっと2016年が終わった……あ、次回で引用なぞ行いますです。